1972年の設立以来、一貫して日本(福井県・鯖江)製の高品質なアイウエアを生み出し続ける「EYEVAN」。その眼鏡をかけた熱き男たちを写真家・操上和美が撮り下ろす連載「男を起動させる眼鏡#31」。
PERSON 31
『京都𠮷兆』総料理長/徳岡邦夫
「きちんとピントが合った日本料理の美味しさを広げていきたい」
伝統を背負いながら、料理を通じた海外への日本文化の発信、未来に向けたサステナブルな食のあり方を追求する――日本料理『京都𠮷兆』の総料理人として弛まぬ研鑽を続ける徳岡邦夫氏。今回選んだ眼鏡は、今や珍しくなったセルロイド製のボストンタイプだ。イメージしたのは陶芸家であり美食家としても知られた北大路魯山人だという。
「こういう丸いデザインは、普段はかけないんです。いつも場に応じて眼鏡を使い分けているんですよ。大事な商談の時は真面目に見えるよう金属製のフレームを、というふうに。そういうことを考えずに選ぶなら、北大路魯山人がかけていたような眼鏡にしたら面白いかな、と」
幼い頃から視力は決してよくなかったが、いわく「ヤンチャというか、アクティブというか(笑)」な性格も相まって、20代で必要に迫られるまで眼鏡はかけずに過ごした。
「仕事でクルマに乗らなければいけなくなって、きちんとかけるようになりました。流行りのデザインのものだったりスタンダードな黒縁だったり、いろんなデザインのものを試しましたね。1983年に東京に出て、そこで出会った人がかけていた銀色の細いフレームのものがカッコよくて、同じものを探してきたこともあります」
試行錯誤はデザインだけではない。
「いつも眼鏡屋さんで合わせてもらった後、自分なりに加工するんですよ。眼鏡屋さんが『いい』と思うところと、自分にしっくり来るところがちょっと違うんです。アクティブなもので……(笑)。鼻あての高さを調節したり、フィットするところを探していろいろ試しています」
良しとされるものに安座せず、オリジナルな最善手を求める姿勢は、仕事にも通底している。
「普通だと思っていたことが、海外に行ってみると異端だとわかったりすることがありますよね。日本料理もそうです。炭を使うこと、生で食べること、どれも独特の文化で、厨房の造りひとつとっても全然違います。僕自身が海外のシェフと交流を持つなかで、そこに気がつきました。日本料理のよさや表現の企図を発信してきた結果、世界中に広がりつつあるけれど、少しピントがずれたものも生まれてきています。もう一度、きちんとピントが合った美味しさを広げ、さらにそれをサステナブルなものにしていくためにはどうしたらいいか。今取り組んでいる課題のひとつです」
Kunio Tokuoka
1960年大阪府生まれ。『𠮷兆』創業者・湯木貞一氏の孫にあたり、20歳で本格的な修行を始め、湯木氏に学ぶ。’95年より『京都𠮷兆』総料理長として現場を指揮し、2009年に京都𠮷兆の代表取締役社長に就任。’08年にはG8(洞爺湖サミット)にて社交晩餐会を担当するなど、国内外を問わず多くのイベントに携わる。
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