火を操る魔術師が凱旋! バスクの超人気レストラン「エチェバリ」の日本人シェフとは?

ワールドベストレストラン50で3位にランキングされる「アサドール・エチェバリ」。スペイン北部バスク地方の山の麓にある一軒のレストランが、今世界中から名だたる美食家を集めている。同店のオーナーの右腕は日本人。その前田哲郎が、金沢の海岸、しかも浜茶屋で2夜限りのポップアップレストラン「Tetxubarri(テチュバリ)」を開催した。仕掛け人は「ゼットン」のファウンダー稲本健一と元「ティルプス」のオーナー大橋直誉。集まったのは、只者ではない美食家の面々だった。


世界中の美食家を魅了する「アサドール・エチェバリ」

夏の終わり、日差しが照りつける海岸に、続々と集まる白いTシャツとジーンズ姿の男女。そこには一軒の浜茶屋があった。

「7、8年前、スペインの山奥にすごいレストランがあると聞き、北バスクのエチェバリまで足を運びました。そしたら日本人の料理人がいる。声をかけ、話をしたところ『あれ? そのイントネーションは……もしかして金沢の人?』となったのが、前田哲郎と交流が始まったきっかけ」

元「ティルプス」オーナーで食のキュレーター、大橋直誉(左)、「アサドール・エチェバリ」でオーナーのビクトル・アルギンソニスの右腕と呼ばれる前田哲郎(中)、「ゼットン」ファウンダー、「DDホールディングス」海外統括CCOの稲本健一(右)。この日のドレスコードは、ビーチハウスにふさわしい白いTシャツにジーンズ、ビーサン。

そう語るのは、現在D&Dホールディングスの海外CCOとして海外出店を取り仕切り、世界中のレストランに精通する金沢出身の稲本氏。その稲本氏が目をつけた人と味と聞けば、俄然前田氏の料理に興味がわいてくる。実際エチェバリの料理は、スペインバスクの自家菜園の野菜や土地ならではの素材を使い、それを薪の熾火で絶妙に火を入れて仕上げるものだ。素材の旨味を最高に引き出す独特の火入れは、料理人の長年の経験とセンスのみで成せる技。火を操り、唯一無二の味を提供する店だからこそ、世界中から美食家が集まり、数ヵ月先までテーブルは予約で埋まっているのだ。

「話しているうち、僕も哲郎もそろそろ地元金沢に何か恩返しがしたい。それならと、昨年の夏に彼の夏休みを利用して、金沢の山小屋でジビエを使ったイベント『テチュバリ』を開催したんです」(稲本氏)

会場は金沢から車で1時間ほどの山の麓にある小屋だった。

「前回は山小屋でジビエという、本来のエチェバリに近い形になりました。今回も金沢のあちこちを回って会場探しをしたけれど、山には正直ピンとこなかったんです。そして海辺を走るうち、この浜茶屋を見つけ、ここだ! と感じて決めました」(稲本氏)

「ビーチハウスで世界最高峰の料理を味わう」が、コンセプトのこのイベント。
「Tetxubarri(テチュバリ)は「エチェバリ」と前田氏の名前”哲郎”をもじった店名。

山バスクから海バスクへ。前回、7日間のイベントはさしたる宣伝がなくともあっという間に完売。そして今回はたった2夜。その席は各回30席という、まさにプラチナチケットとなった。

「実は告知ができたのは2週間前(笑)。しかも1回目は地元金沢のゲストに前田哲郎とテチュバリの料理を知ってもらうためのプロモーション的な一夜。もう1回は、純粋に美味いものが好きなゲストのためでした。美食家とはいえ、皆さんお忙しい経営者ばかり。スケジュールはどうだろう? と恐る恐る声をかけたところ、その半分はバスクのエチェバリまで足を運んだことがある、という方々だけに『海の家で哲郎の料理を食べられなんて』と、皆さんスケジュールをご調整いただけました」(稲本氏)

東京では分刻みのスケジュールをこなしている経営者たちが、3時間半かけて金沢の海岸までTシャツにデニム姿で駆けつけた。それほどまでに前田氏の料理には魅力があるということだ。

イベント開催直前、前田哲郎氏に話を聞いた。

「日本では他の方のレストランでコラボという形でポップアップをすることはありましたが、稲本さんから声をかけられ、テチュバリという形で自分の料理を作ったのは昨年が初めてのことでした。正直、自分でも迷いながら作っていた部分があります。でもテチュバリ開催後、僕と一緒に仕事をしたいと言ってくれる日本の方がとても増えたんです。本当にありがたく、嬉しいことで、金沢でテチュバリを開催した何よりの収穫でした」

地元に付き合える食の仲間が増えた。それが遠くスペインで働く前田氏にとって、何より心強かった。今回のテチュバリにも、多くのバックアップスタッフやサービスのプロが集まっている。その一人が前回もサービス全般を取り仕切った、大橋直誉氏である。大橋氏は日本各地で行われるプレミアムな野外レストラン「DINING OUT」などのスーパーサービスバイザーとしても活躍。今や日本の料理イベントには欠かせない人物だ。今回は2週間後に開催という、ふつうでは考えられない短い準備期間だったにも関わらず、大橋氏がSNSなどで参加希望者を募ったところ、有名店で働くサービススタッフまでがボランティアで集まった。さらに大橋氏は、料理とペアリングするお酒のセレクトも行なった。

「東京では実現不可能な(消防法などにおいて)薪で火を入れる料理です。しかも熱源となる薪から食材まで、ほとんどは地元金沢の素材を使いました。山から海へと場所が変わり、何もない場所に一からレストランを作り上げるのは、かなり大変なことでした。しかも金沢まで足を運んでくださるゲストも錚々たる方々なので、半端なものは作れません。とにかくできる限り最高のものを作ろうと全員で取り組みました」(大橋氏)

前田氏が調理のために使うのはぶどうの木とナラの木。どちらも石川県のものだ。「ぶどうの木は肉を焼くのにいい燃え方をするし、ナラの火は強いんです」これらを火と対話しながら焚く。

さらに仕込みに協力したのは、金沢で最も歴史のある老舗日本料理「つば甚」。料理長の川村浩司氏は、イベント当日も店のスタッフを伴って厨房を手伝い、若い前田氏に手を貸していた。

「つば甚のご主人が前田さんのお父さんとご友人という縁があり、全面的にご協力しました。仕入れ先を紹介したり、前日までつば甚の調理場で仕込みをしていました。日本料理だから、スペイン料理だからではなく、前田さんの料理はワールドワイド。シェフのパーソナリティが溢れたオリジナル料理です。つば甚は老舗の料理屋だからこそ、新しい料理、価値観を取り入れることが必要だと常日頃から思っているんです。そういう意味でも、つば甚の若手たちにとって、前田さんの料理を間近で見て、自らも参加するという経験は、本当にいい刺激になったと思います」(川村氏)

日本料理「つば甚」料理長の川村浩司氏。仕込みをする調理場の提供から仕入れ先の紹介、イベント当日の調理にも手を貸した。

午後3時。ゲストが三々五々に集まり、シャンパンを飲みながら宴の開催を待つ。プロデューサーである稲本から、今回のイベントのコンセプトが語られ、乾杯の挨拶があり、"テチュバリ 2019"の開宴である。

この日のメニューは全10品。

地元金沢の素材を中心に、エチェバリで培った技法を随所に披露しながらも、前田独自の料理が次々とテーブルに運ばれていった。ビーチハウスというコンセプトに沿って創作した料理もあれば、エチェバリのスペシャリテを金沢の素材で披露もした。

「せっかく浜茶屋でやるんだから、子供の頃海で食べたイカ焼きみたいな料理を作りたいと思い、能登島のアカイカを醤油ではなく、いしるに生姜を合わせて味付けしました。また、エチェバリの名物のチョリソーはイノシシの肉で作りました」(前田氏)

使う水、野菜が育つ土、肉も魚もスペインと日本ではまったく違う。それぞれの素材の最も一番上手くなる瞬間まで火入れをするのがエチェバリの料理だ。

金沢×バスクという前代未聞の美食体験

「金沢の素材を使い、金沢の水や薪を使うことで、僕自身がバスクの料理、エチェバリの料理を理解できるようになりました。スペインの硬質の水と石灰のある土で生まれた野菜なら煮るだけで甘くなる。だから出汁はいらないんだ。日本の食材は繊細で香りや食感がいい。だから出汁で旨みを補い、その繊細さを際立たせる調理法がいいんだなと、和食とバスク料理の違いがよくわかったんです。そういう意味で、ふたつのステージを与えてもらったことは、料理人の人生に深みを与えていただき、これ以上の幸せはないと感じました」(前田氏)

錚々たるゲストたちも浜の家で食べるバスクの味に大満足の模様。実際にスペインのエチェバリにも足を運んだというゲストに話をうかがった。

多くのゲストを唸らせ、大満足させたテチュバリ。最後に、前田氏はこうコメントした。

「今回のイベントを終え、金沢でもやれるという手応えを感じました。将来的なステージをどこにするかはまだ正直決めかねています。インターネットで予約が取れる時代だけに、この時期はスペイン、この時期は金沢という働き方もありなんじゃないかと。僕は信頼できるコミュニティの中で料理を作りたいので、じゃあ、世界中でどこか? と聞かれれば、それはスペインと金沢にあるんです」

コースが終わると水平線の先に美しい夕日が落ちていった。日本の美食家たちも大満足のイベント。誰もが名残惜しそうに前田氏にエチェバリ再訪を告げていた。


Text=今井 恵 Photograph=Nik van der Giessen