サウナ、冷水、アート浴の3つの連続的な体験を創ることで、鑑賞者がととのい、アートと一体化し、世界や時間と再びつながる(リコネクトする)。猪子寿之氏率いるアート集団チームラボが3月から開催する「チームラボ & TikTok, チームラボリコネクト:アートとサウナ 六本木」は、 “アートとサウナによる新しい体験”を提供する展覧会だ。
アート×サウナの組み合わせは突飛なものに思えるが、チームラボとサウナの関わりは今回の展示が初めてではない。
2015年から佐賀県の御船山楽園で展覧会を行ってきたチームラボは、御船山楽園ホテルにサウナを備えた大浴場「らかんの湯」が’19年にオープンすると、その「らかんの湯」とコラボレーション。歴史と森のサウナ、廃墟のアート群、お茶をセットで体験する展覧会『チームラボ 廃墟と遺跡:淋汗茶の湯』も開催してきた。
今回は猪子寿之氏に自身がサウナに開眼した経緯や、サウナとアートの関係、六本木で開催する「TikTok チームラボリコネクト」の狙いについて話を聞いた。
サウナで人を最高級な状態にしてアートを見せる
――猪子さんはなぜアート×サウナの展覧会を六本木で開催しようと思ったのでしょうか。
仮に今年、オリンピックがあるとすれば、東京には普段は日本に来ないような人がたくさんやってくる。でも冷静に高級という視点で考えると、東京って結構ショボい。ニューヨークとか上海、ドバイ、ロンドンとかと比べると、高級な場所とかはなかなか存在しない。
それと、今までのアートって、街の中で最も権威があったり、一番高級だったりする場所に展示をするのが良いこととされてきた。だからアーティストとしては、そういった本来は権威があったり高級だったりする場所にアートを置いて、人々に見てもらいたい。でも、僕はそんなことよりも「人々を最高級な状態にしてアートを見せたい」と思ったの。
「ニューヨークはまだ高級な場所にアートを置いてんの? こっちは来てくれた人を最高級な状態にしてアート見てもらうよ。一周半回って、東京の方が世界の先を行っているよ」って世界中の人に言おうと(笑)。
――最高級な場所に展示するのではなく、サウナによってアートを見る人の心や身体を最高級に変えてしまおう……という発想なわけですね。
サウナによる「超温冷交代浴」をさせてね。サウナと冷水によって脳を開いて、その状態でアートを見る。いい場所にアートを置くより、人々をいい状態に変えてアートを見せる方が、21世紀的というか、人類の次のあるべき状態じゃないかな。
半年間だけの展示でサウナをしっかりつくるのなんてもう二度とできない。水回りもしっかり作らなきゃいけないし、普通の展示に比べて回転率も悪いから。それはわかってるんだけど、それでもこの展覧会をこの時期にどうしてもやりたいなと思ったんだ。
――サウナと水風呂の超温冷交代浴で脳が開かれる……というのはご自身が体験して味わった感覚なんでしょうか。
そうそう。
――その体験をしたのはいつ頃ですか?
'19年の6月か7月くらいかな。御船山楽園にサウナができたときに、小原さん(御船山楽園ホテル代表)と一緒に入ったの。タナカカツキさんも最初は「ととのう」という言い方じゃなく、「サウナトランス」という表現をしていたけど、まさにその感覚だよね。
そもそも、なんで御船山楽園で展示をしてきたかのかというと、あの歴史のある、長い時間が積み重なった場所(※御船山楽園は江戸後期に50万平米の敷地に創られた庭園。樹齢3000年以上の大楠もある古来より大事にされてきた森と、森の木々を生かしながら造られた庭園が一体となってその魅力を作り出している)で、自分が大きな時間の一部であることや、世界や自然の一部であることを感じてもらいたかったから。
別に哲学的な話じゃないよ。生命は「開いた形の定常状態」。それはサイエンスの分野では当たり前のことだから。
僕は御船山の森をさまようなかで、そのつながりを体感できたんだけど、今はウイルスへの反応を見てもわかるように、自分が独立した存在として生きているかのように勘違いしている。挙句の果てに、分断まで煽っている。
だから御船山での展示では、自分がどこにいるか分からないような体験をして、大きな時間のなかに自分があることや、自然とのつながりを感じてほしいと思っていた。でも、御船山の行基が五百羅漢を彫った洞窟のすぐ傍にある「らかんの湯」のサウナに入って森の中で佇んでいたら、「歴史や森とつながって、あれ、これ強制的につなげられるじゃん」って気づいてね(笑)。
室町時代の日本にあった「アート×サウナ」の文化
今の日本のサウナのブームは、サウナ文化を非言語に引き継いできたサウナ愛好家たちがSNSによって情報発信をはじめ、そのサウナの超温冷交代浴による特殊な状態を「ととのう」と言語化。それをタナカカツキさんがマンガによって可視化したことによって、多くの人が「ととのう」入り方がわかり、「ととのう」体験をした人が急激に増えて生まれたんだと思うんだよね。
それと同時に、「昔の日本でも似たようなことは行われてたんじゃないかな」と。何らかの歴史的背景があるんじゃないかと思ったから、それですぐ調べたわけ。そうすると、風呂入って、アート見て、お茶飲んで、っていう文化があった。「淋汗茶の湯(りんかんちゃのゆ)」って知ってる?
――今回の展覧会の資料でも「アートとサウナの歴史的背景」として紹介されていた、室町時代の文化ですね。
そう。全盛期は利休の100年くらい前。戦国武将なんかはみんな風呂が好きだったんだけど、当時の風呂は蒸し風呂のこと。いわゆるサウナと一緒なわけ。
これは雑談だけど、なんで当時の風呂が蒸し風呂だったかというと、日本で水道技術が整ったのが江戸時代以降だから。浴槽に張った湯に入る風呂が一般化したのも、その頃からだとされている。
ちなみに同じ時期に、日本では平野に田んぼができるわけ。みんな勘違いしているけど、ヨーロッパの小麦と違って、田んぼ(稲作)って山のものだから。本来は高低差のある場所が、我々の田んぼの生産場所だった。要は水道がないと田んぼは平野に作れなかった。平野に田んぼができたのと、湯の風呂ができたのは同じ時期。どっちも水道技術のおかげ。
で、話を戻すと、利休の師匠の師匠にあたる村田珠光(1422~1502)も若い頃、奈良のお寺で成り上がりたちと遊んでいた。サウナ入って、屏風とかお香を並べて、そこで休んで、最後に茶を飲んでね。それが「淋汗茶の湯」だった。
その「淋汗茶の湯」は「ばさら趣味」だった。つまり、自分の力で成り上がった人たちが、貴族なんかをバカにして、家にサウナ作ってみんなを呼んで遊ばせていた。それが後の下剋上の根底にあった文化。
なんで成り上がりたちが風呂を振る舞ったかというと、それは行基(668年~749年、奈良時代の高僧)の時代にさかのぼる。
日本の蒸し風呂がどこで・いつ始まったかは正確にはわからないけど、少なくとも瀬戸内海の周辺の海の民たちに、蒸し風呂の文化があったことは分かっている。
彼らは海の岩の洞窟に薬草を入れて燃やして、燃え殻を外に出した後で海水をかけて、洞窟に蓋をして蒸した。そして、そこに布を敷いて入った。サウナストーンで温める今のサウナと同じ原理の、大昔のサウナね。
僕は蒸し風呂を内陸部に作り、広めた人が行基ではないかと考えているんだけど、当時は仏教を民衆に教えるのは違法だった。「俺たちだけ幸せになりたい」と思ったのか、貴族が独占していたわけ。でも行基は身分に関係なく仏教を教えていた。だから大犯罪者みたいに扱われてね(※香川県には、行基が人々の病気を癒やすために作ったとされる「塚原から風呂」が現存し、現在も入浴可能)。
そして行基は治水工事や土木工事もしていた。水害というのは今も台風で深刻な問題になるけど、当時は今以上に危険なもの。治水の工事自体が命に関わる危険なことだし、集団で行わなければいけないものだった。
ここからは、個人的な考えだけれど、ユヴァル・ノア・ハラリ氏が「サピエンス全史」で「人類は共通の神話を信じることで初めて大勢の赤の他人と柔軟に協力することが可能になった」と言っているように、行基は仏教を信じさせることで集団での治水工事を成功させたんじゃないかと。それで実際、治水工事が成功すると社会は豊かになるし、人は死ななくなるから、もう行基は神みたいな存在。「行基すげぇ!」みたいな。だから大衆に死ぬほど人気になった。
あと大陸から文明が入ってくると、疫病も入ってくるから、日本でも初めて疫病が流行った。そこで大衆に人気の行基に一番上の階級の「大僧正」を与えて、彼に作らせたのが奈良の大仏というわけ。
行基は治水工事ができるくらい工学に長けていたから、海の洞窟で行われていた蒸し風呂を、陸の寺に蒸し風呂を作れたんじゃないかと思っているんだ。
ここからは完全な推論になるけど、寺にサウナを作ったら、人々はサウナが気持ちいいから、別に仏教とかに興味なくてもサウナに入りに来る。それでサウナに入って水を浴びて脳みそが開く。開いた脳に仏教が入って、集団での工事ができるようになり、大規模な治水工事を成功させてきたんじゃないかな(笑)。
淋汗茶の湯に話を戻すと、「蒸し風呂に屏風を飾ってお香を焚いて」と書いているんだけど、蒸し風呂の中に屏風を飾れるわけない。だからおそらく、蒸し風呂から出た場所でアートに囲まれて休憩をしていたんだろうね。
――今回のチームラボの展示と同じようなことが「淋汗茶の湯」では行われていたわけですね。
そうそう。その歴史も面白かったし、それが御船山で6年以上やってきた展示ともつながった。御船山楽園に作られたサウナの隣には、行基が1300年前に五百羅漢を彫った洞窟もあったから。だから「もう一回ここで淋汗茶の湯をやろう」ということで、’19年にはお庭で花見て、サウナに入って、アートの中で休んで、お茶を飲む展覧会を御船山で始めたのね。
――サウナと水風呂に交互に入ると、自分と周囲の境界線が消えていくような心地よさがあります。その「ととのう」感覚は、チームラボの掲げる「ボーダレス」というテーマや、「アートを全身で感じる」「体ごとアートに没入する」展示と近いものを感じます。
ね、そうでしょう。自分たちはアートを通して、「物事は連続しているし、連続していることそのものが美しい」「自分と世界との境界はない」と感じられる体験を作りたいと思っていたんだけど、それがサウナと重なった。サウナが強制的に作る、ある種の「脳がハッキングされて、感度が高く身体感覚が広がった状態」が、それと近しいなと思ったんだよ。
それが過去の日本の歴史に存在した文化であることも面白いし、この10年の「ととのう」というサウナがもたらす状態の言語化、マンガによる可視化によって、「ととのう」ためのテクニカルなサウナの入り方がフォーマット化されたこと。それによる、現代の日本に起こっているサウナで「ととのう」ムーブメントも世界の中では非常に特異なことだからね。
「ととのう」と同じ感覚は、世界の人たちも気づいているのかもしれないけど、言語化されておらず、ここまで共通認識されていない。もちろん、入り方もフォーマット化はされていない。現代の日本で起きている、サウナでの「ととのう」ムーブメントは、世界から見ても文化的に非常に面白い。歴史的背景も、現代日本の文化的背景も含めて、この新しい展覧会を世界中の人に体験してもらいたいなと。
「TikTok チームラボリコネクト」では、新しいサウナのありようを作りたかったわけじゃなくて、新しい美術館のありようを作りたかった。もうちょっと言うと、新しい時代のいい体験というのを作りたかったんだ。
Toshiyuki Inoko
1977年徳島県生まれ。2001年、東京大学卒業と同時に、チームラボ設立。アニメーターや技術者、建築家、数学者などで構成するアート集団として、アートとサイエンスの境界を横断する作品を制作。「チームラボボーダレス」(東京・お台場)、「チームラボプラネッツ」(東京・豊洲)などを展開する。
チームラボ & TikTok, チームラボリコネクト:アートとサウナ 六本木
会場:TikTokチームラボリコネクト(東京都港区六本木5丁目10-25)
会期:2021年3~8月
主催:チームラボリコネクト実行委員会
協賛:TikTok
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