本連載「コロナ禍のアスリート」では、まだまだ先行きが見えないなかで、東京五輪メダルを目指すアスリートの思考や、大会開催に向けての舞台裏を追う。
自身が持つ日本記録に5秒以上遅いレースも
五輪前最後のレースでもタイムは伸びなかった。競泳男子東京五輪代表の萩野公介(26=ブリヂストン)が6月26、27日に長野県内で200㍍個人メドレーのタイムトライアルを実施。本番の午前決勝を想定して、26日に午前、午後1本ずつ、27日午前に1本を泳いだ。タイムは26日が2分0秒40と1分59秒63で、27日が2分0秒70。自身が'16年4月に記録した日本記録の1分55秒07には遠く及ばなかった。
「午前は思ったより体が動かない感じ。ここで得た課題を本番に生かしたい。精神状態は悪くなかったが、タイムが遅い。残り少ない日数だけど、大胆にやりたい」
高校生で臨んだ'12年ロンドン五輪の400㍍個人メドレーで銅メダルを獲得。'16年リオデジャネイロ五輪では400m個人メドレーで金、200m個人メドレーで銀、800mリレーで銅と金銀銅メダルをコンプリートした。世界の頂点に立ったが、その後は低迷。リオ五輪前の'15年6月に骨折していた右肘の手術を'16年9月に受けると、肘の可動域が狭まり「自分の体じゃないみたい」と泳ぎの感覚が狂った。
'17年世界選手権の200m個人メドレーで銀メダルを獲得するなど結果は出したが、タイムは伸び悩んだ。本来のパフォーマンスを発揮できない日々が続き、'19年2月のコナミオープンの400m個人メドレー予選では自己ベストから17秒以上遅いタイムに沈み、決勝を棄権。翌月、指導を受ける平井伯昌コーチに「水泳が嫌いになりつつあります」と打ち明け、モチベーション低下などを理由に約3ヵ月の休養に入った。
プールを離れている期間は、丸刈りにして欧州を一人旅。自身が泳ぐ意味を自問自答した。「縄文時代ならこんなに考える必要はなかっただろうな」と思ったこともある。エーゲ海に浮かぶサントリーニ島では無心で1時間近く海を泳いだ。
地元・栃木の恩師から「引き際は自分で決めろ」と言われ「まだやめたくない」と現役続行を決意。親交の深い騎手の武豊からは「周囲から何を言われても気にするな。自分を信じて突き進め」と背中を押された。
「泳ぎたいと思って、自分自身で決めて戻ってきた。あの時(休養期間)に泳ぐことが好きだということを、強く感じた。結果はどうであれ最後までやりきりたい。日本代表としての誇りもある」
'19年6月に練習を再開すると「東京五輪での目標は、ぶらさずに複数種目での金メダル」と宣言した。同8月のW杯東京大会で半年ぶりにレース復帰。復帰後も調子は上がらず、記録は低迷した。
'19年秋にシンガー・ソングライターmiwaと結婚。同年末には第1子も授かった。新型コロナウイルスによる五輪の1年延期は「1年延びたからできることがある」と前向きに捉えたが、全盛期の輝きは取り戻せていない。
金メダル獲得種目を諦め、200m個人メドレーに集中
日本代表選考会を兼ねた今年4月の日本選手権では心身ともに負担の大きい400m個人メドレーの出場を回避。'16年リオ五輪で優勝した「大切な種目」での五輪連覇を諦め、200m個人メドレーに集中した。記録は1分57秒43。ライバル瀬戸大也(27=TEAM DAIYA)に0秒02差の2位となり、3大会連続の五輪出場権を手にした。
6月上旬のジャパン・オープンは1分59秒43の4位。東京五輪でのメダル獲得に向けて厳しいタイムが続くが、精神的に負の状態には陥っていない。
「5年前はある意味、金メダルだけを追い求めていたが、正直、今は全然違う。この5年間は良いことも悪いこともあり、起伏に富んでいた。その集大成が1ヵ月後に近づいている。結果、結果ではない、不思議な感覚がある」
全力で表彰台を目指す姿勢に変わりはない。だが、それ以上に大切にしたいものがある。栄光も挫折も知る26歳のスイマーにとって、TOKYOは自身の生き様を見せる舞台となる。