怪我の多かった阿部勇樹が鉄人と呼ばれるようになった理由 〜一期一会、僕を形作った人たち④

浦和レッズのトレーニングは、夏場はたいてい午前9時に始まる。その約2時間半前にクラブハウスに姿を見せるのが、阿部勇樹だ。クラブハウス内にある食堂では7時から朝食が摂れるが、阿部の一日はその食堂から始まる。そして、食事のあとから、練習のための準備をする。体をチェックし、テーピングなどを施す。ときにはマシーンを使い、筋肉トレーニングをし、刺激を入れてから練習に臨む日もある。そんな阿部は、10代のころは怪我の多い選手だった。が、2003年にイビチャ・オシム監督が就任すると、強度の高いトレーニングと試合をこなし、徐々に強靭な肉体を手に入れる。現在に至るまで、年間40試合あまりの試合出場をこなし、鉄人と呼ばれるようになった。


連載1回目【阿部勇樹】ブレない精神を最初に教わった師とは?


ピーター・ボスから学んだこと

怪我をしたとき、頭に浮かぶのは、「一日も早く完治させて、ピッチに戻る」ということだけだった。2000年に脛の骨を骨折したときも、そうだった。再発防止や予防のために「強化する」というイメージはなかった。僕が怪我をする場合、試合中の接触というのではなく、疲労骨折や筋肉系のトラブルなど、自らが痛めることが多かった。だから、焦りが生まれてしまうのかもしれない。ボールを蹴りすぎて、内転筋の肉離れを発症したことも。

チームの練習メニューとして、フィジカルトレーニングを行うことはあっても、基本的に体の強化やケアは、選手自身の意思で行わなければいけない。自らが筋肉の張りや体の変化を察知して、アイシングやストレッチ、マッサージや筋トレなど、必要なものを選択し、行う。

早くクラブハウスに来て、練習の準備をし、練習後も遅くまでクラブハウスにいる。ペーター(ピーター・ボス)が、丁寧に自分の体を扱っているのを目にしながらも、その意図や意味を当時の僕はわかっていなかった。ただすごいなと思うだけだった。そして、先輩がやっているのを見様見真似でやったとしても、実際には知識が乏しいと効果も不確かだ。

けれど、長期離脱したことをきっかけに、自分の体への興味も高まった。怪我をしてからでは遅い。怪我をしない体を作ることを意識すれば、自然とクラブハウスで過ごす時間は長くなる。ペーターがやっていたことは、すごいことではなく、当然のことを当たり前にやっていただけだった。

当たり前のことを当たり前にやる

この夏38歳になった。今年、浦和レッズに加入した高卒ルーキーの選手たちは19歳。自分の半分の年齢だ。彼らが生まれたころにはもうプロ選手としてプレーしていたのかと思うと、自分がよくここまでつぶれずにやってこれたなと思う。

20年前、プロとしてのキャリアを歩み始めたころ、僕の前を歩いていた先輩たちの背中に追いつくだけで精いっぱいだった。そのひとりがペーターであることは間違いない。当時ペーターは35、6歳くらいだったけれど、19歳になる僕にとっては、想像を超える年齢だった。

しかし、「もし、年齢を重ねて現役でプレーできるのなら、ペーターのような選手になりたい」と思ったのも事実だ。目標というほど明確ではないかもしれない。でも、心のどこかで常に、「頑張れば、あんなふうになれるチャンスがある」と思い続けていたのかもしれない。

たとえば、壁にぶつかったとき、ひとりでは頭を抱えて動けなくなりそうなとき、そういう先輩の姿を思い出しながら、前へ進んで来たように感じる。もちろん直接助言を得ることもあるけれど、ただ「いてくれた」という事実だけでも大きい。

ペーターが僕に教えてくれたのは、当たり前のことを当たり前にやるということ。簡単なようで、これは結構難しいし、だからこそ重要なことだと、今感じる。

朝6時過ぎに起きて、9時から始まる練習の準備をする。練習時間は90分ほどだけれど、そのために費やす準備の2時間や2時間半も、僕にとっては練習の一部でしかない。そして、1週間の練習すべてが、週末の試合のための準備だ。「練習でできないことは試合でもできない」から。練習は試合に出るためのアピールの場。練習は巧くなるための時間。若いときはそれしかなかった。

でも、もっと周りを見て、試合をイメージし、細かいことを意識し、たとえばコーチングの声ひとつにもこだわっていれば、違ったかもしれないと、今になって気付くことは多い。ペーターが練習中、どういうタイミングで声を発し、どういう選択をしたのかとか、見過ごしてしまったことが多いと感じるたびに残念でしかたがない。

ペーターに限らず、ジェフには多くの素晴らしい外国人選手が在籍していた。もっと盗めることがあったはずなのにと、思うからこそ、今、若いチームメイトたちに話す機会があれば、伝えたいとは思っている。だけど、誰かに言われたから……ではダメだということも僕は知っている。自分で気づけるかどうかもまた大切なことだから。

ペーターと共にプレーしたのはわずか半年。そのときには気づかなくても、離れていた10数年間に気づけたこともある。だから、「キャリアを積んで非常にいい選手になったと思う」とペーターが言ってくれたことが誇らしい。

続く

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子



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