世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2008年11月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。
探求と誤ちは結構なことだ。探求と誤ちを通して人は学ぶのだからね
――『ゲーテとの対話』より
目標、正義、幸福。こうした言葉は疑いにくい。否定しにくい。成功もそのひとつだろう。しかめ面をして生きていくよりは、笑顔の絶えない生活をしていきたいと誰だって思う。それはつまり、成功することですよね、となる。その結果、成功至上主義のような気配が世の中には満ちていて、誰々はこうして成功した、こうして富を築いたという言葉であふれている。
しかし、そうした意味での成功も、そう簡単には達成できないし、金も転がり込んではこない。だから国全体で、かえってみんな暗い顔である。東北で大きな災害が起きる前から、この国は先進諸国中一位の自殺率をキープしてきた。この現象もまた、成功をありがたがる風潮とは無縁でないであろう。成功しなければいけないと思うから、その強迫観念により敗者が生まれ続ける。
ゲーテの威を借りて、私は言いたい。人生はそう長くない。その日々に於いて、成功などというつまらない概念にとらわれない方がいいのではないか。私たちはそれぞれ、自分なりの道を進み、自分なりの原野を開拓するために生まれてきた。
道とはなにか? これはきっと探求そのもののことだ。だから、道が見えた時はそこを歩まなければならない。そのことによって道は初めて道になる。自分の領域となる。それ自体には成功も失敗もない。
では、開拓とはなにか? これは道を歩んでのちの失敗や挫折やあやまちだ。なぜなら私たちは、こうしたひとつひとつの体験を通じて、初めてものの実相に迫っていけるからだ。成功や勝利のみでは、記憶はなにも残らない。味がないとはこのことで、仮に主人公がすべてに於いて成功を収める映画があったとしたら、あなたはそれを観たいだろうか。
起伏に乏しい物語だけは勘弁して欲しいというのが本音ではないか。
負けること。落ちること。あやまること。自らの領域を耕していく上で、こうしたことほど大事な体験はないと私は思う。なぜならば、領域を立体化し、豊かにしていくためには、転がり落ちた場所からの視線も必要だからだ。
笑顔を絶やさない生活のために、成功を手に入れる必要はないと思う。どんな環境にあろうと、笑顔であり続ける自分を実現すればいいだけだ。
――雑誌『ゲーテ』2008年11月号より
Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て1994年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。2015年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。