依頼主の要望を聞き、熟練の技をもって「想いを形に」する。時に自分でも商品化するのが“椅子モデラー”。70年の経験を持つ、椅子づくり職人の謦咳(けいがい)に接する機会を得た。
「座ることは本来、気持ちのいい官能的な行為なんです」
椅子モデラーの第一人者、伝説の椅子張り名人、椅子の神様……。宮本茂紀さんにはさまざまな尊称がある。15歳で東京・深川の家具職人の徒弟となり椅子の修復から学ぶ。御年84歳の今も皇室をはじめ、多くの難しいオーダーをこなす職人として、第一線で活躍中だ。
職人気質の気難しい感じはいっさいなし。品川の戸越銀座商店街にほど近い「ミネルバ」の工房で宮本さんは柔和に語り始めた。
「1970年代に、自分で“椅子モデラー”と名乗り始めました。日本でのライセンス生産を請け負うために伊ミラノ郊外のアルフレックス社で修業する機会を得たのがそのきっかけ。クリエイターがどういうものをつくりたいかを理解し、現場の職人との間を取り持って形にする。そんなモデラーが、イタリアでは確固たる地位にありました。デザイナーや顧客の意図を汲みつつどう具現化するかを考え、試作開発するのは知的刺激に富む。これをライフワークにしようと」
帰国後、仕事の幅は大きく広がり、JR東日本の新幹線つばさ、こまちや夜行特急カシオペアの椅子、日産自動車のコンセプトカーの内装、初代レクサスLS(トヨタ セルシオ)のシートなどを監修。オカムラ、コクヨなどオフィス家具メーカーからも声がかかったという。
倉俣史朗、フィリップ・スタルク、ザハ・ハディド、隈研吾、佐藤卓、といった著名なクリエイターや建築家たちとともに仕事をし、工業製品ではない、特別な椅子も数多く手がけた。
「個人の特注椅子、家具もずいぶん手がけましたよ。既製品では満足できないリッチなおばあさんからの注文が印象的だったな。何しろ相手は時間がたっぷりあるから、打ち合わせが多く時間も長くなったり。要望を聞きつつソファやダイニングテーブルの椅子を楽しく誂えました」
音楽家・演奏家のための快適なビスポーク椅子
宮本さんが今温めている企画が音楽家のための椅子。バンド『渋さ知らズ』のベーシスト、不破大輔さんとの出会いがあり、コンサートでコントラバスを弾く際に座る最高の椅子づくりを仕立てている。不破さんが語る。
「ミュージシャンは長時間椅子に座るうえ、楽器や曲によりそれぞれ独特の姿勢をとります。私は腰痛・首痛持ちで、もうやめてしまえと思うくらい身体がボロボロでした。でも、演奏する時の姿勢や身体の捻りを見てもらい、持参した椅子の座面と足置き部分を作り替えただけで、全然座り心地が違う。いろいろ試してみるけど結局この椅子に戻ってくる。最高の音を奏でられるんです。今は演奏者用のビスポーク椅子を宮本さんと一緒につくっていけたらと願っています。交響楽団でも汎用のパイプ椅子に座ってる人をよく見かけるので」
宮本さんは最後にこう語った。
「用途によって椅子の形態は変わります。私の経験値を生かして調整・設計すれば、椅子の座り心地は劇的に変わる。人間工学の数値では測れぬ人に優しい椅子をまだまだつくりたい。座ることは本来、気持ちいい=官能的な行為なんです。座る人に快感をもたらす椅子をデザインし、製作する、これほど面白い仕事はありません。だてに70年やってませんから。モデラーとしての魂と技術を伝えた息子と100まで椅子づくりを続けたいですね」
椅子モデラー 宮本茂紀
1937年静岡県生まれ。中学卒業後、東京・深川の斎藤椅子製作所で修業し椅子張り職人として活躍。’66年に五反田製作所、’85年ミネルバ創業。現在も代表取締役を務める。
MINERVA
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