空前のパンケーキブームを巻き起こした「bills」。オーストラリアの食文化を日本に広めたビル・グレンジャーがロンドンで新たな“革命”を起こしていた。「世界一の朝食」が世界を制する日も近い!
日本、ロンドン、ハワイ……10年間で13店舗をオープン
フレンドリーな雰囲気は、昔のままだ。貫録を感じるのは、少し伸びたヒゲのせいだろうか。ビル・グレンジャーは、10年前にオーストラリアのシドニーで初めて会った時と変わらない、爽やかな笑顔で出迎えてくれた。
当時、彼は3店舗のカフェを経営していた。「bills」という名のそのカフェは、シドニーらしい開放的で居心地のいい空間だった。スクランブルエッグやパンケーキなどの朝食を目当てに、地元客はもちろん、オーストラリアにやってきたハリウッドスターなども足を運ぶことで、話題になっていた。
いわく「世界一の朝食」。確かにプルプルのスクランブルエッグやリコッタチーズをたっぷり使ったパンケーキは、それまで食べたことのない美味しさだったし、そういった朝食メニューと朝昼晩でメニューを変えるオールデイカジュアルダイニングというコンセプトも新鮮だった。「日本を旅していた時、素敵なカフェやレストランがたくさんあった。それにインスパイアされて、シドニーに気持ちのいいカフェを開きたいと思ったんだ」
そんなふうに語っていた1年後の2008年、神奈川県の七里ヶ浜の海沿いに「bills」の日本1号店がオープン。名物のリコッタパンケーキが大人気となり、日本中にパンケーキブームを巻き起こした。以後、横浜(’10年)、お台場(’11年)、表参道(’12年)、二子玉川(’15年)、福岡(’16年)、銀座(’16年)と続々オープン。どの店も行列ができる人気店となった。
その人気は、日本経由で海外にも波及。’11年以降、イギリス(店名は「Granger&Co.」。3店舗)と韓国(2店舗)、ハワイにも進出を果たした。この10年間に、ビルは世界中で13軒の店をオープン。さらに今年7月にロンドンで4店目、11月には関西初出店となる「bills 大阪」がオープン予定だ。浮き沈みの激しい飲食業界で、これだけのペースで出店しながら、いまだ閉店した店舗がないというのも特筆すべきことだろう。
「成功の秘訣は、スタッフを大切にすることかな。すべての店に僕が足を運ぶことはできない。だから店を任せるスタッフ、チームにハッピーな気持ちで働いてほしい。その気持ちはお客さんに伝わる。だから僕は、スタッフが常にハッピーに働ける環境を作るんだ。そうすれば、みんながハッピーになれるからね」
店の雰囲気を決めるのはお客さん
ビルは現在、ロンドンをベースに“レストランター”として活躍している。レストランターというのは彼が気に入っている肩書だ。10年前のシドニーでは、自らがパンケーキを焼いてくれた。だが、現在ビルがキッチンに立つことはほとんどない。シェフではない。かといって、経営だけを注視するオーナーでもない。レストランをプロデュースし、メニューを考案する。
「お客さんが自分の家のリビングにいるように感じられる店を作りたいというのは、どこでも一緒。でも国や地域によって、“居心地のよさ”は変わる。だがら店ごとに違う雰囲気を作らなきゃならない。この地域は、高級な店が多く、セレブリティも多く訪れます。日本でいえば銀座のような店になる予定だよ」
ロンドン4店舗目となるチェルシーの工場現場に足を運んだ時、彼がそんな話を始めた。
「たとえば七里ヶ浜の海沿いの店と、銀座の真ん中にある店だと客層も、お客さんの気分も違う。僕は新しい店を作る時、どんな人が来てくれるかを想像するんだ。常連はどんな人だろう、初めて来るお客さんはどう感じるだろう。その両方が気持ちよく過ごせて、初めてのお客さんが常連になるにはどうしたらいいんだろうって。店の雰囲気を決めるのは、僕ではなくてお客さん。彼らが仕事に行く前や帰り道に立ち寄りたくなる“箱”を作れば、自然といい店に育っていくと思う」
店作りの基本は、’93年にオープンしたシドニーの1号店から変わることはない。
「スタイルは感じさせるけど、スタイリッシュすぎない。整いすぎた空間では、リラックスできないからね。流行りを追いかけてもダメ。1号店のインテリアは、20年以上経っても昔のまま。でも流行に合わせて作ったわけではないから、古びた感じにはなっていないと思う」
朝7時にオープンしても9時までお客さんが来ない
’11年にオープンしたロンドンの1店舗目となるノッティングヒルの「Granger&Co.」を訪ねた。
平日の朝にもかかかわらず、店内は満員。老若男女、常連風のビジネスマンや家族連れ、観光客風のグループの姿もあった。店の外で席が空くのを待っているお客さんもいる。今でこそノッティングヒルのランドマーク的になったこの店も、オープン当時はかなり苦戦したという。
「朝7時にオープンしても、9時までまったくお客さんが来ない日もあったよ。そもそも数年前まで、ロンドンは『食べるものといえばフィッシュアンドチップス』と言われるくらい、食については不毛の地。でも外国人の富裕層に対する税制優遇措置などを行ったことで、外国からの移住が増えて、その状況が変わったんだ。特にフランスやイタリアといった食にうるさい国民の影響は大きかったんじゃないかな。僕が最初の店を出したのは、ちょうどロンドンのフードカルチャーが変わりつつある時。当時のイギリス人の朝食といえば、ジャガイモか豆とインスタントコーヒー(笑)。どんよりした天気の下では、それくらいがよかったのかもしれない。僕はそれを変えたかった。太陽が溢れるシドニーの気分だけでもロンドンの人たちに届けたいと思ったんだ」
オーストラリア人のビルにとって、ロンドンは特別な街だ。旧宗主国のイギリスの中心。そこで成功することは、彼にとって大きな目標だった。
「朝からお客さんが入るようになったのは、オープンから2~3ヶ月たってから。最初は口コミ、人が人を呼んできている感じだった。最近は、ロンドンでは朝食を“売り”にしたカフェやレストランも続々増えてきた。朝から気持ちよく美味しいものを食べることの楽しさに気づいて、文化として定着してきたんだと思う。ずっとリスペクトしていた国で、友人として受け入れてもらったような気分。すごく名誉に感じているよ」
ビル・グレンジャーは、ロンドンの食文化を変えた。その成功は、日本での経験があったからだと、ビルは語る。
「食は文化。レシピだけではなく文化を伝えることが大事。そのためには相手の文化を知り、国民性を知ったうえでチームを作らなければならない。日本での挑戦と成功は、僕に大きな経験と自信を与えてくれたんだ」
日本の食文化からの影響も大きかったという。
「僕のレシピにも味噌を使ったドレッシングや日本の文化を勉強したからこそ生まれたキムチフライドライスなど、日本でインスパイアされて生まれたものがたくさんあるよ。そして今僕は、ロンドンで毎日刺激を受けている。ここにはアートがあり、エンタテインメントがあり、ファッションがある。そういうところから次のアイデアが生まれてくるんだ」
オーストラリアから日本を経由して世界へ。ビル・グレンジャーの挑戦はまだまだ続く。
「次に行くとしたらアメリカの西海岸、ロサンジェルスかな。ロンドンは天気が悪いから、毎日太陽を見られる場所がいいな」
何年後かはわからない。でも次に笑顔を見るのは、西海岸の太陽の下のような気がする。
いつまでも変わらぬ相棒
愛車は「ミニ クラブマン」。どんなに成功してもハイエンドなクルマに乗らないあたりがビルらしい。
※ゲーテ2017年8月号の記事を掲載しております。掲載内容は誌面発行当時のものとなります。
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