【阿部勇樹】レスターで戦った1年半が現役でプレーする原動力

阿部勇樹は輝かしい経歴の持ち主だが、自らは「僕は特別なものを持った選手じゃないから」と語る。だからこそ、「指揮官やチームメイトをはじめとした人々との出会いが貴重だった」と。誰と出会ったかということ以上に、その出会いにより、何を学び、どのような糧を得られたのか? それがキャリアを左右する。【阿部勇樹 〜一期一会、僕を形作った人たち~22】。レスター編2回目。

レスター時代の出会い

2010年、僕が移籍したレスターFCのホームタウンレスターは、イギリス中部にある人口30万人程度の小さな町だ。ロンドン市内から特急で1時間あまりの場所にある。

2016年に岡崎慎司が移籍し、プレミアリーグで優勝し、世界中のサッカーファンから注目を集めて以降、プレミアリーグの上位グループの一員となったが、僕が加入した当時は2部リーグにあたるチャンピオンシップのチームだった。

サッカー選手として成長したいという想いで、イギリスへ渡ったが、そこでの生活は僕という人間にとっても貴重な時間になった。日本では出会えない人々と出会い、海外で暮らすことで、多くの学びがあり、世界の大きさを知れた。移籍することで得られるものが多いというのは、ジェフ千葉から浦和レッズへ移籍したときに経験している。けれど、初めての海外移籍。生活面をはじめ不安がなかったと言えばウソになる。しかし、レスターというクラブ、そして町が僕の不安を打ち消してくれた。街を散歩しているだけで、ワクワクしたことを覚えている。そして、充実した1年半を過ごすことができた。試合の勝敗だけではなく、練習やクラブハウスでの時間、サッカーを離れた生活すべてが新鮮で楽しかった。

「勇樹はどうして、試合に出られないんだ?」

街中で僕のことを見つけたレスター・サポーターの男性が、声をかけてくる。

「さあ。僕にはわからないよ。監督に訊いてみてよ」

いつものことなので、僕も軽くそう答えた。

「そうか、応援しているからな」

男性は笑顔でその場を去る。

街中でサポーターに声をかけられるというのは、日本でもよくあることだった。

ただ、レスターのサポーターの印象は「あっさりしている」という感じ。レストランや街中で僕の姿を見ても、声をかけてこないケースもあるし、ただ挨拶をするだけという場合も少なくない。たまに「ちょっと写真いいですか」と言って、2ショットを撮ることもあるけれど、時間的には短い。まあ、僕がそれほど英語を話せないから気を使ってくれているのかもしれないけれど。

2部リーグであってもサポーターの眼は肥えている。

たとえば、身体を張ってボールをキープする、ボールを奪う。小さなプレーであってもあたたかい拍手を送ってもらえた。「そこを評価してくれるのか」と嬉しくなった。もちろん、軽いプレーやミスには厳しいブーイングも飛んでくる。こういうサポーターの眼が選手を育てるんだということを改めて知った。

駅の側から始まる商店街には、数多くのレストランや商店、スーパーやショッピングモールが並んでいる。小さな店舗も多く、日本で暮らしているのと変わらない気軽さで、買い物が楽しめる。

10分や15分程度で歩き回れる広さでしかないけれど、逆にそれが魅力だった。

小さな息子のいる家族は浦和に残り、単身でレスターに来た僕にとって、自炊はひとつの課題だったけれど、午前練習前の朝食と、練習後の昼食はクラブハウスで提供されるので、夕食のことだけ考えればよかった。

商店街中央には、新鮮な野菜や果物を売る大きな市場があり、そこは僕のお気に入りの場所。

「じゃあ、このリンゴもおまけにつけるよ」と、迷っているとそんなサービスをしてくれることもある。

イギリスで最も移民が多いといわれるレスターは、インドにルーツを持つ人をはじめ、アジアの方も多かった。また、レスター大学やデ・モントフォート大学など、大きな大学もあり、世界中から集まった学生の町ともいわれているせいか、人種の違いが原因で居心地が悪いという経験をすることはなかった。拙い英語でも大きな問題もなく生活できていた。

とはいえ、僕はイギリスへ旅行に来ているわけではない。レスターFCと契約するためには、就労ビザが必要だ。所得条件には日本代表歴などがあり、一旦はビザを取得していたけれど、英語の試験に合格する必要があり、クラブが英語の個人レッスンを用意してくれた。そのレッスンが行われていたのが、デ・モントフォート大学構内の教室だったため、僕は大学へ通うことになる。「在学生じゃないから、ここを歩いていたら怒られるんじゃないかな」と最初は不安だったけれど、広大なキャンパスでは僕に気を留める人もいない。ただ、校内を歩いているだけなのに、大学生気分を楽しんだ。

チーム内でサッカーをプレーするうえでは、それほど言葉の壁を感じることは少なかった。簡単な言葉でコミュニケーションをとることができる。覚えたての英語で話しても、チームメイトの返事やプレーを見れば、自分が伝えたかったことが伝わっていると実感できた。

そして、僕を助けてくれるスタッフの存在は心強かった。

会うたびに「勇樹、問題はないか?」と生活面にまで心を配ってくれるスタッフも多かったし、なにより、忘れちゃいけないのは通訳を務めてくれた後藤平太くん(現九州共立大講師)だ。

同じ年で、クラブに合流したばかりの僕を毎日支えてくれた。しばらくすると、サポートは試合の日に限られるようになったけれど、彼は長くイギリスに住み、ラフバラー大学でスポーツ科学を学びながら、指導者の勉強もしていた。後藤くんは、僕にとって通訳という仕事以上の存在だった。試合後、本格的な話を彼と日本語でできるのは、僕がチームに馴染んでいくうえで重要な時間でもあったし、なにより彼との会話は面白く、刺激的だった。プレーヤーとしてではなく、海外でサッカーを学ぶ後藤くんもまた、日本サッカー界にとって、サッカーファミリーの一員なんだなと今思う。

もちろん、サッカー選手として、忘れかけていたことを思い出させてくれる時間でもあった。

ワールドカップ出場というひとつの目標を叶えて、次へ進むために必要なことをレスターでの1年半が僕に与えてくれた。だから僕は今もまだ現役でプレーしているのだろう。

そういう機会を与えてくれたレスターFC、浦和レッズ、そして家族に感謝している。

僕が加入してすぐに、レスターFCの新しいオーナーにタイ人の実業家ヴィチャイ・スリヴァッダナプラバさんが就任された。同じアジア人ということが理由なのかは、質問したことはないけれど、なにかと声をかけてもらえたし、気さくにコミュニケーションをとらせてもらった。

そのヴィチャイ・スリヴァッダナプラバさんが、2018年ヘリコプターの事故で他界されたニュースに大きな衝撃を受けた。試合後にスタジアムから離陸したヘリコプターが墜落。僕もよく知る場所で起きた事故ということ以上に、オーナーとして資金と愛情をサッカーに注ぎ続けたヴィチャイ・スリヴァッダナプラバさんの笑顔を思い出すと、いたたまれなかった。

ただ、僕にできるのは感謝と冥福を祈り、ピッチで恩返しするだけだ。


Text=寺野典子 ©URAWA REDS