2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
地域全体で茶を漬け込む“手間借り”文化
前回(茶摘み編)から続く
収穫最終日の翌日、朝9時に上勝町の殿川綾女さんのご自宅を伺うと、すでに阿波晩茶づくりの真っ只中だった。大きなブルーシートの上にあるのは、5日間かけて収穫した野生の茶葉。ここから枝やゴミを取り除き、大きな鍋で茹で、機械で揉捻し、そして漬け込む。重要なのは、茶葉の茹で具合。阿波晩茶づくりは、家族や近所の人も総出で行われるが、茹で具合を見るのは、殿川さんの仕事だ。
「何度のお湯でどのくらいの時間茹でるか決まっているわけじゃないんですよ。葉っぱの具合を見ながら、そろそろかなと思ったらそこで終わり。勘みたいなものかな。私もだれかに教わったわけじゃないんだけど、子どものころから見ているからね。それでなんとなくおぼえたんですよ」(殿川さん)
一家総出で行われる阿波晩茶づくりは、この地域の夏の風物詩。揉捻機や鍋、ボイラーを貸し出す業者の方は、この時期、1日に何軒もまわって阿波晩茶づくりを手伝うのだという。みんなで作業を分担し、手際よく茶づくりが進む。
「近所の人も茶摘みや茶づくりを手伝ってくれるんですが、みんなボランティア。このあたりでは、“手間借り”、“手間返し”といって、お互い忙しいときは助けあうのが当たり前。昔からずっとそうやってきたんです」(殿川さん)
和気あいあいとした雰囲気のなかでのお茶づくり。中田英寿も上勝町のお姉様方と世間話をして楽しそう。ちょうど梅雨明けのあたりで大きなバケツのような桶に漬け込み、お盆が終わるころに取り出す。その間に茶葉が発酵することで独特の風味が生まれるのだ。茹で上がり、揉捻された茶葉がバケツに移されると、まずは長靴を履いた人がこれをギュッギュッと踏んで隙間から空気を追い出す。小山ほどあった茶葉がどんどん桶に入れられていく。最後の茶葉が入れられ、じゅうぶん踏み込まれたところで、茶色くなった茹で汁が注ぎ込まれた。
「石を持ってこようか」。殿川さんの掛け声で、家の裏手から大きな石がいくつも運ばれてきた。殿川家に代々伝わる漬け込み用の石だ。この石をどのくらい積むかも家によって異なるそう。この石の積み方にも殿川さんはこだわる。石の向きや置き方によって、茶葉にかかる圧力が変わってくるのだという。こういった作り方も阿波晩茶が“漬物茶”と呼ばれる所以でもある。殿川家では、他家よりも重い150〜180kgぶんの石を乗せる。
「これで終わり! 4週間くらい待って、天日で乾燥させたら阿波晩茶のできあがりです」(殿川さん)
作業を終え、みんなで冷えた阿波晩茶を飲む。茶摘みから漬け込みまで、殿川さんを中心に地元の方々がとても楽しそうだったのが印象的だった。できあがった阿波晩茶は、近所で交換することもあるそう。
「もちろんうちのが一番おいしいけどね」
阿波晩茶は、この上勝町のコミュニケーションツールとして大きな役割を果たしている。それは、作ったお茶を売って収入を得ることよりもずっと貴重なことのように思えた。
「に・ほ・ん・も・の」とは
中田英寿が全国を旅して出会った、日本の本物とその作り手を紹介し、多くの人に知ってもらうきっかけをつくるメディア。食・宿・伝統など日本の誇れる文化を、日本語と英語で世界中に発信している。2018年には書籍化され、この本も英語・繁体語に翻訳。さらに簡体語・タイ語版も出版される予定だ。
https://nihonmono.jp/