世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2010年7月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
第一印象というものは、たとい必ずしも真実ではないにしても、それはそれとして貴重な価値のあるものである
――『イタリア紀行』より
ビジュアルの時代と言われて久しい。すべて第一印象で決まるようなイメージが世にははびこっており、顔を出す仕事の人でなくとも、みな口角を上げて微笑むのに必死の形相である。まあ、たしかに、男女を問わず、美しい者はきわめて得だ。見た目がすべて。
だが、もちろんこれは現代に限った現象ではない。美男美女は大昔から常に選ばれし存在だった。欧州に「目よりも耳を信じよ」という諺があるのは、いかに多くの人間が見栄えに惑わされてきたかを語っている。
ゲーテ自身、若い頃から秀麗の誉れ高い美男として名を馳せていた。醜男の気持ちはわからない。だからかもしれないが、目でだまされてしまう人間の弱さに対して、それもまあ、いいではないかと面白がっているような節がある。
私たちは普段、外部の情報の八割以上を目から受け取っているのだという。犬のように嗅覚が中心になったり、コウモリのように耳だけで夜間飛行をしたりということはできない。だからどうしてもぱっと見で印象は決まってしまう。残念。
ただし、対象により近付き、新たな感慨を得るたびに原稿を書き直したゲーテのやり方から学ぶなら、しょせんぱっと見はぱっと見だと割り切るべきだ。付き合えるかどうかはそこから先のこと。第一印象に貴重な価値があるのは、そのものの価値ではなく、そこが始点であるという意味に於いてだろう。
第一印象では損ばかりしている私のような者でもなんとか生きてこられたのは、人間の判断力がそもそも「その先、その奥」に本質を持つからだ。見かけだけですべてが決まるようなら、それは高等生物の生態ではない。
幸い、私たちは歳を経ていきながら成熟していく能力を持っている。どれだけ美しい若者であろうと、それを鼻にかけて生きていればうすっぺらな印象しか残さなくなる。長い目で見れば、問われるのはやはり考えの深さや生き方なのだ。ある程度の年齢になれば、内側が外側に取って代わるようになる。
第一印象の不思議はここにあり、歳をとってからもぱっと見には左右されるのだが、それは外側に滲み出てきた内側なのである。つまり、若い頃の見た目と、それなりの年齢になってからの見た目は、根を違えるものなのだ。ということを、見た目で苦労してきた身としてはっきり宣言しておきたいのである。
――雑誌『ゲーテ』2010年7月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。