どんなスーパースターでも最初からそうだったわけではない。誰にでも雌伏の時期は存在しており、一つの試合やプレーがきっかけとなって才能が花開くというのもスポーツの世界ではよくあることである。そんな選手にとって大きなターニングポイントとなった瞬間にスポットを当てながら、スターとなる前夜とともに紹介していきたいと思う。連載【スターたちの夜明け前】
2012年11月12日明治神宮大会・浦和学院戦
昨年はまさかの4位に沈んだソフトバンク。常勝軍団復活のためには世代交代が大きなポイントとなるが、そんなチームにあって現在最も勢いのある選手が栗原陵矢だ。選手層の厚さもあってプロ入り後しばらくは二軍暮らしが続いたが、6年目の2020年に初めて規定打席に到達し、17本塁打、73打点をマーク。巨人との日本シリーズでは第1戦で先制のツーランを含む3安打4打点、第2戦では4安打を放つなど打率5割の成績を残し、見事MVPにも輝いている。
レギュラー定着2年目となった昨年は143試合にフル出場を果たし、146安打、21本塁打、77打点と更に成績は向上。また東京オリンピックの侍ジャパンにも選出され、準々決勝のアメリカ戦ではタイブレークの延長10回、ノーアウト一・二塁の場面で代打として起用されて見事に送りバントを決め、チームのサヨナラ勝ちにも大きく貢献した。
栗原が東京オリンピックの代表として選ばれた大きな理由の一つが、あらゆるポジションを守ることができるユーティリティプレーヤーだからという点であるが、元々はキャッチャーとしてプロ入りしており、正式に外野手登録となったのは今年(2022年)からである。そんな栗原のプレーを初めて見たのは2012年に行われた明治神宮大会だった。この大会は高校の部と大学の部に分かれており、高校の部は全国10地区の秋季大会を勝ち抜いた優勝校によって行われるため、春夏の甲子園大会よりも出場するのは難しいことになる。
この年も仙台育英(宮城)、浦和学院(埼玉)、県立岐阜商(岐阜)、沖縄尚学(沖縄)など甲子園でもおなじみのチームが名を連ねていたが、そんな中で初出場となる春江工(福井)で4番、キャッチャーの大黒柱となっていたのが当時1年生の栗原だったのだ。初戦が行われたのは11月12日で、対戦相手となったのは優勝候補の一角と見られていた浦和学院。チームは2回表を終了した時点で5点のビハインドとなり、球場は完全にコールドゲームを予感する雰囲気が流れたが、その裏に4安打を集中させて追いつくと、更に追加点を重ねて8対6で見事に打撃戦を制し、全国大会初勝利を記録したのだ。ちなみに浦和学院は翌年春の選抜で優勝を果たしており、まさに大金星と言える勝利だった。
際立っていたスローイング、バッティング、そしてフットワーク
そんな中で最も輝きを放っていたのが栗原である。まず際立っていたのが捕手としてのスローイングだ。イニング間のセカンド送球タイムは2.00秒を切れば強肩と言われるが、栗原は最速1.87秒をマーク。実戦でも浦和学院戦の同点に追いついた直後の3回に一塁走者を素早い牽制で刺してピンチを脱出している。またバッティングでも、3回の第2打席でこの回からマウンドに上がった左サイドスローの投手に対して全く崩されることなくセンター前ヒットを放っている。結局この試合でのヒットは1本だけだったが、相手の厳しい内角攻めに対しても崩されることなく、自分のスイングを貫き通すことができていた。また、第5打席のショートゴロでは一塁到達4.22秒というタイムが残っており、捕手としては十分な脚力も備えていた。
当時のノートには6行に渡って栗原のプレーが書かれているが、スローイング、バッティングについてだけではなく、フットワークなどの身のこなしや脚力についても触れられており、この時からユーティリティプレーヤーの片鱗を見せていたことは間違いない。続く関西戦ではコールド負けを喫し、翌年春の選抜でも初戦で常葉菊川(現常葉大菊川・静岡)に敗れているが、その後も栗原は順調にレベルアップを続け、ドラフト2位という高い順位でのプロ入りを勝ち取っている。
ちなみに春江工はその後、坂井農、金津と合併し、現在は坂井高校となっている。しかし、春江工が2012年秋に残したインパクトは今でも高校野球ファンの脳裏には鮮明に刻まれており、またその名前は栗原の活躍によって今後も残り続けていくことになるだろう。
Norifumi Nishio
1979年、愛知県生まれ。筑波大学大学院で野球の動作解析について研究。在学中から野球専門誌への寄稿を開始し、大学院修了後もアマチュア野球を中心に年間約300試合を取材。2017年からはスカイAのドラフト中継で解説も務め、noteでの「プロアマ野球研究所(PABBlab)」でも多くの選手やデータを発信している。