宇宙工学者 川口淳一郎 不可能を可能にした男 日本オリジナルの宇宙開発を実現

3億キロ彼方の小惑星への往復と、地球誕生の謎に迫るサンプルの採取。NASAさえ二の足を踏むその未到の計画を、日本が実現すると誰が予想しただろう。一時は宇宙で行方不明になった探査機「はやぶさ」の7年ぶりの帰還は、まさに奇跡だ。はやぶさは、不可能を可能にしたミッションだったのか? プロジェクトマネージャーとして計画に携わった川口淳一郎さんの答えは「NO」だ。

未来の「宇宙大航海時代」へ 
歴史的な一歩を踏み出した

「ただ、それぞれの技術は可能でも、いくつもつながっていれば可能性はぐっと低くなります。最後まで全部いけるかはやってみないとわからない。難しさは折り紙つきでしたね」
 小惑星サンプルリターンの構想が始まったのは25年前。アポロ計画を見て育ち、アメリカの宇宙開発ファンだった川口さんが日本での宇宙開発に携わると決めたのは、この大きな目標が描けたからだったという。
「NASAがサンプルリターンをやらなかったのは、リスクが高いから。我々が提案したなんて無謀もいいところです。でも自分としては、誰かが歩いた後を行くのはイヤだった。オリジナリティのあるものでなければ、納得ができなかったんですね」

小惑星の微粒子を持ち帰る世界初の快挙/川口さんが率いたはやぶさ帰還時の管制室の様子。

 プロジェクトが動き出すまでの10年間は、いわば“シナリオ作り”。ここでどれだけ自由で創造的なディスカッションをできるかが、計画の良し悪しを握ると川口さんは考えている。
「“こうすればできる”という理由を探すのです。これが簡単なようで難しい。日本は“こうだから難しい、できない”っていう文化ですから。そこに“コロンブスの卵”的発想でトドメをさすんですね。立てればいいなら、卵の底をつぶしちゃえば?っていう。そういう考え方で臨まないと、宇宙開発なんてできないんですよ。だって難しいことだらけなんですから」
 それはロケットの運用においても変わらない。特に、燃料漏れや姿勢制御不能、通信途絶などのトラブルが次々と発生した帰路では、「こうすればできる」という発想が、残された余地の中から毎回奇策を編み出した。
「いつ終わるかわからない状態の中、失った機能をなんとかバックアップすることの繰り返し。とにかく“石にかじりついても”という気持ちで。ヨタヨタでもいい、どうしてもはやぶさに帰ってきてほしかった」

オーストラリアの砂漠に落下した回収カプセルには、月以外の天体に着陸して採取した微粒子が含まれていた。

愛と情熱が生み出す
偶然とは違う“幸運”

「世界トップレベルの技術が詰まったプロジェクトは、参加した研究者たちの夢の塊です。それに、これが失敗したら次の計画はない、“それ見たことか、やっぱりハードルは高かったね”で終わってしまう。まあ、そうですね、崖っぷちだったんですね」
 そうした熱意はもちろん、可能と不可能を分けた大きな要素のひとつだ。加えてあげるなら、はやぶさ自身が持つ自律性も、多くの窮地を切り抜ける機能として極めて重要だった。同時にそれは、関係者にはやぶさへの愛情にも似た思い入れを醸成したように思える。
「人格があるというわけではないですが、帰還の過程で“普通の探査機とは違う”と思うようになりましたね。一緒に飛行するパートナーのような感覚だったと思います」
 成功したのは運がよかった、と川口さんは繰り返すが、その“運”は、“偶然”とはまったくの別物だ。強い熱意に駆られ考え抜き、やり抜いた人間だけが手にすることができる。
「強い熱意だけでうまくいくほど簡単じゃありませんが、精神力は大事。私は“根性”って言ってます(笑)。世間は“はやぶさは何か持っている”と思っているかもしれませんが、関わった研究者たちは、そうは思っていないと思いますよ」

Junichiro Kawaguchi
1955年青森県生まれ。宇宙工学者、工学博士。京都大学工学部、東京大学大学院博士課程を修了後、宇宙科学研究所に着任。2000年に教授に就任。ハレー彗星探査機、火星探査機など多くのミッションに携わり、「はやぶさ」ではプロジェクトマネージャーを務める。


Text=渥美志保 Photograph=川口賢典

*本記事の内容は11年10月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい