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駿河の味を世界に届ける魚店5代目の“矜持”:前田 尚毅

サスエ前田魚店5代目
前田 尚毅

一見、何の変哲もない地方の魚店だ。だが国内外の一流料理人がこの店で魚を買いつける。その男の技術、知識、そして情熱。すべてが桁外れ。焼津に生まれ、焼津で育ち、誰よりも焼津の魚を食べてきた。前田尚毅の“魚屋哲学”に迫る。


料理人の目になって市場の魚を見る

静岡県焼津市の「サスエ前田魚店」5代目の前田尚毅は、24時間365日のすべてを仕事に捧げている。夕方6時に閉店すると、配送分の魚を捌き、それが終わると、21時頃から自分が魚を卸している飲食店を巡る。魚がどう調理されているか、自ら食べてチェック。家に帰るのは0時をまわる。この時間になると、取引先の飲食店から翌日の注文がLINEで届き始める。1時頃には床につくが、LINEは続々と届き、こまめに返事を送る。3時、3時半、4時には、漁師や市場からの定期連絡が入る。どんな魚が獲れたか、海はどんな様子か、今日の状況はどうなりそうか。そして5時に家を出て、市場へ向かう。「市場に着いた時には、何をどのくらい買って、どこに送るか、すべて頭に入っている。仕入れる時は、完全に料理人の目になっているかな。店のサービスや器まで思いだしながら、最適の魚を選ぶんです。睡眠ですか?まとめては取らないけど、LINEや電話の間にちょこちょこ寝ていますよ。あとは移動のクルマの中とか。大変だねと言われますが、この仕事を楽しんで、没頭しているから、まったく苦にならないですね」

パワフルな1日は、まだ始まったばかり。セリが終わると、仕入れた魚介を店に運ぶ。8時過ぎには、地元の飲食店が買いつけに訪れる。顔なじみのメンバーを相手に冗談を飛ばしながら、彼らのために上物の魚介を選び、それぞれの魚の特徴や最適な料理法について語る。飲食店にとって、「サスエ前田」は仕入れの場であり、学びの場だ。彼らは前田の魚に対する知識と情熱に絶大な信頼を寄せている。そして前田もまた、信頼した料理人にしか魚を卸さない。「やっぱり、自分と同じ熱で素材と向き合ってくれる料理人と仕事がしたいじゃないですか。三つ星のスターシェフでも『買ってやる、使ってやる、俺が料理すれば旨くなる』って態度なら絶対に売らない。こっちは“想い”で仕事しているんだから、それを簡単に見てほしくない。多い時は200軒くらいの飲食店と取引していましたが、やっぱり数が多いと集中できない。それで3年前に100軒まで絞りこんだんです。売上げが落ちることも覚悟したんですが、不思議なことに伸びたんですよ。残った店がたくさん買ってくれるようになったんです」

父・博さん、息子・博久さんとともに働く。「ほとんど寝ないで働き続ける父の情熱は本当にすごい」(博久さん)。

恩人と交わした最後の約束を果たすために

サスエ前田魚店の取引先には、「ザ・リッツカールトン」、「傳(でん)」、「NARISAWA」、「木山」、「馳走 啐啄一十(ちそう そったくいと)」、香港「すし志魂(しこん)」など国内外の名店が並ぶ。なかでも前田と最も長い付き合いなのが、静岡市の「成生(なるせ)」。全国から食通が集い、予約の取れないことで知られるこの天ぷら店は、2007年の開店以来、前田と二人三脚で歩んできた。「20代の頃、当時焼津で一番の割烹のご主人にかわいがってもらったんです。魚を買ってもらうだけでなく、料理のことを教えてくれ、いろんなものを食べさせてくれ、礼儀作法や心構えまで教えてもらいました」

前田が30代半ばの時、主人の病気が理由で割烹は店を閉じることになった。「僕はどうしても恩返しがしたかったから、復帰してくれと頼みました。そしたら『その気持ちを次の世代の料理人にむけてくれ』と言われたんです。結局、それが彼との最後の約束になった。だから絶対に守らなきゃならない。そんな時、焼津の料理店で修行をしていた志村剛生(たけお)が「成生」を始めたんです。あいつは元サーファーだからチャラチャラして見えるんだけど(笑)、当時から雰囲気があった。料理人としての姿勢、立ち居振る舞いがいいなと思っていたんです」

前田は毎日のように店に通い、メニューも一緒に考えた。同年代のふたりは、喧嘩をすることも少なくなかったが、「お客さんに美味しいものを食べてほしい」という想いは共通していた。前田は志村のために最上の素材を仕入れ、志村はその想いに応えるべく腕を上げ、徐々に評判を高めていった。

「前田さんの魚は、店ごとのオーダーメイド。それぞれの店に合った“仕立て”をしてくれるんです。料理法だけでなく、料理場の保冷状況、どんなお客さんが来るかまで把握したうえで、一番いいものだけを渡してくれる。いい素材が手に入れば、夜中でもLINEが来るので、僕はトイレにも風呂にもスマホを持っていきます(笑)。前田さんの想いに1秒でも早く応えたい。もちろん断ったことなんてないですよ。値段も聞いたことがない。前田さんがいいと言うなら間違いはありませんから」(「成生」店主・志村剛生)

“駿河前”の美味しさを広く伝えたい

「成生」の評判が「サスエ前田」に客を呼び、「サスエ前田」の評判が「成生」に客を呼んだ。それぞれの名が広く知られるようになった5年ほど前、ふたりはある野望を持つようになった。「“江戸前”とい言う言葉があるじゃないですか。でもここは静岡。江戸前じゃなくて“駿河前”の美味しさを伝えようと。だって、静岡にも“築地直送”とか看板で謳っている店があるんです。悔しいじゃないですか。日本一高い富士山があり、日本一深い駿河湾がある。ミネラルやプランクトン、微生物も豊富。駿河だけの美味しさがあるんだから、それを伝えていこうと話し合った。地元なら漁師の顔も見えるし、どこでどんな素材が獲れるかもわかっている。店から一番近い自然で獲れた素材ですから、美味しいのは当たり前なんです」

前田の仕事は、漁師が獲った魚介を料理人に運ぶ中継地点。料理人を選ぶのと同様、漁師も選ぶ。漁師のもとに足を運び、漁を手伝いながら、想いを伝え、“仲間”を増やしていった。「魚の臭みは、ストレスから生まれる。だから獲り方、釣り方、運び方、保存の仕方までこだわり、漁師の方々にも協力してもらっています。漁師は頑固な人が多いから、最初はかなり苦労しましたよ(笑)。でも何度も通い、損をしてでも高値で買い続けることで、ようやく認めてもらえるようになりました。うちは個人の店だから、たくさん獲ってくれなくてもいい。水揚げは1匹2匹でもいいから、食材に対する敬意を持っている人、自分が獲った命を大切に扱える人と仕事をしたいと思っているんです」

「成生」店主・志村と前田。その日のメニューは、その日の朝の仕入れで決める。

漁師、魚店、料理人の関係を前田はリレーにたとえる。「リオ五輪のリレーの日本チームを見て、これだと思ったんです。それぞれがナンバー1でなくてもいい。みんなが全力を尽くし、バトンパスがうまくいけば勝てる可能性がある。駿河湾の食材というひとつの“ストーリー”を、みんなで想いを持ってつなぐ。それができれば、駿河がナンバー1になれると信じています」

駿河湾の特別な漁場でしか獲れない白甘鯛。取引先のなかでも限られた店のみが仕入れることができる。

なるべく高く買ってなるべく安く売る

午前10時、店が開店すると、料理人にかわって近所の人が訪れる。近辺のスーパーで、地元の魚を扱っている店は少ない。品質も値段も「サスエ前田」に敵わないからだ。「料理人との関係ばかりが注目されますが、店を支えてくれているのは小売りのお客さん。売上げの6割は小売りだから、コロナ禍で飲食店の仕入れが減った時も大丈夫でした。漁師さんからなるべく高く買って、お客さんになるべく安く売る。『グランメゾンさんから猫のエサまで』ってよく言うんですけど(笑)、とにかく手抜きせず、まっとうな商売をしていきたいんです」

料理人と話している時も、店頭に立ち近所の人と話している時も、前田は実に楽しそう。根っからの魚屋なのだ。「物心つく前から母親に背負われて市場や店に行き、グズると魚の切り身を口に放り込まれた。もちろん醤油なんてつけない(笑)。その時に魚本来の味を覚えたのかもしれません。保育園の時は、祖父に行商時代の話を良く聞いていました。そのころから、将来は自分も魚屋になると思っていました」

高校の面接では、「日本一の魚屋になりたい」と語ったという。「今はまったくそんなこと考えなくなりましたね。ずっと自分の仕事に納得できていないんですよ。より美味しい素材をお客さんに届けるには、これでいいのか、このやり方でいいのかと、常に考えている。今日の自分を否定して、よりよい方法を考え、明日は実践する。自信なんてないですよ。でも緊張感、プレッシャーは、心地よくもある。自分が一番かどうかなんて考えている時間はないんです」

前田の真骨頂ともいえる独自の処理技術も、日々の積み重ねで磨き上げたものだ。「魚を捌いたり、脱水したりする技術は勘が頼りなんです。あの店は何時に客が来て、こう料理するから、このくらい脱水して、このくらい保水したい。それに合わせて、塩の量も変わるし、保存の温度、運搬時の氷の量も変わる。食べるタイミングの鮮度の食感と旨味のバランスをギリギリまで計算するんですが、素材は毎回変わるから、結局経験と勘がものを言う。しかも1日休むと、この勘が狂い、取り戻すには3日かかる。だから1日も休めないんですよ」

酒も飲まず、趣味といえるような道楽もない。日々口にするものも魚ばかりだという。「朝はコーヒーと大福(笑)。それ以外は、ほぼ魚しか口にしませんね。店にいる間は腰を下ろすことがないので、昼飯は食べない。魚を捌きながら、切れ端で味を見ているので、それで十分なんです。夜はほとんど卸先で食べますが、これも自分にとっては仕事。まあ、でも仕事と思っていないかな。こういう生き方だと思っています。

マグロやカツオなどの回遊魚は、泳ぎながら浅い睡眠をとるという。前田もまたその類いの生き物なのだ。眠らない男は、これからも日本の食を豊かにするため、駿河を泳ぎ続ける。

長年の経験と勘が頼り

魚にストレスを与えないよう、一瞬にして活き締めし、神経抜き、血抜きを行う。そして三枚におろされた切り身をまな板の上に。ここからが前田の真骨頂。天然ヒマラヤ岩塩を切り身にふって脱水するのだが、「どのくらい塩をふって、どの程度脱水するかは、魚のサイズや気温、この魚を届ける店の料理方法によって変わります」。塩をふった切り身は、まるで生きているかのようにピクピク動いたかと思うと、じっくりと水分を出していく。「脱水と同時に保水もしています。どのくらい水を抜くかは、経験と勘でしか判断できません」。

※ゲーテ2021年7月号の記事を掲載しております。掲載内容は誌面発行当時のものとなります。