世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2008年3月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
なにもかも独学で覚えたというのは、ほめるべきこととはいえず、むしろ非難すべきことなのだ
――『ゲーテとの対話』より
あなたになんらかの才能の自覚があり、生涯をかけて大輪の花を咲かせたいと願うのなら、それが絵を描くことでも、文章を綴ることでも、料理を作ることでも、あるいは金儲けであったとしても、独学でやり切ろうとしてはいけない。才能があればこそ、それを開花させるためには先達に師事することが必要なのだ、とゲーテは言う。
この考えの基本は、人類史に沿ったゲーテ特有の俯瞰的なものの見方にある。
それはこういうことだ。およそあらゆる人間の生産的活動は、誰かがゼロから始めた小さなものではなく、永々と続く歴史のなかで受け継がれてきたものである。個々がやるべきこと、いや、やれることは、そこにスプーン一杯分の調味料を加えることに過ぎない。
そしてそれはまた、個人の成長に、人類全体の熟成と発酵を取り込む試みでもある。
たとえを挙げるなら、ゲーテが愛したローマなどどうだろう。ローマは、紀元前から今に至るまで市民たちが可愛がりながら街を引き継ぎ、少しずつ新しさを加味していった歴史の具象化である。だからローマはローマになった。一方で東京は、外国人記者クラブのアンケートで常に「under construction(工事中)」と言われるほど新奇の連続だ。もちろんそれも魅力的ではあるのだが、百年後も残っている建物はどれだけあるのだろうと考えると、消費の早い芸能界のアイドルを見るかのごとく、この国の創作物の底の浅さがちらちらと覗く。
あなたが自らの才能をもって花開こうと思うのなら、当然、一発の打ち上げ花火で終わってはいけない。歴史を受け継ぎ、それをまた次の世代へ手渡す存在として自らを捉え直すのがよい。それは、個人でできることの狭さのなかに住まないことだ。どんな分野の学芸であれ、あなたが道を歩むその前には、何万もの青春、何万もの吐息があった。今を生きて創作をするのは、彼ら彼女らの思いとともに歩むことでもある。
頭を垂れて謙虚にものを学ぶ姿勢には、人類史そのものという最強の味方がつく。
――雑誌『ゲーテ』2008年月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。