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2024.09.06
キリスト教の「聖人」=日本の「八百万の神々」? どの宗教にも存在する「聖人」という存在
キリスト教の「聖人」たちについて知れば、歴史だけでなく、教義や宗派の秘密までも読み解くことができる。『キリスト教の100聖人』から一部を抜粋してお届けします。
どの宗教にも存在する「聖人」
キリスト教の信仰世界には、「聖人」が存在する。
2月14日はバレンタイン・デーだが、バレンタインはヴァレンティヌスという聖人に由来する。クリスマスにつきもののサンタクロースも、もとはニコラウスという聖人であったとされる。バレンタイン・デーもクリスマスも、キリスト教以外の世界にも広がっているので、聖人もキリスト教の枠を超えたと見ることができる。
キリスト教の聖人は「聖者」とも呼ばれるが、カトリック教会では、神を「崇拝」(英語では worship)することと、聖人を「崇敬」(同じく veneration)することを区別している。したがって、聖人を崇めることは、聖人崇拝ではなく聖人崇敬と呼ばれる。
聖人はキリスト教に限らず、どの宗教にも存在する。聖人は英語では saint だが、その訳語として用いられた漢語の聖人ということばはもともとは儒教の概念である。儒教の聖典の一つである「易経」の繫辞上伝には、「易に聖人の道四つ有り」といった形で登場する。
儒教における聖人は、「知徳が最もすぐれ、万人が仰ぎ師表とすべき人」(『広辞苑』第五版)を意味する。具体的には、理想とされる古代の尭や舜といった皇帝、そして儒教を開いた孔子などが、ここで言う聖人である。
仏教では、聖人を「しょうにん」と読み、悟りを開いた高僧を意味する。法然聖人や親鸞聖人などである。日蓮の場合になると、信仰者からは日蓮大聖人と呼ばれることが多い。
イスラム教にも、聖人に対する信仰があり、とくに聖人を葬った廟(死者を祀る宗教施設)が対象になってきた。イスラム教のような一神教では、神だけが信仰の対象であり、それ以外の存在を信仰の対象にすることは本来なら禁じられている。したがって、イスラム教の知識人からは批判されてきたが、聖人廟に対する信仰は盛んで、現在のイスラム教においても、聖人崇敬は人々を救う上で重要な役割を果たしている。
聖人は日本の「八百万の神々」?
キリスト教は、イスラム教と同様に、ユダヤ教の伝統を引き継いでいる。ユダヤ教においては、モーセに下された「十戒」があり、そこで神は、自分以外の神を信仰の対象にしてはならないと厳しく戒めている。キリスト教では、初期の段階において、神と神の子イエス・キリスト、そして聖霊からなる「三位一体説」が教義として確立された。
このうち聖霊をいかなるものとしてとらえるかはかなり難しい問題だが、聖母マリアは聖霊によってイエスを身籠もったとされるので、聖霊は神の働きとして考えることができる。だが、神の他に、神の子や聖霊が信仰の対象になるということは、多神教に道を開くものだと解釈することもできる。
神の絶対性が強調されると、その存在は、一般の信者からは遠ざかってしまい、かかわることが難しくなる。その際に、聖人が信者の抱える具体的な悩みや問題を解決し、日常の生活を守護する存在として浮上する。日本の神道では、八百万の神々が信仰の対象になっているわけだが、キリスト教の聖人もこうした日本の神々と同じ役割を果たしていると見ることもできる。
キリスト教の世界は、カトリック、正教会、プロテスタントに大きく分かれるが、他に、カトリックとも正教会とも立場を異にする「東方諸教会」(シリア正教会やコプト正教会など)や、典礼は正教会のやり方に従うもののローマ教皇の権威を認める東方典礼カトリック教会、プロテスタントではあるもののカトリックの影響が色濃い「聖公会」などがある。プロテスタントについていえば、こちらはさらに多くの派に分かれている。
そのなかで聖人崇敬を認めているのは、カトリック、正教会、東方諸教会、東方典礼カトリック教会、聖公会、そしてプロテスタントのルター派である。プロテスタントの多くは、聖人崇敬を認めておらず、むしろそれを否定する。
「聖人を認定するための仕組み」がある
では、聖人はいったいどれだけの数存在するのだろうか。
キリスト教には、「聖人暦」、あるいは「聖人カレンダー」というものがある。そこでは、それぞれの日に関連づけられた聖人が列挙されている。そして、誕生日に関連づけられた聖人が、その人間の「守護聖人」になる。
ただ、同じ日に何人もの聖人が関連づけられていて、365人をはるかに超える。派によって認められた聖人は異なっており、全体の数を明らかにすることがそもそも難しい。それでも、数千人の聖人が崇敬の対象になってきたと考えられる。
現在のカトリックの場合には、聖人を認定するための仕組みが整えられている。聖人として認めることは「列聖」と呼ばれる。死後に列聖の可能性のある信仰者に対しては調査が行われることになるが、それが開始されると、対象者はまず「神のしもべ」と呼ばれる。次に要件を満たすと「尊者」と呼ばれる。列聖の作業を担うのは、1969年に創設されたバチカンの「列聖省」で、その前身は1588年に生まれた「礼部聖省」であった。
尊者の次の段階が「福者」で、福者と認められることを「列福」と言う。教えに殉じて亡くなった殉教者の場合には、無条件で福者として認められるが、信仰を貫き通したものの、それでは亡くならなかった「証聖者」については、列福の条件として、奇跡を最低一つ起こしたことが求められる。
奇跡のなかには、死後遺体が腐敗しなかったとか、祈りを捧げた人間の病を癒したといったことが含まれる。調査委員会が、本当に奇跡が起こったのかどうかを調査する。調査委員会には医師も加わり、医学的に証明できない治癒であることをもって、奇跡と認められることになる。
調査によって、福者としての条件が整っているとされれば、列聖省の枢機卿委員会に諮られる。枢機卿は、ローマ教皇の最高顧問で、教皇によって任命される。ローマ教皇が亡くなったり、生前に引退したりした際に新しいローマ教皇を指名するのも枢機卿たちの役割である。
福者が聖人として認められるためには、列福の後、さらにもう一つ奇跡を引き起こしたことが条件となる。これについても調査が行われ、条件を満たしていると判断されれば、教皇が列聖を宣言し、列聖式はバチカンのサン・ピエトロ大聖堂で盛大に執り行われる(こうした手続きについては、主にカトリック中央協議会の公式サイトにある「尊者・福者・聖人とは?」を参考にした)。
殉教者が「信仰者の模範」とされる背景には、キリスト教迫害の歴史
福者や聖人の条件として殉教があげられていることは、キリスト教の本質と歴史が深くかかわっている。キリスト教はイエス・キリストによる宣教活動からはじまるわけだが、イエスの教えは「福音」と呼ばれ、それを広めていくことがキリスト教の信者のつとめとなった。布教が信者に義務づけられたわけである。
布教活動を展開したことで、次々と新しい信者が生まれていくならば、問題はない。だが、布教対象となる人々は、すでに別の信仰を持っている可能性が高く、異なる信仰の間では対立が起こりやすい。やがてキリスト教はローマ帝国のなかに広がっていくが、迫害を受け、多くのキリスト教信者が命を落としたとされる。
その実態については必ずしも明らかになっていないことが多いのだが、当時のローマ教会は、多くの殉教者が生まれたととらえ、彼らを信仰者の模範として、その価値を高く評価し、聖人として崇敬の対象としたのである(ローマ帝国におけるキリスト教に対する迫害については、松本宣郎『ガリラヤからローマへ 地中海世界をかえたキリスト教徒』講談社学術文庫 に詳しいが、著者は迫害の事実にかんしてかなり慎重である)。
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