「緑のアイテムは応援してくれる人からのギフト」
トレードマークは鮮やかなグリーンのネクタイ。藻の一種であるユーグレナ(和名ミドリムシ)を使った食品や化粧品、バイオ燃料の開発をするユーグレナ代表取締役社長の出雲 充氏が身につけるものには、グリーンのアイテムが多い。バッグや財布、そしてこの日着用していたスーツもだ。
「裏地は緑で、目立ちませんが、表地の縦糸に緑を使っています」
実は自分で購入した緑のアイテムは、1本980円のネクタイだけ。それ以外は出雲氏の事業にかける情熱に共感してくれた人々からのギフトだという。
「スーツはアルビレックス新潟の池田 弘会長からいただきました。会長のスーツの裏地がチームカラーのオレンジだったので、『私もいつか緑の裏地のスーツを作りたい』と話したら、新潟からわざわざ仕立ての方が東京まで来て下さったんです」
手首で輝くカルティエのサントス 100も、2013年に次世代リーダーに贈られる賞を受賞した際に副賞として受け取ったもの。
「私は飛行機が大好きなこともあって、ミドリムシを原料の一部にしたバイオジェット燃料で飛行機を飛ばすことが夢。そのことを昔からいろいろなところで話してきました。私にとって“飛行機の父”と呼ばれるアルベルト・サントス=デュモンは憧れの人。彼の名を冠した腕時計をいただけてすごく嬉しかったですし、励みになりました」
懐中時計が全盛の時代、「飛行中も見やすいように」と発明家で飛行家のサントス=デュモンが3代目のルイ・カルティエに依頼し作られたのが、世界初の実用的男性腕時計サントス。サントス 100はその100周年記念に誕生したものだ。出雲氏は、当初黒だったストラップをグリーンに変更し愛用している。
「会社の今後を左右する重要な会議とか記者会見のような本当に特別な時にだけ、この時計をつけるようにしています。このずっしりとした存在感が自分に気合を入れてくれるんです」
世界中から栄養失調をなくしたい
’05年にユーグレナを起業した出雲氏。当初は微細藻類ユーグレナの可能性を信じてくれる人が少なく、500社以上に営業をかけても「実績がない」という理由で取り合ってもらえなかった。3年間は鳴かず飛ばず。それでも走り続けられたのは、大学1年の時に訪れたバングラデシュでの思い出があったからだという。
「それまで何不自由なく生活してきた自分にとって、本当に食事に困っている子供たちがいるというのは衝撃でした。ミドリムシの研究を始めたのも、世界中から栄養失調をなくしたいと思ったからです。営業でどんなに跳ね返されても、バングラデシュの子供たちに比べたら楽なものですよ」
その後、伊藤忠商事と契約が成立すると、会社は急成長を遂げ、’20年には、売上げ130億円を超える東証一部上場企業となった。
「’20年の東京五輪に合わせて、ミドリムシのバイオジェット燃料を使った飛行機を飛ばす予定でしたが、コロナの影響で少し待機している状態です。でも夢の実現はすぐそこまで来ている。大切なのは夢を語ること。恥ずかしい夢なんてない。笑われてもバカにされても夢を語っていれば、絶対に応援してくれる人が現れるんです」
約120年前、サントス=デュモンが「飛行機を飛ばす」と言った時もみんな笑ったかもしれない。それでも彼は夢をかなえた。出雲氏はまだ夢の途中。自社開発のバイオジェット燃料で飛行機を飛ばすために、そしてミドリムシで地球を救うためこれからも走り続ける。
Mitsuru Izumo
1980年広島県生まれ。東京大学農学部卒業後、大手都銀に入行するも退社し、2005年にユーグレナを設立。世界で初めて微細藻類ユーグレナの食用屋外大量培養に成功する。食品や化粧品、バイオ燃料の開発に取り組む。
IZUMO’S TURNING POINT
18歳 バングラデシュの子供たちの栄養失調の現状を目の当たりにする。
25歳 ユーグレナを設立。微細藻類ユーグレナの培養に成功する。
35歳 東証一部上場。「日本ベンチャー大賞」で内閣総理大臣賞を受賞する。
38歳 念願のバイオジェット・ディーゼル燃料製造実証プラントが完成。