2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。
力強く美しい薩摩切子
日本を、強く豊かな国にする。富国強兵に努めた薩摩藩11代藩主の島津斉彬(1809-58)が遺した美術品が、まるで宝石のように美しいガラス装飾品の薩摩切子だ。 藩の経済力を高め、ひいては日本を豊かな国にするために 、海外への輸出品として藩主肝いりでその製造は始まったという。
「バカラをはじめ、世界には数々のカッティンググラスがあります。それらに比肩する美しさを誇るのが薩摩切子です。無色のガラスに色のついたガラスを重ね合わせ、カットを入れることで描かれるグラデーションと男性的な力強さが特徴です」と言うのは、ガラス作家の頌峰(しょうほう)さん。
鹿児島といえば薩摩切子、というイメージがあるが、実はこの薩摩切子は西南戦争があった1877年(明治10年)前後には技術が途絶えたという意外な歴史を持つ。ゆえに現存する当時の薩摩切子は、その希少価値から高額で取引されている。
「では、いま作られている薩摩切子はいつから作られはじめたのですか?」(中田英寿)
「島津家の系譜を受け継ぐ島津興業が、1985年に薩摩ガラス工芸という会社をおこし、薩摩切子の復元をはじめました」(頌峰さん)
まさにその復元事業が本格的に始まった1986年に頌峰さんは高校を卒業し、薩摩ガラス工芸に入社。薩摩切子の輝きに魅せられ、技術を磨いた頌峰さんは、やがて独立してガラス作家の道を歩み始める。彼の作品は海外の日本領事館からその国への贈答品として二度も起用されたこともあるという。そんな頌峰さんの技術を間近で見学した中田も、特別に切子づくりに挑戦させてもらった。
「グラスの曲面に対して、どう手を動かしたらまっすぐに線を入れることができるのか、これは想像以上に難しいですね。作品を見ていると当たり前のように美しいカッティングが施されていますが、それがいかに高い技術によるものなのか、よくわかります」(中田)
「ガラスに携わって35年目になりますが、いまでも日々その難しさを感じています。直線だけでなく均一な曲線を描き、かつ線の深さは均一でなければいけません。技術を磨くこともさることながら、作品として人に訴えかけるイマジネーションを育むことも重要です」(頌峰さん)
自分が実体験から受けた感動を作品として残したいという頌峰さん。さくらの文様や、 太陽に向けて飛び去つという陽の虫 (てんとう虫)が車のフロントガラスに飛びいた様子など 、作品には数々のモチーフがあらわれる。鹿児島の豊かな風土を幻想的に描き出す作品が、伝統を受け継ぎながら新しい文化を作っていく。
「に・ほ・ん・も・の」とは
中田英寿が全国を旅して出会った、日本の本物とその作り手を紹介し、多くの人に知ってもらうきっかけをつくるメディア。食・宿・伝統など日本の誇れる文化を、日本語と英語で世界中に発信している。2018年には書籍化され、この本も英語・繁体語に翻訳。さらに簡体語・タイ語版も出版される予定だ。
https://nihonmono.jp/
中田英寿
1977年生まれ。日本、ヨーロッパでサッカー選手として活躍。W杯は3大会続出場。2006年に現役引退後は、国内外の旅を続ける。2016年、日本文化のPRを手がける「JAPAN CRAFT SAKE COMPANY」を設立。