F1チームを個人所有した鈴木亜久里の波瀾万丈秘話 お金で買えないものが手に入ると、世界は変わる

日本人として初めて、F1純国産チームのオーナーになった鈴木亜久里氏。動機はいたってシンプル。憧れの舞台で"レースごっこ"に没頭したかったから。だが、現実は......。ビジョンを実現させた男がその先に見た景色とは。

大きな夢をかなえたら物欲が消え、身軽になれた

鈴木氏が、ホンダから技術面と資金面の援助を受けてF1コンストラクター「スーパーアグリF1チーム」を立ち上げたのは2006年のこと。所在地を東京に定め、車体、エンジン、タイヤ、ドライバーがすべて日本籍という純日本チームである。日本チームがF1にレギュラー参戦したのは史上初であり、現段階でも唯一無二の存在だ。

戦況を見守る鈴木亜久里氏。

「FIA(国際自動車連盟)にF1へ新規エントリー申請したと発表したのは05年11月。当時必要だった55億円の供託金を長年の友人に借りて、半年後の翌4月の開幕戦バーレーンGPからF1に参戦しました」

憧れた舞台で"レースごっこ"がしたかった

ドライバーの山本左近氏がタイムアタック中。

鈴木氏がチームオーナーになりたかったのは、「子供の頃から憧れた舞台で"レースごっこ"がしたかった」から。それが実現したのは、その夢を常に口に出し続けたからだという。

「夢を持てとよく言うけれど、それを口にしないと誰も気づいてくれない。マニフェストがないと政治家が何を考えているかがわからないのと同じだね。夢を語っていれば、それに共感してサポートしてくれる人が現れるもの。ドライバーとしてF1の世界チャンピオンになれなかったのは、そもそもチャンピオンになるという夢が自分自身になく、口に出しても言ってなかったせいだろうね(笑)」

2007年スペインGP。チーム初入賞に喜ぶドライバーの佐藤琢磨氏とスタッフ。

夢をかなえた鈴木氏を待っていたのは、世界的自動車メーカーがオーナーで確かな技術力を誇るライバルとの戦いだけではなく、お金との戦いだった。

F1ドライバー時代に稼いだお金も全部費やした

「自動車メーカー系のコンストラクターより小規模とはいえ、年間120億円ほどの活動費が必要でした。ざっくり言うと毎週2億円ずつ資金が減るイメージ。レースで上位に入ること以上に会社を潰さないことが大変だった。出資したいとか、一緒にチームをやりたいとか、株を買いたいとか、世界中の怪し気な連中から声がかかりましたよ。その頃、帰国して表参道あたりを通ると、みんなが幸せそうに見えて"なぜ俺はこんな大変な世界に首を突っ込んだのか"と落ち込んだこともありました」

結局、資金不足に悩まされ、2年半で撤退。7年間のF1ドライバー時代は平均年7億~8億円で契約していたが、そこで稼いだお金も全部失う。でも、まったく後悔していないという。

「小さかったけど、チームの団結力も士気も高かったし、入賞もできてポイントも獲れた。もっと頑張れたと思うし、もう少し長く続けたかったけど、最終的にはお金が回らなくなった」

大きな夢をかなえると、人は身軽になれる

フリー走行開始をピットロードで待つ首脳陣。左から鈴木氏、テクニカル・ディレクターのマーク・プレストン氏、マネージング・ディレクターのダニエル・オーデット氏。

大きな夢をかなえる経験をしてから、欲しいものがなくなり、すっかり身軽になれたという。

「ドライバー時代はモナコに住んでクルーザーを持ち、高級時計をコレクションした時期もありましたが、いっさいの物欲がなくなった。審査も厳しいので、いくらお金があってもF1チームのオーナーになるのは難しい。お金で買えないものが手に入ると、お金で買えるものはどうでもよくなるのかもしれない」

そう語る鈴木氏は今どんな夢を抱いているのだろうか。

果敢にコースを攻めるアンソニー・デビッドソン氏。

「60歳で引退(笑)。というのは冗談だけど、好きなことを散々やらせてもらったので、あとは恩返しですね。これまでいろんな人に助けてもらったから、今後は僕が助ける立場になる。ドライバーとしての経験とオーナーとして築いた人脈を生かし、将来世界チャンピオンを目指せるような若手日本人F1ドライバーの育成に励んでいます」