今年、27年間の現役生活に終止符を打った伝説のバスケットボール選手・折茂武彦。2020-21シーズンからは社長業に専念し、レバンガ北海道を牽引する。10月に上梓した初の自著『99%が後悔でも。』の編集担当者が肌で感じた折茂の凄さとはーー。
社長業に専念した1年目の苦悩
「あぁ、わかります。ここから、水が入ってきますよね。何足も履き潰しました」
スーツ姿で、履いている革靴のアウトソール、土踏まずよりちょっと前方を指差しながらそう言ったのは折茂武彦。プロバスケットボールリーグ、B.LEAGUE一部に所属するレバンガ北海道の社長である。
自著『99%が後悔でも。』(JBpressBOOKS)の打ち合わせが終わり、「ついに背広がメインになりましたね」とか、他愛もない話をしていたときの一言だ。
折茂は、今年の5月に実に27年にも及ぶバスケットボールプレーヤー生活を終え、社長業に専念していた。トップリーグ時代にデビューしたのが大学卒業後の1993年。以来、27年間日本バスケットボール界のトップを走り続けてきた。帰化選手を除いて日本人で初めての10,000得点、出場したオールスターゲームは19回、日本一は4回(シーズン、カップ戦含む)、日本代表としても長きにわたり活躍した。
一方でプロバスケットボールチーム・レバンガ北海道を立ち上げ、経営者としても10年目を迎える。
詳細は前出の『99%が後悔でも。』に譲るが、チーム立ち上げのきっかけが「前所属チームの消滅」にあったこともあり、冒頭の言葉通り、革靴の底がすり減るほど営業に回り、イベントに出演し、会社が潰れないためにできることはなんだって実行してきた。
日本で最もサラリーマンの気持ちがわかるアスリートだったに違いない。
そんな折茂は、社長に専念する初めてのシーズンを迎えている。その船出もまた波乱の幕開けだった。新型コロナウイルスの感染拡大である。
周知の通り、スポーツ業界も大打撃を受けた。
特にレバンガ北海道は、観客動員でリーグ内でも常に上位に位置するチームである。人が呼べないことは、その売り上げが期待できないことを意味した。
「昨シーズン、中止になった主催試合が9つありました。手前味噌ながら僕の引退試合なども予定されていた。1億円近い売り上げを想定していましたから、それがなくなるのは痛かったですね」
レバンガ北海道の年間売上が8億弱であるから、とてつもない金額だ。しかも、引退を決めた時には、次のシーズンがどうやって始まるのか、そもそも始められるのかすら分からなかった(観客は半分まで上限5000人以下の入場制限付きで開幕した)。
まだ自身が「選手兼社長」だった昨シーズン中、リーグ戦の途中終了が決まると折茂は厳しい表情で言った。
「もし来シーズン、試合を実施できないことになればかなりの苦境に立たされると思います。何より、これからスポンサー回りを始めるんですが、その先行きも見えない。札幌市内も観光客の姿がなくなり、お店も閉まっている。苦しいだろうことは想像しています」
27年もの長い間、バスケットコートに立ち走り回ってきた男は、その体を休める間も無く、経営という舞台で勝負をしなければならなかった。そして、ここでも結果を残した。コートと同じようにである。
これからの時代に肝となる組織論。
人の前にお金を考えてはいけない!?
冒頭の「革靴」の会話があったのは、8月中旬だった。一通り、新シーズンに向けた営業が終わり、「前シーズンを上回るスポンサーに契約をいただけました」と安堵と自信が入り混じった様子で言った後、こう続けた。
「やっぱり人なんですよね。いろんな物差しがあるとは思うんですけど、経営も人と人との繋がりがあってこそ成り立つ。実際に、スポンサーさんのところに足を運んでみると、みんな苦しい状況でした。ちょっと来季の契約は難しいかな、と思っていたら皆さん同じことを言うんです。『苦しい時はお互い様だから。これまで助けてもらったしね』って。助けてもらい続けたのはこっちの方なのに」
北海道が自分を変えてくれた。そこにいる「人」たちに支えられてきた。その思いで苦しい「選手兼社長」を続けた折茂にとって、改めてその大事さを教えてくれたのが、コロナでもあった。
だからなのか、折茂の話す言葉はいい意味で社長っぽくなく、ましてや伝説とまで言われるトッププレイヤーっぽくもない。靴底の話も象徴的だが、例えば自著『99%が後悔でも。』へのこだわりでもそうだった。
書籍の制作過程で一つ、折茂からオーダーがあった。それは、見返し(表紙をめくった最初にあたる部分。ここには別の紙を貼り付けている)に何かデザインを施せないか、と言うものだった。
通常、ここは書籍の色にあった手触り感のある厚紙を貼るだけで文字や写真が載ることは少ない。
そこにわざわざ何かデザインの要素を入れたいというわけだ。
「サインを書いた時、そのサインがカッコよく見えるのではないか」
確かに、書籍において著者がサインをするのは、この見返しの部分であることが多い。文字もデザインもないからこそ、なのだが、ただそれだけではわざわざ買ってくれた人に味気ないのではないか? だったらサインがデザインに載っているイメージの方が喜んでもらえるのではないか? それが折茂の発想だった。
とことんファン目線、「人」目線だからこそ、生まれるものだった。
こうした話は枚挙にいとまがない。
例えば、「街頭でティッシュやチラシを差し出されるとどうしても手にとってしまう」と言う。取材陣が「なんとなくスルーしてしまう」と答えると、過去を振り返りながらその理由を語る。
「僕はそれ、ダメなんですよね。自分がチラシを配っていた時のこと思い出しちゃうんです。本当にね、受け取ってもらえないと心が折れそうになる。つらいですよ、あれ。だから、できる限り受け取ります、今でも」
レバンガ北海道の立ち上げ初期、一度消滅してしまった北海道のプロバスケットボールチームに対するネガティブな雰囲気のなかで、少しでも多くの人に知ってもらおうと、自ら駅前でチラシを配った。
その記憶が忘れられないというわけだ。
こうしたさまざまな「過去」を経て折茂はプレーをし続け、そしてレバンガ北海道を経営し続けている。
『99%が後悔でも。』の第一章で折茂は「人の前にお金を考えてはいけない」と記した。
その哲学は、体温を持った折茂の本音であり、これからの時代に忘れてはいけない経営、組織の肝でもある。