世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2011年4月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
完全は天ののっとるところ、完全なものを望むのは、人ののっとるところ
――『ゲーテ格言集』より
完璧屋にはなるな、とよく言われる。できたことに充足するより、できなかったことに悲嘆する人生を送りがちになるからだ。しかもそのことで、他者さえも攻撃しだす。他人の家のテレビでも、その上にうっすら埃がたまっていると我慢できないタイプ。
往々にして芸術家は完璧屋が多いので、我慢できないことは我慢ができない。それは仕方のないことだ。したがって芸術家は一人で暮らすのがいい。それが、天がのっとったところの完全なる運命、その人らしい生き方だ。
雀一羽に天の采配のすべてがあるのと同じで、あらゆる生き物は完全なものとして生まれてくる。人もしかり。私たちはそれぞれの人生を歩むための完全体として最初からすべてが与えられている。もちろん、生きていく上で気付きや努力も必要ではあろうが、その試練は、私たちが、私たち以外の誰かになるためにあるものではない。
ところが、理屈ではわかっていても、感情が邪魔をしてしまうのが私たちの弱さだ。どんな分野であれ、活躍している人は輝いて見える。そうした人は富や名声を手に入れていることも多く、いかにもこの生を充実させている。若い人たちはもちろん憧れる。ローリング・ストーンズのようになりたい。イチローのようになりたい。ハルキ・ムラカミのようになりたい。そうした気持ちからその道を歩み始める。だが、ハルキ・ムラカミは世の中に一人で充分なので、追跡者はいつか自分自身のやり方に目覚めなければならない。その必要性を感じた時に振り返ってよく見つめなければならないのが、自分はなにを与えられているかということだ。ハルキ・ムラカミとの間にどれだけの距離があり、近付くためにはどれだけの努力をしなければいけないのか、などということはどうでもいいのだ。与えられているものを見つめ直すべき。これだけだ。
収入、学歴、名声、寿命。横並びの比較から人はみな不幸になっていく。世俗的な意味での完全を望み、人にはあるが自分にはないものを挙げて焦りを増していく。十一色のクレヨンを持っている子が、たった一色のクレヨンがないことを嘆き哀しみ、絵を描くことを諦めるかのように。
あなたがあなたの人生に於いて完全であることは、路傍の雀だって知っているのに。
――雑誌『ゲーテ』2011年4月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。