【連載】男の業の物語 第六回『博打』


博打という言葉は耳に心地良くはないが賭け事というならなんとか受け止めやすい。スポーツを含めて人生には競争が事欠かないが、その勝敗の結果への興味は人間としての本能の発露で、それが賭け事に結びつくのは至極当然のことだろう。特に男の場合は生きていくためにもさまざま競争を強いられるから、その結果についての興味は女以上に賭け事に繋がりやすい。小説にしろ映画にせよ女の博打というのは余り聞くことがない。

かく言う私は賭け事には余り興味がなく、故に博打に凝ったことも余りない。しかし一時期気の合った仲間と作ったキークラブでポーカーが流行り私も手を染めたことがある。あれはキャッシュをもろに扱うゲームで、それ故にゲームを戦う人間の心理が現れて眺めているだけでも興味深いものがあった。

と同じように賭け事のマニアにとっては他人の勝負を眺めているだけでも興味深いものらしく、ある時おもしろい話を聞かされたことがあった。

その男は『劇団四季』の立岡という役者で四季がまだ売れていない頃、劇団の経理担当をまかされていた。ある時集金の用事で新橋の横の昔文藝春秋の本社があった通りを歩いていたら道端に華僑たちのクラブハウスがあって、その一階の部屋で彼等がマージャンをしているのが開け放たれた窓ごしに見えた。暇があったのでマージャン好きの彼が窓の外からその様子を眺めていたら、その内中の一人が所用で立ち上がり抜けていった。そうしたら他の一人が外の彼に気付いて「あんたマージャン好きそうだね。一人抜けたので一緒にやらないかね」と声をかけてきた。

「ええ、でも賭けているんでしょ」

「いやいや、安いものよ」

「いくらですか」

単価を聞いたら相手が答えたので、それくらいならなんとかなると思って、

「でも、私用事があって後一時間くらいしか出来ませんがね」

「ああそれでいい、それだけ付き合ってよ」

言われるまま中に入って付き合い一時間戦ってなんとか勝ちはした。この分だと勝ちの取りは多分四千円かなと思っていたらなんと彼に手渡されたのはその十倍の四万円だった。それを手にしながら、もし負けていたらと思って体が震えたそうな。

賭け事の金に関しては極めて印象的な場面をキークラブで直に目にしたことがある。後にアメリカに渡り有名になった荒川修作が何やら怪しげなパフォーマンスをしてみせたり、黛敏郎がジョン・ケージたちとメタムジカなる訳のわからぬ超現代音楽を演奏してみせたり、誰かが滅多に見られぬインディカー・レースの凄まじい記録フィルムを持ち込んで見せたり、一度誘って遊ばせた亡き三島由紀夫が「ここは一種の魔窟だな」と慨嘆していたような滅多にない遊びのスポットだった。

そこの人気の少ない中二階の一角で、ある頃からポーカーの博打が流行りだした。その建物のオーナーがその道の通で私も手解きを受けむき出しのキャッシュの行き交うなかなかエキサイティングなゲームに凝りだした。

ある時その仲間の常連の一人がなかなかのポーカー打ちを連れてきた。建物のオーナーはその道のプロでそこでの素人の遊びにプロは一切入れることはせずにいたが、その夜初めて見た客は素人ながらカードの手捌きも鮮やかで強かな遊び手に見えた。その場に居合わせたのは常連のある古手の有名な歌手のマネージャーの男とこれも常連のある老舗の製薬会社の中年の社長、それに私と当時隆盛を極めていた渡辺プロの社長の渡辺晋さんで、その時の勝負はかなりの活気で進んでいた。

しかし私はある時点で勝負から降りていた。というのはその前試合で私の手の内にかなり良い手がきていたのだがそれを物にすることが出来なかった。それはエース二枚の後はジャック二枚のフルハウス待ちという絶好の手で、私からいい気になって場を吊り上げていったのに最後の一枚が手に入らずみすみすのチャンスを逃してしまっていた。どうやらその夜のつきは私には回ってこない予感で持ち金の十万は最後の私からの場のレイズで事切れてしまい、それ以上の散財を惜しんで以降仲間の勝負を端から眺めることにした。これもまたなかなか興味深い見物で横から覗いた手の内のカードをいかにブラフをかませながら相手を牽制していくかの心理作戦は物書きの私としても大層参考になったものだった。

その内に誰かが言い出してその場のルールがデュースワイルド、つまり2のカードがオールマイティということになり手の内のカードの組み方が多岐にわたるものとなり、必然それぞれの思惑をかまえて場の賭け金の額が段々高いものになっていった。

ルールが変わったので私も途中からまたゲームに加わったが、ある段階で相場が跳ね上がり適当なタイミングでまた試合から降りてしまった。当時の私の原稿料はかなり高いものだったが、それでも昨夜書いた原稿料をみすみす博打で失うのは馬鹿馬鹿しく当時まだ昭和二十年代の十万円の価値といえば今時の百万円以上の価値があったものだった。

その内にゲームの場は新規のルールのせいもあってかさらにヒートしていき、最後は渡辺プロの晋さんと新規の顔の知れぬ男との二人の対決とあいなった。場の賭け金の額は段々レイズしていき二人の意地の張り合いみたいになり、ついにメイク四十万という破格なものにまでなった。そして晋さんもそれに応えてコールしたら、相手の男がもの静かに、

「それではメイク五十万といきましょう」

それは私の知る限りその店での手慰みの中で今まで知る限り最高のものだった。周りの仲間が固唾を呑んで見守る中で晋さんが、

「よしコールだ。ただしキャッシュが足りないので小切手を書かせてもらいたい」

言ったら相手の男が控えた静かな声で、

「いや渡辺さん、ポーカーはあくまでキャッシュのゲームの筈じゃないですか。小切手は困ります。ならば降りてくださいよ」

たしなめて言ったものだった。

言われて晋さんが怒って顔色を変えるかと思いきや、

「わかった。それじゃこれからキャッシュをつくってきますから、少し待っていてもらえますかね」

言われた相手もごく落ち着いた面持ちで、

「いいですよ。お待ちしていますからどうぞ」

ということで晋さんは自分のカードを胸にしまい残りのカードを箱ごと店の主人にあずけて席を立ち、夜中の二時すぎというのにどこかへ金策に出かけて行ったものだった。

それから三十分ほどして晋さんは小走りで戻ってきてテーブルに座り直し、ポケットから取り出した札束を数え直してテーブルに置いて、

「メイク五十万でしたね。ならばこれでコールです」

言った途端相手の男が、

「いやあ夜遅くご苦労さまでしたね。コールですか、ならば私はダウンです」

薄い微笑で言い切ったものだった。その瞬間誰かが音は立てずに拍手してみせ、皆が期せずしてそれに倣ったものだった。

あれは私の知る限りでの男同士の博打のポーカーならではの名勝負と言えたに違いない。

第七回に続く
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石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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