世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2010年4月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
太陽が照れば塵も輝く
――『ゲーテ格言集』より
共通一次からセンター試験につながる「満遍なく点を取りなさいよ」的押し付け教育の三十年は、この国の力を萎えさせ、本当の意味でのユーモアの芽を摘み取ってしまった元凶ではないかと私は思っている。いびつさよりも平均的底上げを要求されたことにより、多くの人が、できることよりもできないことを、長所よりも短所を気に病む姿勢になってしまった。
というのが正しい指摘かどうかはともかく(いきなり無責任!)、この国には平均が気になる人が多い。自分がどうであるかということ以前に、まわりはどうなのかを知りたがる。周囲から少しでもはずれると、まるでなにか悪いことでもしたかのように心許なくなる。「みんなはどう言っているの?」「みんなはどうしているの?」と、親もまず子供にそれを訊く。その子の個性を伸ばそうとするのではなく、集団に埋没させる方向にもっていく。
人間はそれぞれが個性的だからこそ、組み合って和を作ることもできる。すべて万遍なく点が取れる人、すなわち個人でなんでもできる人間がいるとすれば、協調がないのだから、それこそが非人間的存在である。そんな人間を目指してどうするというのか?
誰もが欠点を抱えていて、誰もがいびつなのだ。だからこそ形になり得る。別の角度から見れば、誰もがなんらかの才能を持ち、それを活かした日々を送ることで輝ける塵となれる。他者を温めることもできる。
では、いびつな塵を照らす太陽とはなにか? それはあなたの良きところを最大限に伸ばしてやろうとする、いわば本来の親心にも似た眼差しである。うちの親はそうではなかったという人もいるだろうが、もっともふさわしい道を歩ませてやりたいという目で自分自身を見ることができれば、それこそが自愛になる。
じっとしていることができない人は、方々を訪ね歩く仕事を選べばいい。一点にしがみついて熟成していくのがお好みなら、作家として机に向かうことや、研究職もいい。この国を飛び出したいという人は、海の向こうからこの国と結びつく方法もある。
そうした選択はすべて、誰かがやってくれるわけではない。自身を照らす太陽。それは自分のなかにある。日の出を待つな。陽を昇らせろ。
――雑誌『ゲーテ』2010年4月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。