【中村俊輔】現役引退報道もあったが、奇跡に賭けた!

数々の称号を得て、今も現役を続ける天才レフティ中村俊輔。現在、J2の横浜FCに所属する彼に、何を想い、何を求めて、ボールを蹴り続けるのか、独占インタビューを行った。短期連載第2回。

1回目はこちら


ジダンが34歳で引退したときに、『自分もそれくらいで』と……

プロサッカー選手が現役でプレーし続ける時間は、短い。

10代後半でプロデビューをしても、20年弱でそのキャリアを終える選手は少なくない。現在、35歳の長谷部誠はドイツ・フランクフルトで主力として闘っているが、欧州でも稀な事例として注目を集めるほどだ。

かつては30代になれば、引退や戦力外を余儀なくされた時代がJリーグでもあった。しかし、昨今では、遠藤保仁、曽ヶ端準、小野伸二、中村憲剛など40代に差し掛かる現役選手も多い。そんな超ベテラン選手たちを牽引しているのは、横浜FCの三浦知良52歳であることは間違いないだろう。今季開幕時、ジュビロ磐田に所属し、J1最年長選手だった中村俊輔もまた注目を集める存在だった。

しかし、昨シーズンの中村は、リーグ戦16試合にしか出場できず、初めてリーグ戦でゴールを挙げることができなかった。経年劣化が原因とも言える右足首の故障。自身の加齢と向き合う日々を送っていた。

ここ数年、中村俊輔は、右足首に痛みを抱えるようになった。長年プレーするなかで、右足首の骨の間のクッションとなる軟骨が削れ、滑膜が炎症をおこしていた。そして去年手術に踏み切っている。

「手術後、徐々に痛みが取れて、馴染んでいくといわれていたけれど、なかなか改善しなかった。練習はできるけれど、100パーセントの力でやれず、いつも60パーセントとか70パーセントでしかできていなくて。そのうえ、知らず知らずのうちに右足首をかばいながらプレーしているから、今度は左のふくらはぎや太ももの裏で肉離れを起こしてしまったり……。まあ、負傷した選手がよく陥る悪循環、そんな状態が続いた」

新たな故障というのも中村にとっては、当然不本意なものだが、それ以上に許せないことがあった。

「100パーセントの力で練習ができなければ、試合でいいプレーなんて、絶対にできない。そういう現実が自分のなかで許せなかった」

若いころから、全体練習終了後、ピッチに残り、FKなどの練習を行ってきた。個人判断による居残り練習を許さない監督もいる。特に欧州のクラブでは、禁止されることも珍しくはない。それでもスコットランド・セルティック時代には、熱心にトレーニングし、試合で結果を残す中村の姿勢に感銘を受けた監督が、特別に居残り練習を認め、それがクラブの若い選手に好影響を与えたエピソードが残っている。それほど、中村の練習へのこだわりが強い。中村俊輔が中村俊輔たる所以といってもいいだろう。

しかし、その練習ができない。抱えた負傷は頑張ってきた証であり、ある種「名誉の負傷」なのかもしれない。だから「それは許せる」と中村はいう。「でも、100パーセントで練習ができない」ことを「しょうがない」で片づけられなかった。

所属するジュビロ磐田は、J1残留争いに巻き込まれるほど、成績は低迷していた。そんなチームの力になりたいという想いも叶わない。シーズン終盤に復帰し、J2チームとの入れ替え戦に出場し、残留を決める試合のピッチには立てた。

「これでシーズンが終わり、次のシーズンまではオフがある。これはチャンスだ。ここで1回休んだら、奇跡が起きるかもしれないと思った」と中村が振り返る。当時、現役引退かという報道もあったが、奇跡に賭けてみようと考えていたようだ。

オフという休暇を迎えたものの、ただじっと休んでいたわけではない。

「いろんな人から情報をもらって、ドクターや治療院で足を診てもらった。『これだ!』というのはなかったけれど、足首の話だけじゃなくて、身体全体のバランスや体幹のことなど、今まで自分が持っていない知識をたくさん手にすることができた」

フィジカルに関する考え方、治療法や鍛え方に対する答えはひとつではない。コンディショニングやトレーニング理論、解釈やアプローチは数多く存在するからだ。ある選手には効果的でも、別の選手には意味がないケースもある。中村自身の調子を見ながら、あらゆる方法を試し、情報を得た。

そして2019年シーズン開幕前の合宿では、明るい手ごたえを抱けるまでに痛みが治まった。

「痛みが完全に消えるわけではないけれど、練習後に素早くアイシングをし、基本的な治療の回数を増やすことで、『悪くない、行ける』と感じられた。そして開幕戦では起用してもらったけれど、チームの結果が悪くて、僕が起用される機会も減ってきた。以前なら試合に出なければ、出た選手に置いて行かれないように、とにかく練習の強度を上げていたけれど、休むことで足への負担も軽減されることがわかっていたから、足首の様子を見ながら……と、自分に言い聞かせて、『休むこと』を受け入れられるようにもなった。『現役選手として、まだまだ上手くなりたいし、いろんなものを見たい』と考えて、自分の気持ちに折り合いをつけられるようになれた。それでも、試合に出たら妥協は一切したくないし、してはこなかった。足首の痛みを言い訳にはできない」

試合に出たい想いは強い。だからこそ、休む重要性も理解できた。ベンチに座る日々が続き、チームの成績も好転はしない。昨季に続き、今季も残留争いをせざるを得ないチーム状況。しかし、今季はプレーできる状態だったが、出場機会は訪れなかった。2019年夏、横浜FCへの移籍を決断する。

「出場機会を得られない時期が続き、少しずつ移籍へと気持ちが傾いた。在籍した2年半の間で、プレー時間が短くて、迷惑をかけ、申し訳ないという想いは残った」

その後、名波浩も監督を辞任している。横浜Fマリノスの強化方針の変化などに伴って苦悩していたとき、声をかけてもらった監督だった。「現役時代に代表で、いっしょに戦った名波さんが監督を務めるチームでしてみたいと思った」と当時語っている。

再びの移籍。決して長くはない現役時代。年齢を考えれば、もう残り時間もわずか。2部という新しいカテゴリーで、「自分に何ができるのか?」と新しいチャレンジ欲を秘めて、中村は横浜へ戻った。

「(ジネディーヌ・)ジダン(元フランス代表。現レアル・マドリッド監督)が、34歳で引退したときに、『自分もそれくらいで引退する』と話したこともあった。まあ、ジダンとはレベルは違うけれど」

ジダンが引退したのは2006年。28歳だった中村は、現役としてのキャリアの残り時間を意識し始めたのかもしれない。しかし、現実は面白いもので、引退をイメージしていた年齢を越えた35歳、中村は横浜Fマリノスで、リーグタイトル争いの醍醐味を味わい、自身2度目のJリーグMVPに輝く。

その後、磐田、横浜FCと2度の移籍をするなど、想像もしなかったはずだ。そして、40代の大台に突入しても、サッカーへの情熱が燃え続けている。

続く

Shunsuke Nakamura
1978年神奈川生まれ。横浜F・マリノス、レッジーナ、セルティックFC、RCDエスパニョール、横浜F・マリノス、ジュビロ磐田を経て、現在横浜FC所属。日本代表98試合出場/24得点。


Text=寺野典子 Photograph=杉田裕一


【中村俊輔】短期連載1回目「カズさんに接して、自分の決断を肯定できた」