【中田英寿/に・ほ・ん・も・の外伝】牧野植物園と中田英寿の意外な関係 <高知②>

2009年から’15年の約6年半、のべ500日以上をかけて、47都道府県、2000近くの場所を訪れた中田英寿。世界に誇る日本の伝統・文化・農業・ものづくりに触れ、さまざまなものを学んだ中田が、再び旅に出た。

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癒やされつつも好奇心を刺激する

もし自分ひとりで高知を旅していたとしたら、わざわざ植物園を訪ねようとは思わなかっただろう。旅のスケジュールに「県立牧野植物園」という文字を見たときも、中田英寿がそこを訪問先として選んだことを少し意外に思うくらいで、それほど期待はしていなかったというのが正直なところだ。だが、結論からいうと、ここは機会があればもう一度ゆっくり時間をかけてまわってみたいとまで思わせるほど素敵な植物園だった。

牧野植物園は、前年に没した高知出身の植物学者・牧野富太郎(1862〜1957)の偉業を後世に伝えるための施設として、1958年に開園した。高知市の五台山の上半分をほぼまるごとつかった広大な面積のなかには、約3000種類の植物が生い茂り、来場者の目を楽しませてくれる。

牧野富太郎は、まだ日本の植物が解明されていなかった時代、自らの足で全国を歩いて植物の調査・研究を行った「日本の植物学の父」と呼ばれる人物。600種以上の新種を発見し、2500種以上を命名し、50万点以上の標本や観察記録をのこしたという。この牧野植物園では彼がのこした実際の標本や観察記録を見ることができるほか、資料に埋め尽くされた牧野博士の書斎なども再現されている。

「現在は、高知県や日本国内の野生植物の調査、収集、保全に取り組むほか、海外の植物多様性の解明、資源植物の探査も行っていて、世界中から植物の専門家が訪れる施設になっています」(栽培技術課・藤井聖子さん)

この植物園のもうひとつの見どころは、サステナビリティをテーマに木材をふんだんに使った建築だ。円形になったエントランスは、まるで空をくり抜いたような開放感があり、そこから続く廊下、そして牧野富太郎記念館へとたくさんの植物と見事に“共生”している。設計は、日本を代表する建築家・内藤廣。

「実は僕の会社の内装も内藤先生にお願いしたんです」

そう言われて、都内にある中田の会社のことを思い出す。確かにあの居心地の良さは、この牧野植物園と通じるものがある。まさか建築家が同じだったとは……。

記念館で牧野富太郎の偉業を知り、園内を散策。まるでもとからあった原生林のようにたくさんの木々が生い茂っているが、実は緻密な配置によって自然の状態を再現しているのだという。大きな温室では珍しい熱帯植物の生態を知ることもできるが、

「真夏は暑すぎて、温度調節してある温室のほうが涼しいくらいです(笑)」(藤井さん)

秋も深まった今ごろは、またちがう景色になっているのだろう。牧野植物園は、植物にさほど関心がなくとも楽しめる植物園だ。歩いているだけでも、深呼吸しているだけでも気持ちがいい。ゆっくり散歩しているうちにそこにある植物に自然と興味が湧いてくるのは、牧野博士の思いが受け継がれ、それが伝わってくるからなのかもしれない。

「に・ほ・ん・も・の」とは
2009年に沖縄をスタートし、2016年に北海道でゴールするまで6年半、延べ500日以上、走行距離は20万km近くに及んだ日本文化再発見プロジェクト。"にほん"の"ほんもの"を多くの人に知ってもらうきっかけをつくり、新たな価値を見出すことにより、文化の継承・発展を促すことを目的とする。中田英寿が出会った日本の文化・伝統・農業・ものづくりはウェブサイトに記録。現在は英語化され、世界にも発信されている。2018年には書籍化。この本も英語、中国語、タイ語などに翻訳される予定だ。
https://nihonmono.jp/


Composition=川上康介 Photograph=淺田 創



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