監督が座る時間とは“行”。戦場で無防備は許されない
動と静。読売巨人軍・原辰徳監督のベンチでの佇まいは、はっきりしている。
試合中、攻撃では立ってタクトを振る。「先手必勝」。臆することなく攻め続けることが、チームを鼓舞するからだ。一転、攻勢から守勢に回ると、監督は滾(たぎ)る闘志を鎮めるようにゆっくりと腰を下ろす。
誰よりも冷静であれと、指揮官としての心得を語る。
「リーダーと呼ばれるような人は、忍耐力であったり、粘り強さが必要な気がするんです。選手やコーチが直感で動き、僕までもそうなってしまうと、チームを統制できなくなる。冷静に手綱を締めるために、座って気持ちを落ち着かせています」
ベンチに座る原監督が、背もたれに背中を預けることはない。身を委ねず、威厳を体現する。
自らの居住まいを初めて客観視できたのは、監督14年目となる昨年春のことだった。この年から二軍監督に就任していた阿部慎之助さんの、ベンチでの立ち居振る舞いに違和感を覚えた。「椅子に背中を預けない」といった信念に基づき、阿部さんをこう諭したという。
「座ることとは、行(ぎょう)なんだよ」
無意識に築き上げてきた型を、自覚した瞬間だった。
「試合とは、極端に言うと戦場なわけです。背中をつけ、脚を組みながら無防備にベンチに座ることは、指揮を執る人間としては許されません。僕にとって、この時間は〝行〞なんです」
野球において守備とは、無失点に抑えればいいわけではない。攻撃へ転じた際に勢いやリズムを生みだすうえでも重要視される。また、原監督の不変の理念に、「選手起用や采配で最もダメなのは、決断が遅れること」がある。座している時間は、まさにその準備なのである。
「野球の場合、試合の流れ、時の流れのなかで、思い描いていた風景が現実と重なることがあります。そこで瞬時に決断することが、何よりも大事なんです」
14年の監督人生で3度の日本一へと導いた名将の信念
今年、指揮官の決断を象徴する試合があった。6月20日の阪神戦。2対1とリードで迎えた7回、2死二・三塁、2ボール、2ストライクのところで投手交代を告げたのである。攻撃の際にカウントの途中で代打を出すことはあっても、投手でのそれは極めてまれな戦術だ。巨人はこの難局を耐え、そのまま僅差(きんさ)で逃げ切った。
原監督の野球観は、常識や固定観念に囚われない。だからこそ、チームを勝利へ導くための最善策を常に生むことができるのだ。昨年までの14年の監督人生で9度のリーグ優勝、3度の日本一へと導いた常勝軍団の名将は、言葉に重みを宿す。「監督、コーチ、選手、スタッフ。プロ野球の球団は150名から200名弱と、大企業と比べると大きな組織ではありません。しかし、大きなことを成し遂げられる組織だと思っています。ですから、希望や目標へ向かって邁進していきたいと、強く思っております」
本拠地・東京ドームのベンチ(今季からゲーミングチェアブランド「AKRacing」のチェアを設置)での原監督は、優勢でも劣勢でも静かに戦況と向き合う。
過酷な戦場であっても、座禅を組んでいるように――理想の「座」について説く。
「座ることの意義。座に着くと落ち着き、いい表情になりますよね。そうありたいと思います。気持ちとしては、僕自身が凪となり、自分のチーム、相手チームとすべてを見通していきたい」
王座への君臨を宿命づけられた巨人の監督は、凪となり、明鏡止水の境地でチームを導き、大きなことを成し遂げる。そう、「日本一の座」に就くために。
TATSUNORI HARA
1958年福岡県生まれ。’81年にドラフト1 位で巨人に入団、新人王に輝く。’95年に現役を引退し、2002年に巨人の監督に就任。2期目は’06年から10年間指揮を執り、’19年に復帰してセ・リーグ連覇を果たす。今年で監督15年目を迎えた。