俳優 市村正親 喝采に捧ぐ身体、ワインという血潮

ワインの神として知られるディオニュソスはまた、演劇の神でもあったという。日本演劇界のトップに君臨し、名誉ソムリエの称号も持つ俳優 市村正親氏が、ワインと自身との熱狂的な関係について語る。

好きなワインの傾向は、ブドウの素直な味わいがそのまま残っているもの。「樽とか他の風味がないものがいいですね」

「うん、いいねえ、これ。美味しいなあ」

慣れた手つきでグラスを回しワインを口に含むと、市村正親氏は満面の笑みを浮かべた。

「ベルポッジオのブルネッロ・ディ・モンタルチーノ2011年です」と説明するのは、行きつけの会員制イタリアン「ヴィーニ・ディ・アライ」のオーナー荒井基之氏。「現代の名工」にも選ばれたイタリアワインソムリエの第一人者で、市村氏がワインの師と仰ぐ人物だ。

「荒井さんはいつも私の好みのワインを出してくれる。ワインを意識して飲むようになったのも荒井さんのおかげです」

市村氏と荒井氏は家族ぐるみの付き合いで、一緒に釣りにも行く間柄だそう。「ヴィーニ・ディ・アライ」のワインのストックはおよそ3,000本。イタリアワインマニア垂涎の希少銘柄や古酒が揃っている。

ふたりの出会いは19年前。それまでも赤玉スイ―トワインの時代からワインを飲んでいたが、当時はビ―ルやウイスキ―などと同じ、ただの“お酒”としてしか認識していなかったという。

「それが、荒井さんのところで食事した時に、初めてワインと料理のマリア―ジュに感動し、すごく幸せな気持ちになれた。それからですよ、ワインを意識して飲むようになったのは」

では、ワインに目覚めてから今までで最も記憶に残っているワインは?と問うと、「妻と一緒に記念日やイベントごとに飲んだものすべて」と即答。飲んだワインのラベルに妻へのメッセ―ジを書き添えたものは、夫婦の大切な宝物なのだそう。また、フランスに畑を持つ友人に造ってもらった、ふたりのご子息の生まれ年のワインには、油絵の特別ラベルをあつらえた。このワインが飲み頃になった時、家族、そして自分はいったい何をしているのだろう。そんな思いを巡らせる時間も楽しいのだと市村氏。大切なのは、ワインとともに醸(かも)す時間。銘柄やビンテ―ジにこだわりはないのだ。

ワインは健康のためのスタミナ源でもある。消費量は一日に1本程度。「ウイスキーや焼酎だと血がたぎるので、仕事後はもっぱらワインです」

「この間、仲間と有楽町のガ―ド下でこぼれワインというのを飲んだんですよ。日本酒みたいに下に敷いた小皿にまでワインをなみなみ注いで。それがまた旨かったなあ」

お金を出して、満足が約束された高級ワインを手に入れることはできる。しかし、いつまでも冒険心を忘れないのが、市村流のワイン道なのだろう。

ワインを嗜むようになってからは、ワインにまつわる歴史や背景にも興味を持つように。

「ワインを飲むのは演劇の神に感謝を捧げることでもあるんですよね」

ギリシャ神話では、演劇はワインの神ディオニュソスの陶酔状態による祭儀が始まりと言われている。そのため、ディオニュソスは演劇の神様とも呼ばれるようになった背景を持つのだ。

「つまり、私たち役者はある意味、巫女のようなものなのかもしれません。お客様を別世界へとお連れするナビゲ―タ―。何千という視線を浴びるなかで、ひるむことなく輝いていなければいけませんから、ものすごいパワーが必要。だから芝居の最中は、血だけでなく身体中がカーッとたぎっています」

もちろん陶酔状態で舞台に立つわけではないが、芝居が終わったあとにこそ、ワインが不可欠なのだという。

ICHIMURA’s WINE LIFE/自宅のワインセラーのほとんどは、ワインショップで好みを伝えて選んでもらった普段飲み用。ドン・ペリニヨンやベル・エポックなどのシャンパーニュはいただき物が多いとか。

「高揚した頭と身体を、ワインがすーっと収めてくれる。私にとってワインは血。血が栄養を身体中に運ぶようにワインは沈静を広げてくれる。生きてゆくにはどちらも必要。そしてゆっくり眠り英気を養うことで、次の舞台でまた集中できる。激しく生きてこそのワイン、ですね」

いみじくもニ―チェは言った。永遠に自分自身を創造し、また永遠に自分自身を破壊する働きとしてのディオニュソス的世界にこそ、人間にとって真実の生はあるのだと。演劇とワイン、ふたつを極めた現代のディオニュソス・市村正親氏は、ワインとともに真実の生を生きている。


vini di ARAI
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Masachika Ichimura
1973年に劇団四季の『イエス・キリスト=スーパースター』でデビュー。『エクウス』『オペラ座の怪人』など多くの作品で主演を務める。退団後はミュージカルや一人芝居などさまざまな舞台や映画、ドラマで活躍。現在、『屋根の上のヴァイオリン弾き』が公演中。今後は、『ラ・カージュ・オ・フォール』『市村座』『モーツァルト! 』などが控える。


Text=西田恵 Photograph=田邊剛 Styling=カワサキタカフミ Hair & Make-up=中野真紀