植村直己を支えたセイコーとロレックス【偉大なる冒険家の時計愛物語】

百人の時計愛好家がいれば、そこには百の物語がある。 では、時計好きで知られている人たちは、いったいどんな時計に惚れこんでいたのだろうか。時計ライターの名畑政治氏が実体験をもとに、 時計を愛したあの伝説の男たちの知られざるエピソードを掘り起こす。


セイコーとロレックス、偉業の裏にふたつの名作時計あり

世界初の五大陸最高峰登頂者であり、北極圏の犬ぞり単独行など数々の偉業を成し遂げた登山家・冒険家の植村直己さん。彼の愛用時計というとセイコーのダイバーズ・ウォッチが紹介されることが多い。事実、1970年に植村さんがエベレスト登頂を果たした際には、’68年に発売されたセイコーのダイバーズ・ウォッチを使用していたが、’78年に行った「北極点グリーンランド単独行」の際には、’76年に日本ロレックスより探検家アワードの記念品として贈呈された、ロレックスの「エクスプローラーⅡ」を着用していたのだ。

ところが旅の途中で、この時計が使用不能となってしまう。なぜなら通常の「エクスプローラーⅡ」はメタル・ブレスレット仕様なのだが、凍傷を恐れた植村さんはこれをレザー・ストラップに交換しており、これが犬ぞりの激しい振動に耐えきれず切れてしまったのだ。そこで植村さんは仕方なく時計にヒモをつけて腰に装着していたが、腕から離れて体温が伝わらない機械式時計は極低温下で油脂が固まり、作動を停止したのである。

これを救ったのが取材と補給のために訪れた週刊文春記者の設楽敦生さんだった。彼は植村さんのロレックスと自分のセイコーを交換。植村さんは設楽さんから受け取ったセイコーで過酷な旅を乗り切ったのである。

一方、設楽さんが補給基地の小屋に戻ると、部屋の暖気に触れたロレックスは何事もなかったかのように動きだしたという。

その後、日本に帰国した植村さんに、設楽さんは時計の返還を申しでるが、植村さんの答えは「いやあ、あれは設楽さんが持っていてください」というもの。そこで設楽さんは日本ロレックスに整備を依頼し、手元に保管することにしたという。その後、植村さんは’84年に世界初のマッキンリー冬季単独登頂に成功したものの、そのまま消息を絶つ。そして設楽さんにおいては、私が話をうかがった’93年時、『Sports Graphic Number』編集部(文藝春秋)に在籍していたが、そのわずか5年後に、肝臓ガンのため惜しくも逝去された。

ところで、あのロレックスはどうなったのか? 聞くところによれば設楽さんの弟が大切に保管しているとのことだ。


SEIKO
1968メカニカルダイバーズ 復刻デザイン
1968年発売の高振動メカニカル・ダイバーズ・ウォッチの復刻版。’70年のエベレスト初登頂時には、このオリジナルモデルを植村直己氏も使用した。

1500本限定。自動巻き、SSケース、径 44.8mm。¥550,000(セイコーウオッチ お客様相談室 TEL 0120-061-012)
Naomi Uemura
1941年兵庫県生まれ。’60年、明治大学に入学し、山岳部に入部。’65年、明大ヒマラヤ遠征隊でゴジュンバ・カンに初登頂。’66~’70年、モンブラン、キリマンジャロ、エベレストなど世界五大陸の最高峰登頂に成功。’72年からはグリーンランド犬ぞり旅や北極点単独行に挑んだ。’84年、マッキンリーにて消息を絶つ。


Text=名畑政治 Illustration=芦野公平