追いかけ切ることができない潮流に自分を合わせようとするな。ドリアン助川【ゲーテの名言④】

世界的文豪、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ。作家のドリアン助川さんは言う。ゲーテの言葉は「太陽のように道を照らし、月のように名無者を慰める」と。雑誌『ゲーテ』2008年2月号に掲載した、今こそ読みたいゲーテの名言を再録する。    

星のように急がず、しかし休まず、人はみなおのが負いめのまわりをめぐれ!

――『ゲーテ格言集』より

生きるほどにゲーテは、遠くを目指すな、大なりを語るな、近くから始めよ、小さなことから完遂せよと説くようになった。

生涯かけて『ファウスト』を仕上げた人の言葉である。大なる人だからこそ、逆にこうした言葉に説得力がある。だが、これは創作に於ける心得に留まらず、生活をする者それぞれへの言葉としても受け取れそうだ。世間を追うな、追いかけ切ることができない潮流に自分を合わせようとするな、と言っているかのように。

創作することも、生きることも、つきつめて言えば自分の問題だ。自分の心が及ぶ範囲にしかない。しかもその心は、なにかに秀でているとのぼせ上がった慢心ではなく、むしろたいていの場合、至らない自分、貧しさがしみる自分、理想との距離に嘆く自分、運命を恨む自分、つまりは痛みの方であろう。

痛みとは、極めて個人的なことだ。生活の場、もっと言ってしまえば、呼吸できる範囲にこそ痛みは宿る。自分にはスーパーモデルのような手足の長さがないからといって、その差を痛いと思う人はそういない。だが、大事に育んできた仕事が周囲に受け入れられなかったら、それは痛い。その人の生きてきた日々が否定されたに等しいからだ。

負い目はここに生じる。辛い。悔しい。でも、そこから始めるしかないのだ。その痛みを和らげるために、もう一度よく考え、挑戦し直すしかない。痛みや負い目があるからこそ、人は心の窪みに新たな土を盛り、耕し、血肉に根を張らせ、おのれの花を育てようとする。だから、負い目を感じない人がいるとすれば、これほど機会から遠い残念な人はいない。生まれ出た人が、自ら育て上げた「人」になるためには、負い目に苦しみ、直視し、それでも微笑み、食べ、飲み、歩き、手を差し伸べようとする姿勢が必要だ。その上でのひたむきな前進が、ゲーテが言うところの創作的な人生なのだろう。

亡き開高健さんもまた、「悠々として急げ」としばしば発していた。慌てるほどではないが、誰の人生もそう長くはない。よく生きたのだと最後にうなずくためには、自らの負い目をよく知ることである。そして忘れず、そこから創り出すことである。

――雑誌『ゲーテ』2008年2月号より


Durian Sukegawa
1962年東京都生まれ。作家、道化師。大学卒業後、放送作家などを経て1994年、バンド「叫ぶ詩人の会」でデビュー。'99年、バンド解散後に渡米し2002年に帰国後、詩や小説を執筆。'15年、著書『あん』が河瀬直美監督によって映画化され大ヒット。『メキシコ人はなぜハゲないし、死なないのか』『ピンザの島』『新宿の猫』『水辺のブッダ』など著書多数。昨年より明治学院大学国際学部教授に就任。