東京から電車を乗り継ぎ約3時半。琵琶湖を臨む近江八幡に年間285万人を集める観光スポットがある。その仕かけ人は意外にも、老舗菓子店の“たねや”。若き4代目が見つめる未来を探った。
近江商人の心意気を胸に、今できることは何か
自然豊かな琵琶湖のほとりに位置し、古くから商いの街として栄えた滋賀県近江八幡市。ここを拠点に全国で活躍していた近江商人の考え方は“三方よし”として知られている。「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」という、彼らが大切にしてきた商売の極意だ。自分の利益ばかりを考えるのではなく、人のためになる商いを行う。ともすれば現代人が忘れがちな精神である。
この近江商人の心意気を軸に、菓子業界で革新的な商いを試みる男がいる。創業146年の和菓子店たねややバームクーヘンブームの先駆けである洋菓子店クラブハリエを展開、近年は滋賀県一の集客力を誇る「ラ コリーナ近江八幡」も仕かけた、たねやグループCEOの山本昌仁だ。近江八幡に生まれ、“たねや”という老舗の看板を背負うことになった山本にとって、地域や人のためになる商いは、至極当然のことなのだという。
「“たねや”という名前は地元の人たちにつけてもらった大事な名前です。はじめはとても小さなお菓子屋さんだったのが、今や東京はもちろん、世界中の人々にまで知っていただけるようになった。だから恩返しをしていく。経営のなかで何に重きを置くかといえば、近江八幡の役に立っているかどうかなんです」
2017年の売り上げは200億円。その数字は山本が洋菓子部門のクラブハリエ社長に就任した’02年と比較して、2倍以上という驚異的な伸び幅。順調すぎる右上がりのグラフを横目に、グループCEOとなってからの山本は、あえて地域貢献としてのたねや運営に力を注ぐ。
「自然に学ぶ」 そこに未来の近江八幡が
その象徴的な施設が’15年にオープンした、たねやグループのフラッグシップ店であるラ コリーナ近江八幡。敷地面積約3万5000坪に屋根一面が芝で覆われたメインショップ「草屋根」をはじめ、バームクーヘンやカステラを焼く職人技を眼前で眺められる工房や、できたての菓子が食べられるカフェ。別棟には専門ショップ、オーガニックな農業を実践する田畑などが点在し、東京をはじめ全国から人々が訪れる一大観光スポットになっている。ここで山本がつくろうとしたのは、未来の近江八幡なのだという。
「ただ単にお菓子の城をつくるのではなく、10年後、20年後の近江八幡に何を残せるのか?それを考えたどりついたのは、自然を師匠にして“自然に学ぶ”こと。ラ コリーナとはイタリアで丘。後ろに見える八幡山を借景に自然にふさわしい建物をつくろうと思いました。その考えを形にしてくれたのが、建築家の藤森照信氏だったんです」
とはいえ、藤森氏に任せっきりにはしなかった。店舗の柱には山本と従業員が山に入って切りだした栗の木を使い、土壁塗りや壁に炭を埋めこむ作業にも多くの社員が積極的に加わった。
「今つくったものが数十年経って地域の名物になる。我々がいいと思うものを伝えればそれが将来の近江八幡の姿になると考え、ラ コリーナをつくっているんです」
壮大な夢を頭に描き、実行していく山本。そもそも家業を継ぐという想いは、どのようにして芽生えたのだろうか。
「私が生まれた当時、まだたねやは家族経営の小さい菓子屋でした。身近に工場や菓子づくりをする父や職人さんの姿があり、いずれ自分もそうなるんだろうなと思っていました」
そのたねやのビジネスの幅を飛躍的に広げたのが父親である、3代目の德次氏。しかし家業を継ぐという息子に、経営学や帝王学を叩きこむ父ではなかった。
「高校を卒業後、東京と姫路の先生について10年、和菓子屋での丁稚奉公をしました。菓子づくりというより、師匠のかばん持ちで付き人のような修業。そして、たねやでは餡場で雑用係をしていました」
時代の空気に合わせて、変わらずに変える
厳しい修業の甲斐あって、24歳の時、全国菓子大博覧会で「名誉総裁工芸文化賞」を受賞、たねやの仕事に専念することを許された。しかし本社に入る前に「ひとつの店がきちんとできなければ、全体を見ることはできない」と父に言われ、10年ほど八日市の店舗の上に住みこみ店の経営に専念。その後、本社で常務を経て41歳で社長に就任した。
そんな山本が就任直後に行ったのが、全商品の見直しだった。
「伝統というのは守るものじゃない。続けていくから伝統になる。続けるためには今の時代にあったマイナーチェンジが必要なんです。実際、栗饅頭を昭和初期のレシピでつくると、甘すぎて食べられなかった。でも伝統の味だからとそれに固執したら、お客様は離れてしまいます。だから、たねやの味と感じてもらえる範囲で砂糖の量を減らし、栗を倍増した。“変わらず”に“変える”ことが必要だったんです」
時代の空気を読む。これぞ経営者に最も必要な裁量だ。また山本は率先して従業員の意識を変える試みも行う。例えば“ショップ・イン・ファクトリー”の先駆け、今ではよく見るようになったガラス張り工房の導入もそのひとつ。
「私が子供の頃に感動した1本状態のバームクーヘンが見えるファクトリーをつくり、お客様に喜んでもらおうと思ったら、予想に反して職人たちのモチベーションのほうが上がりました」
働く姿を見てもらうことで従業員の意識や仕事への心意気が変わる。それを見て客も喜ぶ。まさに一石二鳥である。「なじみのある農家さんに従業員を派遣し、収穫などを手伝わせます。作業しながら会話が生まれ、自分らの菓子がこの原料のおかげでおいしくつくれるんだと、身をもってわかるのです」これも和菓子の素材は自然からという、山本の心意気なのだ。
この人は!と思ったからインパクトを与えたかった
優秀な経営者とつながるには時にインパクトが必要。これも山本が商いを通じて学んだ発想だ。時間ができると海外に飛ぶ山本は、気になる企業も積極的に見に行くという。
「従業員が生き生き働く企業や経営者に会うと、刺激になるんです。オリーブオイルやワイン製造するイタリアのカステッロ・モンテヴィビアーノ・ヴェッキオ社(以下CMV社)のロレンツォ氏もそのひとり」
山本がイタリアのウンブリア地方を訪れた時のこと。CO2排出ゼロを目指しながらオリーブやぶどうの木を植え、地域活性とビジネスを両立するロレンツォ氏と出会ったという。
「彼の考えが、自然に学ぶという我々の考えと合致すると確信しました。何より、そこでご馳走になったオリーブオイルをかけたパンのおいしかったこと! 彼とはなんとしてもつながりたい。ならば、インパクトを与えなきゃと思ったんです」
山本は即決。その場でCMV社が保有するオリーブオイルをすべて購入すると申しでた。
「信じてもらえなくとも粘って交渉。コンテナ1台分のオリーブオイルを購入したんです」
大量のオイルの用途など考えていなかった。でも、この商機は逃せないと博打を打ったのだ。「イタリアではどんな食材にもオリーブオイルをかける。それなら塩大福にもいけないか?と、帰国途中に思いつきました」
日本ではスイーツもヘルシー志向。それならばと、小さめサイズの塩大福にオリーブオイルをかけて食べるという、奇想天外な発想を社内に提案した。
「売れるかどうかもわからないし、たとえ売れても利益がでるには2年ぐらいかかると思っていました。ヒット商品は思わぬところから生まれるもんです」
こうして誕生した「オリーブ大福」は、健康志向の芸能人やモデルらが次々にSNSにあげ、販売直後から大ヒットとなった。
「ロレンツォ氏とは年に一度、お互いに行き来して情報交換をする仲です。『滋賀の山本、一度で覚えたやろ?』と聞いたところ、笑って頷いていましたよ」
現在たねやグループは全国に47店舗。売上を見る限り、今後の出店は飛躍的に伸びていきそうだが。
「海外も含め百貨店への出店依頼を多数いただきますが、慎重に対応しています。地方には地方のお菓子の良さがある。うちはあくまで近江八幡のお菓子屋。現状の店舗数くらいが商品の供給を考えたら妥当かと。ただ、’19年に関東圏のフラッグシップになる店舗を計画中、とだけお伝えしておきましょう(笑) 」
近江八幡を愛し、地域活性化を願う山本の想いは着実に前進している。その一例が’17年からのSDGsへの取り組み。また琵琶湖とその周辺の自然環境を京都大学とともに研究する「森里海」の分校設置や、まちづくり会社まっせの設立にも尽力した。
「持続可能な社会を原点に、子供たちが将来近江八幡で暮らしたいと思えるためのまちづくりがしたい。その象徴的な施設がラ コリーナ。会社は神様からほんのいっときお借りしているものと思ってます」
三方よしーー現代に生きる近江商人の姿が、ここにある。
たねやの歴史
アメリカ人建築家W・M・ヴォーリズ氏の家族が店の近くに住んでいた影響で、山本家はいち早く西洋の菓子に触れ、1951年から洋菓子の製造を始めた。中央がたねや初代久吉氏。
※ゲーテ2018年4月号の記事を掲載しております。掲載内容は誌面発行当時のものとなります。
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