世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2009年5月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
君の値打を楽しもうと思ったら、君は世の中に価値を与えなければならない
――『ゲーテ格言集』より
人はいかなる時に金を手にするのか?
逆から言えば、人はいかなる時に金を払おうとするのか?
金を払うのは、その人が他人にしてもらったことに感謝をした時だけだ。たいへん大雑把な言い方だが、これが経済の大原則。うどんからフレンチに至るまで、「大将、おいしかったよ」と顔がほころんだからこそ客は財布を開く。微妙なところにできたおできをドクターに治してもらった時も、畑で働いてもいないのにスーパーで新鮮な野菜を手にすることができた時も、あるいはベルリンあたりまで飛行機で運んでもらった時も、そんなことは自分一人じゃどうにもならない、してもらって助かったからこそ人は金を払うのだ。
ところがここ十数年、この大原則が崩れたかのように見え、金が金を生む特殊な業界が人の目を惹き付けるようになった。この業界では百年以上も前から、株だの投資だのという言葉が横行していたが、当時はまだそこには人の体温があり、原則からはずれているわけではなかった。ところが世界がネットでつながり、秒刻みのトレーディングをコンピュータが二十四時間休みなしでやるようになって以来、利益のための間隙(かんげき)を衝くことが手法となった。理屈はここで滅んでしまった。人は感謝の分だけ金を払うのですなどと、悠長なことは言ってられない雰囲気だ。金は記号になり、デジタル信号になった。結果、私たちが陥ったのは、価値という言葉の衰退と崩壊である。今どの国でも人は迷っているし、世界は混沌としている。
しかし、敢えて言いたい。混迷の時代だからこそ、原則に戻るべきではないか。どうすれば金になるかと考えるから人はみな迷う。原則通り、どうすれば人に喜んでもらえるだろうかと考えるなら、少なくとも行為に於いて、私たちは迷い人にならずに済む。
あなたの人生を楽しもうと思うのなら、やはりゲーテが言う通り、あなたは世の中に与えるべきだ。他人を喜ばすべきだ。どんな形でそれが支払われるにしろ、入り口はそこにしかない。この頁だって、あなたが読んで下さるからこそ私に原稿料が振り込まれる。
稼ぐことの煩いごとから解放されるためには、労働と対価を複雑なシステムに委ねない方がいい。あなたの行為によって、生きていて良かったと思う人が何人いるのか。ただそれだけのことだ。
――雑誌『ゲーテ』2009年5月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。2015年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。