【阿部勇樹】中学からともにプレーした佐藤勇人の引退に想うこと 〜僕を形作った人たち⑤

9月16日、ジェフユナイテッド千葉の佐藤勇人が現役引退を発表した。1982年3月生まれの佐藤がジェフのユニフォームを着たのは、中学1年生のとき。双子の弟、寿人のあとを追うように、ジュニアユースチームに加入している。そのチームでともにプレーしたのが阿部勇樹だった。その後3人は高校進学時にユースチームへ昇格し、2000年にはトップチーム入り。高卒ルーキーとしての絆は今もなお強く結ばれている。


佐藤兄弟と3人での新加入会見が僕らのスタートだった

現役を引退すると勇人からメールが届いた。それ以前に食事をする機会があり、自分たちの38歳という年齢を考えれば、当然そういう話題にもなるけれど、実際、そのときは勇人の口から引退の言葉が出てはいなかった。どういう理由でその決意に至ったのか、メールには詳細が書かれてはいなかったけれど、僕自身それが気にはならなかった。

勇人が決めたことだから。その決断を受け入れて、なにかできることがあるなら、あと押ししたい……そんなことを想った。

たとえば、浦和レッズの同じ年齢の鈴木啓太が引退したときも、先輩や後輩の引退とは違う特別な気持ちがあったけれど、やはり勇人の引退にはまた違う感情を抱いた。中学時代からいっしょにプレーしてきたんだから、それも当然だろう。でも、不思議に思う人がいるかもしれないが、思い出に浸るというよりも、勇人はこれから何をするんだろうという気持ちのほうが強い。

中学生年代の選手が所属するジュニアユースに加入したとき、チームメイトには(佐藤)寿人がいた。小さくて、すばしっこい選手。当時の指導者はそんな寿人を「猿飛佐助」って呼んでいた。寿人本人はあまりそのニックネームを気に入ってはいなかったみたいだけど(笑)。

しばらくして、別のチームでプレーしていた勇人がやってきた。

プレ―スタイルも外見も違うから、教えてもらうまでは、双子だとは思わなかった。

前線で走り回る寿人と違い、勇人は中盤でゲームを作る選手だったから、僕と並んでプレーする機会も多く、僕にとっては頼りになる選手だった。だから、最初は同じ双子だけど、勇人のほうが、落ち着いてしっかりした性格だなと感じていた。でも、歳を重ねると、勇人のほうがヤンチャで、寿人のほうがしっかりしているんだなと思うこともあった。だけど、またその印象が僕のなかでは、入れ替わったりもして、今思うと、寿人が落ち着いて感じられるときは、勇人が自由人に思えるし、たとえば、その逆だったりと、ふたりはいつも違う印象を僕のなかに残しているような気がする。本当のところはよくわからないけれど、ふたりにはいつも驚かされたり、刺激を与えてくれる存在だった。

僕ら3人は「特別な言葉」を交わすことが少ない関係

たとえば、2002年に寿人はセレッソ大阪への期限付き移籍を決意している。当時はまだ20歳になったばかりで、ジェフを離れる決断を下すなんて想像できなかった。僕自身もいつか海外のクラブでプレーしたいという夢を漠然と抱いてはいた。でも、実際に寿人が移籍したことで、いつか僕もそういう決断をして、ジェフを離れる日が来るのかなと、考えたことを覚えている。

寿人が移籍すると知ったときも驚きはしたけれど、寿人が考え、決めたことなんだからと特になにかをいうわけでもなく、送り出した。

僕ら3人は「特別な言葉」を交わすことが少ない関係だと思う。佐藤兄弟の間のことはわからないけれど、僕と彼らとはそういう感じだ。

「頑張れ」とか「大丈夫だよ」とか、そういう多少の励ましや労いの言葉や「めちゃくちゃキツイよ~」といった、思わず吐露してしまう愚痴や弱みをさらけ出すみたいな言葉を口にすることもあったのかもしれないけれど、それほど言葉を重ねたという記憶がない。

「あいつなら問題ない」という安心感や信頼感を抱いているからだろうか。

僕が負傷でワールドユース(現U-20ワールドカップ)への出場を断念したときも、メンバーに選ばれた寿人とは特別な会話はなかった。「何も言わない」という優しさが嬉しかったし、それで十分だった。

僕がジェフから浦和レッズへの移籍を決意したときも、ジェフに残る勇人へ想いを託すために言葉を残したわけでもないし、勇人と熱い言葉を交わし合った記憶はない。

それでいいと僕は思っている。
 
2000年、新加入選手の会見に3人そろって出席したときは本当に嬉しかった。あそこが僕らのスタート地点だ。プロ選手としてのキャリア、そして現役を引退してから歩くだろう道のり。すべてがあのときから始まっていると僕は思っている。

佐藤勇人の次のキャリア、人生がどうなっていくのかを考えると楽しみだ。現役を続けている僕に、これまで同様に大いなる刺激を与えてほしい。

続く

Yuki Abe
1981年千葉県生まれ。浦和レッズ所属。ジュニアユース時代から各年代別で日本代表に選出される。'98年、ジェフユナイテッド市原にて、16歳と333日という当時のJ1の最年少記録を打ちたて、Jリーグデビューを飾る。2007年、浦和レッズに移籍。2010年W杯終了後、イングランドのレスター・シティに移籍。'12年浦和に復帰。国際Aマッチ53試合、3得点。


Text=寺野典子 Photograph=杉田祐一


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