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人気ベーカリーが仕かけるパン文化の変革:木村 周一郎

ブーランジェリーエリックカイザージャポン代表取締役
木村 周一郎

「あんぱん」の発明によって日本にパンを普及させた木村屋總本店創始者・木村安兵衛氏。その子孫が今挑むのは、菓子パンから始まった日本のパン文化の変革だ。アレンジを加えない本場仕込みのフランスパンを武器にした、挑戦の軌跡を追う。


目指すのはパンを軸にしたホスピタリティ産業

重厚な木製ドアを開けると、鼻をくすぐるのは芳醇なバターの香りと焼きたてのパンの匂い。入り口すぐの巨大なオーブンからは焼き上がったパンが次々と取りだされ、ふっくらと香ばしいパンの数々が食欲をそそる。店内には、バゲットに代表されるハード系にクロワッサンといったヴィエノワズリー系、サンドウィッチやパティスリーが整然と、美しく並ぶ。「さあ、どんなパンを買おうか」と思いを馳せるお客さんに、どのパンがどんな料理に合うのか、店員さんが気軽に声をかける。味わう楽しみはもちろんのこと、店にいる間も“選ぶ楽しみ”や“迷う楽しみ”を体感できる。

2001年にオープンした、ここ高輪本店を筆頭に、全国27店舗を展開する「メゾンカイザー」は、ワクワクする気持ちになれるブーランジェリー(パン屋)。その仕かけ人が、代表取締役・木村周一郎だ。

「僕が提供したいのは、みんなが笑顔になれるような空気感。例えば、店で流す音楽は時間ごとにかえ、その時々のお客様の気分に合うように計算しています。パンも美味しいだけではだめ。食べるシーンまで考え抜かれていなければ、店頭には出しません。職人は美味しいパンを焼く、販売スタッフはお客様とコミュニケーションをとる。そしてお客様は、ご自宅でパンのある素敵な生活を体験する。三者が交わって、それぞれ幸せな気持ちになれれば……。目指すのは、パンを軸にしたホスピタリティ産業なんです」

成形は人の手で。

「自分の力を試したい」と家業を継がず、起業を選択

木村が大学卒業後に就職した生命保険会社を辞し、パン業界に転じたのは1997年のこと。前職では法人営業を担当し、実績も上げていた。打ち込んでいた仕事を辞めたのは、「そろそろこっちの業界に来ないか」という父の言葉がきっかけだった。父とは、木村屋總本店6代目社長の木村周正氏(2013年没)。木村は、「あんぱん」の発明で知られる老舗の嫡男なのだ。

ちょうどその頃、日本のパン業界では次世代にパンを理論的に学ばせるためのプロジェクトが立ち上がっていた。木村はそのメンバーの一員として、約2年、アメリカ・カンザス州の国立製パン研究所に留学する。

「僕以外は、大手パン製造会社や製粉所で研究職に就いている人ばかり。バリバリの理系なわけです。かたや僕は、法学部出身。基礎知識がないうえに、自信があった英語も、専門用語になると書けない、読めない(笑)。とてもきつい2年間でした」

そう言いつつも、日本食恋しさに川で魚を釣って調理し、留学仲間と食べたこと、ハーレーを乗り回す猛者とテキーラを飲み交わした話など、当時の思い出を木村は楽しげに披露する。

それは、「すごいパン職人がパリにいる」という噂を耳にして門を叩いたエリック・カイザーの店でも同様。エリック・カイザーはフランス最高峰の国立製パン学校「I.N.B.P.」の指導者を10年間務め、パリで屈指のパン職人として知られる人物。その知名度と同じくらい、彼の店の厳しさもまた有名だったという。勤務は6時から夜19時過ぎまで。少しの甘えもいっさい許されない。「職人としてのスタートが遅いのだから、普通の人と同じように働いていたら追いつかない」と休日も返上した。「最初は言葉が通じないこともあって、周りから意地悪もされました。でも、2ヶ月もしたらすっかり仲良くなって、よく飲みに行きましたね。僕、お酒が強いから、付き合う人は大変。ベロベロで翌日仕事にならなくて、ついには、カイザーからスタッフに『仕事の前日にキムラと飲みに行くのは禁止!』とお達しが出たくらい(笑)」

人一倍努力家で、忍耐強い。けれど、それを前面には出さず、いつも明るく、飄々と振る舞う。そんな木村にカイザー氏も好感を持ち、信頼したのだろう。修業から半年、「日本でパン屋を開くなら、私のパートナーにならないか?」と誘いを受ける。「日本でこういうパン屋さんをやれたら素敵だろうなと思ってはいましたが、パートナーになるなんて考えてもいませんでした。家業を継ぐという道もありましたしね。でも、カイザーのパンに惚れ込んでいたし、自分の力を試したいという思いもあって、起業を決めたんです」

修業時代、カイザー氏(右)と。

1日100本バゲットを焼き、売れるのは10数本だけ

2000年、木村は「ブーランジェリーエリックカイザージャポン」を設立する。「木村家の資本が入ると、起業した意味がない。木村家の助けを借りずに自分の力でやり抜かなければ」と、資金は自分で調達。大手金融機関に断られたため、母方の親戚に借金をし、比較的貸料が安かった高輪に第1号店を出店した。国道沿い、周辺に商店が少なく、お世辞にも賑わいがあるとはいえないロケーションである。しかも、当時パン専門店での売れ筋は、菓子パンやロールパンといったソフトな口当たりのもの。フランス仕込みのハード系は人気がなかった。バゲットをはじめ、「パン屋で売れゆきワースト10に入る商品ばかり(苦笑)」が並ぶ「メゾンカイザー」は、早速苦境に立たされる。「毎日100本のバゲットを焼いても売れるのは10数本。そんな状況が、半年ほど続きました」

木村はパンを焼く一方、店舗にも積極的に出た。そしてある時、年配の女性の接客をする。「そのお客様がおっしゃったんです。『ここにあるパンはおいしそうだけど、どう食べたらいいかわからない』と。そこで、夕食のメニューをうかがうと、肉じゃがと鯛のお刺身でした。だから提案したんです。『肉じゃがは味付けを変えればポトフになるし、鯛はカルパッチョになる。バゲットにぴったりですよ』と」

彼女は翌日も店を訪れた。「昨夜のメニューが家族に好評で、ひさしぶりに食卓で会話が盛り上がった」と笑って。「本当に嬉しかった。そして、心に決めたんです。僕が目指すのは“パンがある素敵な生活”を、日本に根づかせることだと」

祖先・木村安兵衛氏が、明治初期、パンになじみがなかった当時の日本人に受け入れられるようにと「あんぱん」を考案し、パンという食文化を広めたのを思うと因縁めいたものを感じる。

「メゾンカイザー」で1位、2位の人気を争うのは「バゲットモンジュ」(手前)と「クロワッサン」(中左)という、伝統的なフランスパンだ。

「そうかもしれません。木村の家に生まれた僕が、パン業界に何らかの足跡を残せるのであれば、誇らしいですね」

高輪本店が軌道に乗り、300万円だった売上げは、翌年3億円へと急上昇。’04年には「コレド日本橋」にも出店を果たす。同ビルの話題もあって、売上げは1日200万円にも及んだ。「『この勢いで、年商10億にチャレンジだ!』なんて思っていたら、あっけなく夢は途絶えました。社内で派閥みたいなものができて、お客様のほうを見なくなったのが原因。売上げは1日40万円に落ち、主要スタッフが辞めていき……。出店費用も多額だったので、どうやって借金を返せばいいんだと途方に暮れました。日本橋の店を出て、『どのビルから飛び降りようか』と思ったことすらあるくらい」

そんな木村を奮い立たせたのは、業界内でささやかれていた「フランスパンの店なんて成功するはずがない」という言葉。「日本中のパン屋が、僕の失敗を待ち望んでいる。そういう強迫観念めいたものは、アメリカに留学した時からずっと持ち続けていました。でも、そう思いこんでいたからこそ、『ここで逃げるわけにはいかない!』と、自分を奮い立たせられた。僕、めちゃめちゃ負けず嫌いなんです」

人手がないなら、自分が2倍も3倍も働けばいい。木村は高輪本店とコレド日本橋店をかけ持ちし、早朝3時から深夜0時過ぎまで、脇目も振らず仕事に没頭する。休日はなく、睡眠時間が2、3時間ということもざら。その甲斐あって売上げは回復の兆しを見せ始めたが、木村の猛進は止まることがなかった。「今振り返ると、疑心暗鬼になって、スタッフに任せることができなくなってしまったんでしょう。実際、『オレがこんなに一生懸命なのに、どうしてスタッフたちは同じように働いてくれないんだ』と思っていました」

千葉、外房の海には週1ペースで通う。

とことん楽しむ時間が仕事への新たな活力を生む

木村のがむしゃらさは、時に空回りに見えたのだろう。とある人が、アパレルや飲食など幅広い分野で成功を収めている実業家兄弟を木村に紹介。そこで、「経営者と従業員のモチベーションが違うのは当然」「日本向けのアレンジをしない『メゾンカイザー』のマーケットはニッチに見えるかもしれないけど、実はもっと広いかもしれない」といったアドバイスを受ける。「目の前の霧がパーッと開けた気がしました。その言葉にファイトをもらい、前向きな気持ちになれたんです」

6年ほど前からは、週に1度は休みをとるようにもなった。その頃、旧くからの友人に誘われて始めたのがサーフィンだ。

「最初は気が進まなかったけれど、できるようになってきたらすっかりハマりました。海にはケータイは持っていけないし、波と格闘している時は余計なことを考えない。『仕事と隔絶されることで、こんなにリフレッシュできるのか』と、目からウロコで。とことん楽しむ時間も必要だと再認識しました」

サーフィンのために身体を鍛えようとジムに通うようになり、学生時代に没頭したスキーも再開。その“楽しむことに全力を注ぐ”姿勢は仕事にも反映され、スタッフには「まじめにふざけなさい!」と提唱。昨年のハロウィンには、女性プロジェクトチームが考案したリアルすぎる「ゆび」という限定品のパンを発売し、話題になった。

これまで「メゾンカイザー」の店頭に並んだ商品は約700。その開発拠点になっているのが、昨秋自宅に誕生した「テストキッチン」。ここでスタッフと五感をフル回転させ、パン作りに没頭する。

「うちで扱う商品はフランスがオリジナルのものもありますが、気候や風土が違うので、同じ味を再現するにはちょっとした工夫を加えないといけない。例えばバゲット。カイザー独自のルヴァンリキッド(液体天然酵母)を使い、低温長時間発酵するなどフランスと同じ製法は踏まえていますが、小麦粉は日本で独自に調合したオリジナルです」

パンについて語る木村の表情は、真剣かつ生き生きとしている。根っからパンが好き、そして、仕事が好きなのだろう。「好きというか、がむしゃらに働くことは、僕にとって当たり前のこと。昔、スキーの監督に言われたんですよ、『どんなことも“三昧”しろ』って。何であれ没頭し、打ちこむ。仕事もそう、趣味もそう。やるならとことん突き詰めたい」

熱い魂を持つ男は、まだまだ“夢の途中”にいるようだ。

Skiing

スキーを始めたのは5歳の時。学生時代は競技スキーに燃え、年半年近く合宿生活を送ったほど。ブランクを経ても、その腕前は健在。

※ゲーテ2017年5月号の記事を掲載しております。掲載内容は誌面発行当時のものとなります。

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