東京国立近代美術館「大竹伸朗展」が盛況だ。現代の巨人ともいうべきこの作家が積み重ねてきた仕事を過不足なく見渡せる優れた展示になっている。すばらしい。展覧会は彼の制作の拠点が愛媛県宇和島であることから、愛媛県美術館に、さらにその後、富山県美術館に巡回する。展覧会はお薦めだ。そしてはっきり提案したいのだが、大竹伸朗をもっとよく知るためには直島、豊島、女木島に旅するべきである。連載「アートというお買い物」とは……
美術館の中に収まりきらない、大竹伸朗という才能
大竹伸朗というアーティストはもう40年もの間、第一線を走り続けていて、制作した作品の分量もとんでもなく膨大だ。しかもジャンルは絵画、版画、ドローイング、立体作品、映像、絵本、音、著作物、インスタレーション、さらには建物規模の作品まであるので、どこをどう捉えていいものか、どんな作家と捉えるか観る人によって変わってくるかもしれない。
文章の巧みさとセットといえるのだが、話の面白さと人を引き込む能力も飛び抜けていて、誰でも彼の話に吸い込まれてしまう。
1980年代初めに華々しくデビューし、近年では世界有数の現代アートの祭典ともいうべき「ドクメンタ」(2012年)と「ヴェネツィア・ビエンナーレ」(2013年)、どちらのイベントにも重要な作家として招かれた。
その大竹伸朗の大規模な個展が東京国立近代美術館で2023年2月5日まで開催されている。この展覧会は愛媛県美術館、富山県美術館に巡回する。40年以上、たゆまない志と情熱とエネルギーで作ってきた作品は多くの人を魅了する。若い人たちからしたら、こんなアーティストがいたのかという驚きを持って、見るだろうし、たとえば僕など大竹さんと近い年代なので、20代の頃から彼の作品を見てきた。佐賀町エキジビットスペースや西武美術館での展示は本当に鮮烈だった。どちらのスペースも今はもうないけれど。
さらに、2012年、ドイツ・カッセルで開催されたドクメンタ13。会場となった公園の一角で、大竹さんの小屋(現在、東京国立近代美術館「大竹伸朗展」に展示されている)はひときわ異彩を放っていた。翌2013年のヴェネツィア・ビエンナーレには40年間つくり続けているスクラップブックを全部持っていって、ガラスケースを満たしていた。それは時間の標本、たった一人が放出した情熱の標本だった。
物心ついたときから現在まで、起きているときも眠っているときも(なぜなら夢までも作品にしてしまうのだ!)全部の時間を芸術に捧げたこの大竹伸朗という全身アーティスト。そんな彼の聖地が直島と周辺の島なのである。
それらの島には大竹の作品がいくつも点在している。しかもそれぞれがすべてユニークで、基本いつでもそこに行けば見ることができる。東京やその他の街で展覧会が開催されたら、もちろん見に行きたいけれど、ここ直島に来れば、必ず大竹作品と出合える。
1:《直島銭湯「I♥湯」》
そんな聖地、直島にあって、まず特筆すべきは《直島銭湯「I♥湯」》。実際に入浴できる美術施設、美術作品である。よく、作品としてのホテルとか、最近はサウナもあるけれど、銭湯全体が作品というのは珍しい。
直島のメインの玄関口である宮浦港の近くにあって、路地を少し進むとこれが突如現れる。外観を見るだけで、あ、これは大竹さんの世界だ、と惹きつけられ、わくわくする。内装ももちろん、タイルによる風呂絵やモザイク画、トイレの中まで大竹ワールド全開。
風呂に入ることが美術鑑賞というここだけの特別な体験をしてほしい。開館時期、時間帯などは公式ウェブサイトで確認のこと。
あるとき、「銭湯に興味があるか?」と聞かれた大竹さんは軽く考えて、銭湯の壁のペンキ絵とかの注文だと思ったらしい。興味がある、やりたいと考えたものの、まさか、更地に建物を建て、銭湯を丸ごとつくる仕事だとわかるまでには少し時間がかかった。そのときのことを文芸誌の連載エッセイで書いている。のちに単行本に所収。
「男湯用女湯用『ペンキ絵計二点』ではなく、『銭湯施設』丸ごと? このオレが? 建築ド素人の私に? ……寸前まで能天気に商店街の建物を眺めつつペラッと頭に浮かべていた『富士山のペンキ絵』のイメージは、いつの間にか宙に舞う無数のタイルと共にカクカクと広がっていき、子供の頃しばらく通った『銭湯』が奇天烈な建築物に姿を変え、アッという間に脳内に組み上がっていった。」(大竹伸朗『ビ』新潮社)
2:家プロジェクト「はいしゃ」《舌上夢/ボッコン覗》
大竹さんは日常的にやってることなのだが、印刷物やゴミなどを集めて、スケッチブックに手慣れた感じでコラージュする。だから、廃材や用済みになったオブジェを集積し、コラージュをするかの如く、建物を作り上げてしまうのも同様の行為のようだ。
「家プロジェクト」というのは空き家となった建物などを利用し、かつて人々が住んでいた、あるいは使っていた記憶を綴りながら、美術作品として仕立てていくもので、これまでにも何人もの作家がそれぞれ優れた作品を生み出してきた。そのプロジェクトの一つとして、大竹さんは、家プロジェクト「はいしゃ」《舌上夢/ボッコン覗》を手がけた。
かつて、歯科医院兼住居であった建物を作品化している。家の中に、平面作品や立体作品を織り込んでいる。これは立体スクラップブックというか、見る者が大竹さんのスクラップブックに入り込むような作品。タイトルの「舌上夢」とは、何かを口にしている時、味や匂いなどの感覚からたどる夢の記憶のことだそうで、「ボッコン覗」というのは備え付けられた潜望鏡のような設備からである。
この建物には不釣り合いの巨大な「自由の女神」が押し込まれている。FRPで出来ていて、かつては新潟のパチンコ店の目印として設置されていたが、その役目を終え、宇和島にある大竹さんのアトリエにやってきた。ある展覧会で展示しようと考えていたが、輸送が間に合わなかったり、それでは次の展覧会にと思ったら、今度は展覧会自体が中止になったり。何年もの間、宇和島のアトリエの横でブルーシートにくるまっていた彼女が結局、日の目を見たのは、2006年、東京都現代美術館で開催された「全景 1955-2006」展だった。
「当初新潟のパチンコ店に設置されていた『自由の女神』像は、宇和島での十年近い紆余曲折を経て、半年間の修復後、『女神の自由』という作品として『全景』展吹き抜け会場に設置された後、最終的に瀬戸内海の直島の元歯科医者家屋を終の住処とすることになったのだ。『女神』としてはかなり迷惑な話には違いないが、なかなかいい神様の運命とも言える」(大竹伸朗『見えない音、聴こえない絵』新潮社、ちくま文庫)
建物の中に閉じ込められた巨大な自由の女神のオブジェを見ると、スケール感に戸惑い、やはりわれわれは大竹さんのスクラップブックの中で遊んでいるのだ。いや、われわれはスクラップブックに呼ばれた一つのピースになってしまっているのだ。
3:《シップヤード・ワークス》
東京生まれ、東京育ちの大竹さんが縁を得て、愛媛県の宇和島に制作と居住の拠点を移したのだが、その地で造船所に置かれていた漁船の木型を見つける。漁船をつくってしまった後は用済みになったそれに大竹さんは興味を覚え、船をつくる工程をたどりながら、作品を制作していった。
4:《針工場》
こちらは直島ではなく、豊島の家浦岡集落だが、操業を停止して30年ほど経ったメリヤス針の製造工場だ。
そこに、宇和島の造船所で結局、船をつくるための本来の役目を果たすことなく約30年間放置されていた、鯛網漁船の船体用の木型を設置した。豊島と宇和島という離れた場所で、工場と木型、それぞれがたどった、似たような時間があった。それらがなぜか、サイズ的には奇妙に合致した。
5:《女根/めこん》
こちらはまた別の島、女木島にある休校中の女木小学校の校庭に設置された作品。「女根」とは女木島からの「女」と生命力の象徴としての「根」から名付けられた。この場所が女木島の憩いの場所として根付いていく願いも込められているそうだ。
伸びやかに育つ熱帯的な植物と原色で着色されたオブジェや建物の一部が独特の絵画世界というか、コンポジションを展開している。
色のついたアクリルを透過する光。原色で塗られた建物との組み合わせを見ながら、光までもコラージュの材料にしてしまい、トリップ感を味わわせてくれる大竹さんの作品。この場所まで辿り着いたからこそ得られた高揚感が襲う。
われわれは大竹伸朗作品を美術館で見る機会が多いし、それはそれで感動するのだが、はっきり言って彼の才能はとても美術館の中に収まるものではない。機会をつくって、直島、豊島、女木島を訪れ、彼の真価を見ることが必要なのである。
問い合わせ
ベネッセアートサイト直島 https://benesse-artsite.jp/
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。東京都庭園美術館外部評価委員。
■連載「アートというお買い物」とは……
美術ジャーナリスト・鈴木芳雄が”買う”という視点でアートに切り込む連載。話題のオークション、お宝の美術品、気鋭のアーティストインタビューなど、アートの購入を考える人もそうでない人も知っておいて損なしのコンテンツをお届け。