本連載「コロナ禍のアスリート」では、まだまだ先行きが見えないなかで、東京五輪に挑んだアスリートの思考や大会開催の舞台裏を追う。
エース不在の中、格上を次々と撃破
東京五輪で女子バスケットボール日本代表が世界を席巻した。1976年モントリオール五輪の5位を上回る史上最高成績となる銀メダルを獲得。男女通じて初めて表彰台に立ち、トム・ホーバス監督(54)「スーパースターはいないが、スーパーチーム。最高のステージで日本のきれいなバスケを見せることができた。日本のバスケは新しい時代に入る」と誇った。
大会前の日本の世界ランクは10位。1次リーグを2勝1敗で2位通過し、決勝トーナメントでは準々決勝でベルギー(世界ランク6位)に86-85、準決勝でフランス(同5位)に87-71と格上を次々と撃破した。決勝では1次リーグで敗れた米国(同1位)と再戦。五輪55連勝で7連覇を達成した絶対女王に75-90で屈したが、堂々たる戦いぶりを見せた。
歴史を動かしたチームにスターはいない。今大会は身長1m93cmのエース渡嘉敷来夢(30=ENEOS)がケガでメンバー落ち。平均身長1m76cmは、出場12チーム中2番目に低い。インサイドに選手を配置しない5アウトのシステムを採用し、3点シュートと、成功率の高いペイントエリア内にシュートを集中させる戦術を徹底。中間距離の"ロング2"を極力減らした。
3点シュートの1試合平均は試投数31.7本、成功率38.4%ともに出場12チームでトップ。全6試合で35本中17本成功の林咲希(26=ENEOS)、44本中19本成功の宮沢夕貴(28=富士通)らシューター陣はもちろん、センターの高田真希(31=デンソー)が13本中7本成功するなど、誰もが外から打てるのが最大の武器だった。
サイズの不利を補うため、頭も徹底的に使った。100を超えるフォーメーションを全選手が記憶しており、相手や戦況に応じて臨機応変に使い分ける。試合日の午前練習で新たなフォーメーションが加わり、実際に試合で採用されることもあった。3点シュートを量産できたのも、多彩な引き出しがあったからだ。相手との角度や距離に数cm単位までこだわる守備も機能。
高田主将は「練習は心拍数的にも頭的にも、そうとうきつい。守備練習は数cmでも要求と違えば何度でもやり直させられる。正直、試合の方が全然、楽」と笑う。
日本語堪能の米国人監督のもとで結束
米国人のホーバス監督は女子日本代表史上初の外国人指揮官。1990年に来日し、トヨタ自動車でプレー。選手をしながら会社員として日中にはオフィスワークもこなした。1年目から活躍して4年連続得点王を獲得。日本での活躍が評価され、'94年にはNBAホークスと契約し、2試合に出場した。現役引退後は米国のIT企業への就職などを経て、'14年に女子日本代表のアシスタントコーチに就任。'17年1月に監督に昇格した。
就任会見で「東京五輪の決勝で米国に勝って優勝することが目標」と宣言。当時は夢物語と周囲から笑われたが、目標達成まであと1歩に迫った。'90年に日本人女性と結婚して2人の子供がおり、日本語は堪能。細かい表現が分からないこともあるが「自分の言葉の方が気持ちは伝わる」と通訳は使わない。
選手から「トムさん」と慕われる熱血漢は「世界一の練習をしてきた。米国のチームではこんなに厳しい練習はできなかったと思う。日本のチームは厳しいことを言ってもついて来てくれる」と4年半の道のりを振り返った。
銀メダルの快挙を受け、日本バスケットボール協会は報奨金の上乗せを決定した。規定では金500万円、銀300万円、銅100万円、4位50万円だが、金メダルに値する躍進と判断。特別報奨金200万円をプラスして500万円を贈る。三屋裕子会長(63)は「敬意を、少しでも形にできたことを、心より嬉しく思います」とコメントした。
米国撃破と金メダルの夢は2024年パリ五輪に持ち越された。一躍注目を集めているバスケ女子のメジャー化への熱を一過性のブームで終わらせないためには、ここからが正念場。研究された先をいく戦術や育成環境の整備など日本バスケ界の総力が試される。