世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2007年7月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
形作れ! 芸術家よ! 語るな! ただ一つの息吹きだにも汝の詩たれかし
――『ゲーテ格言集』より
ある画家にこんなことを言われたことがある。彼は芸大の油絵科を首席で卒業し、のちに大学院で博士号も取得した逸材だ。技術、理論ともに卓越していて、日本の絵画界を背負って立つ一人である。当然自信家だ。だからよくしゃべる。しゃべりだすと止まらない。
その彼が、師匠である芸大の教授からこんなふうに?られたと言うのだ。
「描き始めたら、ひとこともしゃべるな」
いっさいを絵に注ぎ込めということであろう。へー、なるほど、と思った。その教授は「たとえ一週間でも、ひとこともな」と続けたらしい。芸の道はそこまで過酷だ。
だが、これが厳しいかどうかは取り方、見方による。同じ姿勢が、完全なる自由を創作者に与えることもあるからだ。
私はかつて、寺山修司さんの自筆による封筒を見たことがある。学生時代の寺山さんが故郷の恩師に向けて送ったもので、そこには封筒からはみ出そうな巨大な宛名があった。その字体のユニークさも相まって、ごく普通の封筒が、一度見たら忘れられない陽気な芸術作品になっていた。
寺山修司さんは真のアーティストだ。そう私は思っている。その短歌、詩、映画、演劇など、いずれをとっても凡百を吹き飛ばす鋭利さと彼独特の世界観に満ちている。だが、それは対作品のみならず、スポットライトからはずれた場所でもいかんなく発揮されていたのだ。一分一秒のどこを切り取っても、芸術家寺山修司の生きる時間だった。
大衆的に語ることで心と時間を費やすな、というゲーテの戒めは、「しゃべるな」と?った芸大の教授にも、封筒を作品に変えてしまった寺山さんにも通じることだ。生涯のどの時間に於いても、あなたはあなたの表現をやり抜けと語りかけている。
これはもちろん、芸術家だけに留まる言葉ではない。人はどんな職業にあっても、なにかを表現することでその道のプロになっていくのだから、意志ある者なら、ゲーテの言葉の意味はわかるはずだ。少なくとも、愚痴や恨みの酒で時を費やしてはいけない。どうせ呑むなら、やる気の酒に転じるべきだ。
人に花があるとすれば、それは大仰な額縁のなかにあるのではない。日々その瞬間を花に変えていく心のあり様にある。
――雑誌『ゲーテ』2007年7月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。