約10年にわたり、滝川クリステルさんが各界の仕事人と対談してきた連載【滝川クリステル/いま、一番気になる仕事】が約1年半ぶりに復活! 発売から3年連続でリニューアルをし続ける「本麒麟」。なぜリニューアルするごとにファンが増えていくのか、滝川クリステルさんが醸造家の仕事からその根源に迫る。
醸造家は天職。お酒に魅了された男
滝川クリステル(以下滝川) 今日はキリンビールマーケティング本部で商品開発をされている大橋優隆さんに、醸造家のお仕事についてお話を伺っていきます。大橋さんは2010年に入社後、品質管理や製造担当など技術系の部署で経験を積み、2015年にご自身の希望で現在の商品開発担当の部署へと異動されました。もともとお酒、醸造の仕事をしたいと思ったのはいつ頃からですか?
大橋優隆(以下大橋) 私は東北出身で、おいしいものやお酒が好きな家庭環境で育ちました。その影響もあって大学では酵母や麹菌など発酵に関わる微生物の研究をしていました。また、大学で所属していた弓道部が強豪で、試合後の打ち上げで勝利の祝杯を経験する機会も多かったんです。そのなかで、お酒って楽しい雰囲気を倍増させることもできる、素晴らしいコミュニケーションツールだなという思いを強くして、自分でもおいしいお酒をつくってみたいという気持ちで、キリンビールに入社しました。
滝川 キリンビールの研究所では実際に、どのようなお仕事をされているんですか?
大橋 既存の商品の改良や、新商品の研究開発を行っています。1g、1%単位で原料の配合を変えてみたり、さらに仕込の温度を1℃単位、時間を分単位で変えてみたりと、万単位の配合の組み合わせで試験醸造をしています。
滝川 万単位の配合の組み合わせ……気が遠くなるようなお話ですね。
大橋 そうですね(笑)。さらに醸造には時間がかかり、結果がわかるまでに1ヵ月以上の時間を要します。ちなみにこれが、私の実験ノートです。すみません、汚い字なんですけど(笑)。こうして本麒麟の試作日数に合わせて細かくひとつひとつ、判断して評価しながらつくっています。
滝川 すごい、びっしり……。
大橋 大変です(笑)。
滝川 大変と言いながらいい笑顔ですね(笑)。
大橋 はい。毎回苦しいですけど、天職だと思っています。
のべ3万回(※)の試行錯誤が“うまい”をつくる
大橋 今日はぜひ滝川さんにも実際に味覚評価を行っていただきたくて、3種類の試作品を用意してきました。味覚評価とは、香り、味、苦味、酸味、甘味、アルコール感、炭酸感、のどごし&キレの8項目をチェックしていく作業です。いま、発売中の本麒麟に辿り着くまでに、醸造家を始め、その他開発に関わる担当者によるものを合わせて、のべ3万回(※)の味覚評価を行いました。
滝川 3万回!?
大橋 はい、発売開始した2018年から日々試行錯誤を繰り返していたら、いつの間にか(笑)。
滝川 では私も醸造家になったつもりで、本麒麟の味に迫っていきたいと思います。最初の工程としては……。
大橋 まずひと口だけ口に含んで、香りと味わいを感じてください。その後ふつうに飲み込んで、のどごしや舌触りを評価していきます。そして最後、飲み終わったあとの、香り立ちや、苦味の締まり、そして後味のキレ感など、細かなところを評価していただく形になります。
滝川 たくさんあるんですね! もうわからなくなってきました(笑)。
大橋 そうですよね(笑)。お手元に、お客様の試飲評価で使用しているテイスティング・シートを準備しました。実際に試飲しながら、記入してみてください。
滝川 では早速、左側からいただきます。
大橋 ――いかがですか?
滝川 う〜ん、難しいですね。どれくらい口に含ませるものなんですか?
大橋 だいたい10mlくらいです。
滝川 ではもう一度。香りや味わいをこんなふうに細かく考えて飲むのは初めてなので。味を分解していくって、大変な作業ですね。
大橋 感じ方には皆さん個人差がありますし、正解不正解はないので、自由に書いてみてください。私たち醸造家同士も、必ず数名ですり合わせるようにしています。
滝川 では、チャートに書いていきます。酸味と、甘味はそんなになかったかな……苦味、結構ありました。こちらは香りがいいですね。炭酸感はそうでもないかな。……これ、ひとり言が増えますね(笑)。
大橋 僕もずっとブツブツ言いながら書いてます(笑)。
滝川 ですよね。では最後、3つ目にいきます。――あ、これは後味がすごく残る。かなり違いがはっきりしています。
大橋 そうなんですよ。実は3つ目は、お客様調査で「これは本麒麟じゃないかも」と言われるギリギリのラインを攻めてみた試作品です。
滝川 わかります。おいしいけど、イメージが違う……。でも言葉にするのが難しいです。本麒麟らしさって、なんでしょうね。
大橋 まずは、やはりふんだんな麦のうまみと、ドイツ産ヘルスブルッカーホップを使用した質の良い苦味と香り。そして新ジャンルには珍しい6%のアルコール度数を持ちつつ、お食事中に飲んでいただいても料理の邪魔をしない、あるいはお口の中をリセットできるような形にしたいと思って、味わいを設計したのが今の本麒麟ですね。
滝川 だから飲みごたえがあるんですね。
大橋 3番目はややクラフト寄りというか、後味や風味が長く残る設計なんです。それはデイリーの食中酒としては少し強いので、カットしていくことになります。私はクラフトビールのレシピも担当しているので、本麒麟の未来の姿のひとつの可能性として有りか無しかと思いを巡らせながら、試行錯誤を重ねています。お客様の嗜好や価値観は、時代とともに変わっていきますから。
滝川 本当に計り知れない作業ですね。経験してみて大変さが少しわかった気がします。そこまで情熱と時間がかけられているからこそのおいしさなんですね……!
お客様と時代のニーズに耳を澄ます
滝川 きっとご自身のなかで「おいしい」の軸があると思うんですが、その判断力を磨くために、日々気をつけていることってありますか?
大橋 体調管理はもちろん、個人的スキルには日々磨きをかけています。味覚の表現幅を広げるためにワインソムリエの資格をとったり、料理の勉強をしたり……もともとおいしいものが好きなので、仕事目的だけではありませんが(笑)。ただ味覚は個人差が大きいですし、ひとりだけでやっていると、どうしても尺度が正しいかどうかわからなくなっていくので、研究所の中ではもちろん、キリンの9つの工場すべての製造部門とも定期的なディスカッションを欠かさないようにしていますね。
滝川 支え合いで成り立つお仕事でもあるんですね。酵母も生きていて、人間も生きていて、日々変わっていく。そのぶつかり合いのなかで、9つの工場を統括される立場として、製作過程で一番大切にされていることはなんですか。
大橋 やはり刻々と変化していくお客様の嗜好、価値観にきちんと応えていくことです。というのも、私が開発担当になって1年目、本麒麟のリニューアルを担当した時、我々のチームが「これは絶対においしい」と自信満々で提供した試作品が、お客様に行った調査でひとつも評価されなかったということもありました。衝撃でした。周りからも期待の言葉をかけてもらっていたので、申し訳ないやらヘコむやらで。結局、「お客様のなかの本麒麟らしさ」と向き合えていなかったんですよね。
いまは発売から約4年経ち、さらにお客様のなかで「本麒麟らしさ」が形成されてきたと思うんです。そこでひとりよがりな変化球を投げたら、お客様への裏切りになってしまいます。お客様に「こんなの本麒麟じゃない」と思われてしまったらそこで終わりなので、より慎重にブラッシュアップしています。
滝川 ブランドがお客様に定着してきているからこその難しさがあるんですね。
大橋 はい。時代の変化に寄り添いつつ、お客様が飲んで「おいしい」「うまい」と感じてくださるものをつくる。これが私の使命だと思っています。
滝川 ファンを裏切れないからこそ、のべ3万回(※)の味覚評価となったんですね。それだけの手間と時間をかけているからますますおいしくなっていくんですね。お話を伺って、さらにおいしく感じるようになりました。