Passionable(常熱体質)とは、Passionとableを組み合わせた造語。仕事や遊びなど、あらゆることに対して常に情熱・熱狂を保ち続けられる=”常熱体質”である。この連載では、中野信子が常熱的な歴史上の人物を脳科学の視点から解説する。第9回は徳川家康から絶対的な信頼を寄せられ、その側近として活躍した井伊直正の手腕について。
Key person:井伊直正
千代田区紀尾井町は、家康の時代から特別な場所でした。なにしろ半蔵門が目と鼻の先。江戸城陥落時の将軍の避難路として整備された甲州街道を扼するこの地に、幕府は、紀州徳川家、尾張徳川家、井伊家の中屋敷を配しました。その三つの家の頭文字を取って紀尾井町です。
不思議に思う読者がいるかもしれません。紀州、尾張と来れば、次は水戸ですよね。御三家の水戸を差し置いて、井伊家にこの重要な土地が任せられたのではなぜだと思いますか?
その秘密は、井伊直政と徳川家康の絶対的な信頼関係にありました。直政は家康を支えた徳川四天王のひとり。家康に小姓として初めて仕えた時は14歳の少年でした。眉目秀麗で、家康の寵童だったという説もありますが、それはさておき。
井伊氏は遠江井伊谷(現在の静岡県浜松市付近)の豪族、大国に挟まれた土地で、政治力を磨かざるを得ない環境で生き抜いてきた一族です。直政もその能力を受け継いだのでしょう。
祖父は今川義元に仕え桶狭間の戦いで戦死、父は直政が2歳の時に誅殺されます。直政自身も、今川氏から命を狙われ続けます。名家の出身ではありますが、のほほんと育ったぼんぼんとは訳が違う。戦場では『井伊の赤鬼』と恐れられた猛将であり、平時には各方面への取り次ぎや、外交工作など、家康の側近として手腕を発揮します。そんな直政について家康は息子の秀忠の嫁、お江に宛てた手紙に、こう書き残しています。
『直政は冷静沈着で、何ごとも人に言わせて黙って聞いているが、必要な局面で的確な意見を述べる。自分(家康)が考え違いをしているときは、人のいないところでもの柔らかに意見してくれる。ゆえに自分は何ごとも彼に相談するようになった』
家康の直政への絶大な信頼が伝わる手紙ですが、重要なポイントはやはり「何ごとも人に言わせて黙って聞いている」というところ。才能のある人ほど自分の能力をアピールしようと多弁になりがちですが、
黙って聞くことの方が信頼を勝ち得る上では遙かに大切なのです。直政はそれができた人でした。その直政への信頼が、徳川二百六十年間にわたる井伊家の安泰を約束したというわけです。中野信子
脳科学者。1975年東京都生まれ。東京大学大学院医学系研究科脳神経医学専攻博士課程修了。フランス国立研究所にて博士研究員として勤務後、帰国。現在は、東日本国際大学特任教授。脳や心理学をテーマに、研究や執筆を精力的に行う。著書に『サイコパス』、『脳内麻薬』など。『シャーデンフロイデ』(幻冬舎新書)が好評発売中。新刊『戦国武将の精神分析』(宝島社)が話題になっている。