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2018.08.09

150万部のベストセラー『心を整える。』制作秘話③ 長谷部誠、日本代表引退に寄せて

サッカー日本代表引退を発表した長谷部誠。2011年に発刊された自身の著書『心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣』は、アスリートの著作として初のミリオンセラーを記録、日本中を席巻し、大ブームとなった。この一冊の企画・編集を手がけた雑誌「ゲーテ」編集長・二本柳陵介が、当時を振り返る。史上最高のキャプテンは、どのようにして誕生したのか?

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長谷部選手というサッカー選手の書籍を作るにあたり、一番の弱点は担当の自分だ。

普段は雑誌「ゲーテ」の編集をメインとして仕事をしているので、「サッカー」のプロフェッショナルではない。例えば、戦術などにも精通していない。

サッカーの現場も日程が合えば自分が好きなアントラーズを観たり、国内で行われる日本代表の試合になるべく行くくらいだった。それは今も変わらない。

普段は、多くの企業を取材しつつ、時計やファッション、クルマ、アルコール、レストランといった男性雑誌に欠かせない分野の撮影や取材に出る。スポーツ分野でも、サッカーだけではなく、野球やゴルフ、五輪など、幅広く(ある意味浅く広く)取材をしている。

もちろん、サッカーが好きで、自分が日本サッカーに対してできることとして、「本を作る」ということしかできないので、そこに対する想いは強く持っているのだけれど、想いだけでは当然、いい本はできない。

そこで、当時ドイツ在住で、長谷部選手がドイツに移籍した時から取材を続けていたライターの木崎伸也さんにお願いし、彼と、長谷部選手のマネジャーSさんと、ドイツで長谷部選手に話を聞くことから、このプロジェクトは始まった。

国内では、ご両親を始めとした周辺取材も行った。周辺取材をすることで、生いたちも理解できるのだけれど、本人に対しての質問の選択肢が増えることも、周辺取材の意義の一つなのだ。

自著というのは、当然だけれど、自分をさらけ出すということ。

話を引き出して、目次を作るにあたり、著者に対しては「当然、我々の質問は取材なのだけれど、でも普段の取材とは意味合いが違います。我々はメディアだけれども、それでもやはり自分の考えをなるべく話して欲しいです」。そうお願いすることから始まった。

頭の中で「あ、これは(メディアに)話すのを止めようかな」ということでも、やはり、話して欲しい。その材料を、どう捉えるかは、ご本人と、受け取る側では大きく変わることが多々ある。「自分としては当たり前でも、他人から見たら当たり前ではない」ということもある。

また、話して欲しいからこそ、普段の取材ではできないような突っ込んだ問いかけをすることも数多くあったように思う。

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報道陣に対しても、常に紳士的に対応してきた。©Getty Images

長谷部選手、木崎さん、私の3人で多角的に長谷部誠を分析していった。

現場には、長谷部選手のマネジャーであるSさんも同席した。このSさんは、私にとって本当にありがたい存在だった。彼はもともと、メーカーでマーケティングを担当した後、スポーツマネジメント会社で数人の選手のマネジメントをしていた。長谷部選手も彼の担当だった。

彼は、ちょっと上から目線に感じたら申し訳ないけれど、「話のわかる」人だった。長谷部選手の考えも把握しつつ、時には制作サイドの趣旨やわがままも理解し、絶妙なバランスをとってくれた。長谷部選手とのコミュニケーションも、彼のおかげで円滑だったように思う。

そして、取材を終えた私は長谷部選手の話を元に、「長谷部誠の習慣」を羅列した。最初は65個くらいあったように思うが、それを「55」まで絞った。

ただ、「55」という数字を観て、なぜかプロ野球の「松井秀喜(の背番号)」を想像してしてしまった私は、それを避けて「54」か「56」にしたいと考えた。でも、削ることはどうしてもできなくて、若干強引だったが一つの項目を復活させ、「56」項目をベースに書籍づくりを進めたのだった。

ひとつ加えたのは「レストランで裏メニューを頼む」という章だったと思う。(記憶が曖昧で申し訳ない)

イタリアンレストランで、既存のメニューにあるパスタに、「これに海老を加えられませんか?」と、好物の海老を加えてもらい、長谷部メニューを作ってもらう。街のレストランをも、味方につけることにより、メンタルを安定させよう、という章だった。正直、強引な章だと思ったけれど、どうしても「56」にしたかった。

書籍のタイトルはぎりぎりまで思い浮かばなかった。

あるとき、ドイツのヴォルフスブルクに長谷部選手の練習を観に行った。そこでは、子供と年配の方が30人ほど静かに練習を観ていた。よくあるドイツでの練習風景だと思う。

集団でランニングをしている長谷部選手に向かって、見学していた日本人女性が声をかけた。

「ハセー!」

集団の気の流れが少し乱れた。長谷部選手も顔は前を向きながらも、リズムと心が崩れたように見えた。

「あ、大丈夫かな?」と、少し心配になった。そこから選手たちは、広いグラウンドを一周し、またサポーターの前を通る。戻ってきた長谷部選手の顔はとてもスッキリしていた。

「あ、整った。さっき、崩されていたのに、見事に取り返した!」

ある程度、著名人になると日常生活で乱されることが多々あると思う。遠くからスマホで隠し撮りされたり、新幹線で寝ているのに起こされたり……。

でも、そこでイライラを引きずらずに、すぐペースを取り戻すのかが、とても大事だ(と想像する)。その切り替えの早さは、アスリートにも大事なのだと思う。

長谷部選手は、寝る前にベッドに横たわり、心をケアする時間を作る。それもある意味、「心を整える」作業であるし、大好きなミスターチルドレンの音楽を聴くのだって、同様だと思った。

タイトルは「心を整える。勝利をたぐり寄せるための56の習慣」とした。

「。」は、つんくさんが「モーニング娘。」に対して、「。」をつけていたところからヒントを得ていて、タイトル付けの時には「。」を付けてみるバージョンも考えるようにしている。

特に決まりはなく、自分のフィーリングで「。」は判断するのだけれど。「たぐり寄せる」も「手繰り寄せる」だと硬くなったので、平仮名にした。

発売日は、W杯が終わった2010年6月から、約9ヶ月弱の時を経た2011年3月18日と決まった。

本ができると、何部刷るのか? という部数決定会議、というものがある。幻冬舎の場合は、会議室で見城社長が、担当編集、営業、校閲などから多角的に意見をきき、ゲラや表紙のデザイン、タイトルを見て、部数を決める。

社長はゲラをパラパラめくりながら言った。

「30000部」

この言葉を聞いた私は血の気が引いた。

え、サンマンブ?

周囲もざわめいた。「多いのでは?」という空気だった。

本の初版は、8000部から12000部くらいが相場だ。よほどの人気作家さんではない限り、30000部は刷らない。

いい本ができた自負はあったけれど、「30000部は多い」と思った。多く刷れば、それだけ多くの書店に手厚く配本されるわけで有り難いのだけれど、でも売れなければ、返本のヤマとなり採算は狂う。

でも、その瞬間は努めて冷静に、「わかりました。ありがとうございます」と答えた。

しかし、会議が終わった後には、「(売らなければ)まずいことになったぞ」と思って、用もないのに、トイレの個室に入って、気を落ち着かせたのを憶えている。

その後、校了という最後のチェックが終わった。あとは「発売を待つのみ!」と考えていたのだが、発売のちょうど一週間前である3月11日、東北で震災が起こったのだ。

翌3月12日。長谷部選手のマネジャーSさんから連絡があった。

「いま、自分の本を出している場合ではないのではないか? 延期させられないか?」という問い合わせだった。予約は取り始めていたし、正直「延期は無理だ」と思ったけれど、一応社内に確認した。でも、やはり延期は難しかった。

3月18日、予定通り「心を整える。」が発売となった。

余震などが続き、原発に対する不安があり、心が落ち着かない日々が続く中で、「心を整える」というフレーズが支持され、サッカーファンのみならず、幅広い方の興味を惹き、支持された。

「心を整える。」の表紙の書体デザインや、薄いブルーの色あいがとても落ち着く、と言った声も寄せられた。(※ちなみに、当時の出版界には、あまり青い本は売れない、という説を唱える人もいた)

以降は、テレビや口コミなどから、販売が伸びていき、現在は文庫と合わせて累計145万部まで数字を伸ばしている

長谷部選手は、日本代表を引退した。ワールドカップに3回出場し、そのすべての試合でキャプテンマークを巻いた。

先日、GK川島永嗣選手は言っていた。「マコ(長谷部)は、ロシアで彼自身が後悔しないように、と考えながらひとつひとつの言動を選択しているように見えた」と。

自分のことのみながらず、常に周囲に気を配ったであろう偉大なるキャプテン。

長い間、本当にお疲れ様でした。

終わり

kokoro

TEXT=二本柳陵介

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