師匠か、恩師か、はたまた一生のライバルか。相思相愛ならぬ「相師相愛」ともいえるふたりの姿をご紹介。連載「相師相愛」第65回は、起業家と建築家。
ジンズホールディングス代表取締役CEO 田中仁が語る、藤本壮介
建築好きな方に「若くてまだ実績はないけど面白い建築家がいる」と紹介してもらったのが、19年前。でもその時は、お願いしたプロジェクトが途中で止まってしまった。後に前橋の兄の家を設計してもらいましたが、借りがある気持ちが残っていて。ただ、お願いするからには藤本さんの個性が活きる仕事を、と思っていたのです。
前橋の老舗・白井屋旅館を改修する話が決まった時、真っ先に浮かんだのが藤本さん。行政と街のビジョンづくりから始める大プロジェクトを手がけながらになりましたが、新たなアートと食文化の発信の場を造れたと思います。毎月会議を繰り返し、6年半かかりました。ホテル建設ではありえない長さですが、起業家としては取り組んだら必ず成果を出したいのです。
類いまれなるクリエイティヴィティを持っていると、難しさもある場合が多い。でも、藤本さんは同時に多様な意見を包みこむ懐の深さも持っている。両方を備えている人というのは、なかなかいない。稀有な人だと思っています。
建築家のなかには個性を前面に出すことで評価につながってきたところもありますが、これからは多様性をどう受け入れ、コラボレーションできるかが重要な時代になっていくと感じています。新しい建築のあり方という意味でも、藤本さんには白井屋ホテルで新境地を切り拓いてもらうことができたと思っています。
藤本さんは白井屋ホテルだけでなく、僕の故郷・前橋の街全体のクリエイティヴィティを牽引してくれている人でもあります。そのクリエイティヴィティで、これからもまだまだ一緒に伴走してほしい。面白いことをやっていきましょう。
建築家 藤本壮介が語る、田中仁
「白井屋ホテルを引き取ったので、やってくれない?」と電話がかかってきて、「やります」と即答しました。田中さんは前橋市の活性化活動に携わっていて白井屋ホテルもそのひとつ。歴史的な建物なので残して改修したい、ということでしたが、現地で見たら予想外に普通の建物で。大きく動きだしたのは、前橋のまちづくりのビジョン「めぶく。」が決まってからでした。
建物を残しつつ、特別な場所にしたいという思いに応えるにはどうするか。思い立ったのは、例えば床を半分抜いて、大きな吹き抜けにすること。でも、そうすると床面積が減って、ホテル経営は厳しくなる。ところが田中さんは、「面白そうだね」と。しかも、いつの間にか、いろんな人がどんどん巻きこまれていって。機が熟すまで時間もたっぷりかける。素晴らしいものにする、と絶対にぶれないわけです。
たくさんの学びを得ましたが、なんといっても誰よりも楽しそうに仕事をされている姿が最も印象に残っています。大事ですよね。
直感力が強くて、ズバッと物事を進めていって、どんどん人を巻き込んでいく。一緒に仕事をしていると、ああ昔の豪族とか大名って、こんなふうにして勢力を大きくしていったんだろうな、なんてことを感じました。そのくらい迫力がありました。
白井屋ホテルは高い評価をいただいていますが、ひとりでは絶対に設計できなかったと思っているんです。いろんな個性が入って、それが多様なまま、ほどよく調和した、なんともいえない空間が生まれました。僕自身、たくさんのインスピレーションをもらいました。またご一緒できるのを、楽しみにしています。
Hitoshi Tanaka (右)
1963年群馬県生まれ。’87年に起業、2001年にアイウエア事業に参入。’13年群馬県の地域活性化支援のため財団を設立。老舗の白井屋ホテル再生が話題に。
Sou Fujimoto(左)
1971年生まれ。大学卒業後から設計活動に勤しむ。2008年児童心理治療施設で日本建築大賞受賞。’21年白井屋ホテルが海外アワードを多数受賞。