世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無き者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2010年6月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
それは孤独な者が、同じく寂しい思いを抱いている人に聞いて応えてもらうために、遥かの空へ響きを伝うべき歌である
――『イタリア紀行』より
人妻との愛欲を断つためか、あるいは幼い頃からの憧れがそうさせたのか、ワイマール国の宰相という立場を捨て、南へ、南へ。二年間にわたるイタリア遊学に旅立ったのは、ゲーテ三十七歳の晩夏であった。
初めて訪れたヴェネチアでゴンドラ乗りの歌声に惹かれたゲーテは、耳を澄ませつつ、その歌謡の魅力の正体を探ろうとする。
実は、ゴンドラ乗りの操る歌は岸辺に向けた言葉であり、陸地で歌を聞いた者たちはそれに応え、返答として新たな歌を送るのだという。つまり返歌であり連歌であるのが、ゴンドラの歌であった。
ゲーテは歌を掛け合うこの行為を「人間的だ」と記している。おそらくはゲーテもゴンドラ乗りに近い心境を抱えていたのだろう。一人旅をしたことがある人ならわかると思うが、どこまでも付いてくるのは整理できない自分自身と、茫漠とした寂しさである。ゲーテの場合は愛からの逃避行という旅路でもあったので、よりいっそう一人でいることが際立ったのかもしれない。
切ない恋をしている時は、ラブソングの歌詞がしみじみと感じられる。音符にすべて意味があるということもよくわかる。同様に、寂しさもその渦中にある人にとってはひとつのアンテナであり、他者のそれを微妙に感じ取る。
ネット上に氾濫するつぶやきもそうであろうか。文明によって生活がどう変わろうと、人間の中身にはなんの変化もなく、今も私たち一人一人が夜の水路に漂うゴンドラ乗りなのかもしれない。
形式は変わっていく。道具も進化する。そのたびに誰もが浮き足立つ。これからの時代を生き残るためになにをすべきかと。
だが、人間の本質はそう変わらないのではないか。だとすれば、答えはすべて胸の内側でたゆたう海、そこで揺れる一艘の舟に尋ねてみればいい。
舟は漂う。そしていつも寂しげな歌を送ってくる。どんな言葉を返してやるのか。それは個に徹するほど、普遍にもなり得る。
――雑誌『ゲーテ』2010年6月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て'94年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。