現役として日本バスケ界を長らく牽引した50歳、折茂武彦の決断【コロナ禍のアスリート】

STAY HOMEが続くなか、アスリートはどのような決断をし、どのような行動をしているのだろうか。約1年の延期が決定した東京五輪を目指す選手、体力の限界を感じて競技を終える選手、スポーツの専門家として情報を発信をする選手……。さまざまなトップアスリートのスペシャルな思考とは――。

「荷物が重たすぎてもう持ち上がらなかった」

予期せぬ形で27年間の現役生活に終止符が打たれた。5月14日に50歳を迎えたBリーグ最年長の折茂(おりも)武彦(50=レバンガ北海道)は、昨年9月に2019-'20年シーズン限りでの現役引退を表明。新型コロナウイルス感染拡大の影響で3月27日にリーグ打ち切りが決まったため、無観客で行われた同15日のアウェー川崎戦が最後のユニホーム姿となった。5月3日にはオンラインで引退会見を実施。「あっさり終わったので、心の整理ができていない。やり残したことはたくさんあるが、いいバスケットボール人生だった」と万感の思いを言葉に込めた。

不完全燃焼のシーズンとなったため、ファンやスポンサーからは1年限定での現役続行を望む声も上がった。だが「27年間、背負ってきた荷物を一度、下ろしてしまった。今まではどんなに苦しくても下ろさずに来た。だからこそ背負えていた。その荷物が重たすぎてもう持ち上がらなかった」と引退を先延ばしする余力は残っていなかった。今季開幕前には肺疾患が判明。病名は間質性肺病変で、悪化すれば間質性肺炎という難病になる。「それほどプレーに影響はなかった」と説明したが、精神的にも肉体的にも限界だった。

1993-'94年シーズンにトヨタ自動車(現アルバルク東京)でキャリアをスタート。同年はJリーグが開幕した年でもあった。折茂は「長い間アマチュアの企業スポーツの世界でやってきて、マイナースポーツから抜け出させない部分があった。プロ野球、Jリーグとの違いをまざまざと見せつけられた。年俸、メディアでの扱われ方など悔しい思いをした。バスケをメジャースポーツにしたい思いは人一倍強かった」と振り返る。

2019年1月に国内トップリーグ史上3人目、日本出身選手としては初の通算1万得点の偉業を達成。「勝負に徹してきたためバスケを楽しいと思ったことは一度もない」と言うストイックさが活躍を支えてきた。コート上では厳しい表情を崩さない一方で、オフコートでは別の顔を持つ。羽振りの良い性格で知られ、トヨタ自動車時代には「小銭は金じゃない」と豪語。ファッションリーダー的な存在でもあり、一時は折茂の愛用する香水を多くの若手が真似をして使い、どのバスケ会場も同じ香りがしたとの逸話もある。オンコートでのストイックさと、オフコートでの華やかさ。両極端な姿の裏には野球、サッカーへの対抗心があった。

レバンガ北海道では社長も務める。2011年に所属していたレラカムイ北海道が虚偽決算問題で日本バスケットボールリーグから除名された。東日本大震災の混乱も重なり新会社設立の動きも鈍かったため、自ら新法人のトップに就任。新クラブとして「がんばれ」を逆から読んだ「レバンガ」を創設したが、当時は事業計画書も予算も組んだこともない経営の素人だった。'15年8月に新たに誕生するBリーグ参入が決定。現在はコロナ禍による厳しい経営を強いられているが、昨季までは3年連続黒字化を達成している。

Bリーグ発足後、日本バスケ界は目覚ましい発展を遂げた。'19-'20年シーズンのB1クラブ所属の日本人の基本報酬は平均1610万円。日本代表登録された選手に限れば4540万円にまで伸びた。既にマイナー競技から脱却した感は強いが、折茂は更なる飛躍へ世界の舞台で結果を出す必要性を強調。「東京五輪は日本バスケを国民にアピールするチャンス。延期で難しい状況になったが、プロである以上しっかり結果を残して、コート内外で子供達の目標、見本になってほしい」と後輩に期待を寄せる。

バスケを愛し、その発展を願い続けた27年間だった。息つく間もなく、クラブ経営者としての戦いは続く。「新型コロナウイルスの感染拡大で、道内企業を含めて全国で厳しい状況が続いている。苦しい時代から黒字化して積み上げたものが吹き飛んだ。もう一度しっかりとした体勢を築くことが当面の仕事になる」。日本リーグ時代は考えられなかった満員の体育館が、Bリーグ発足後は当たり前の光景になった。経営を再び安定させ、その日常を取り戻す仕事が待っている。ブースターから愛されたレジェンドが無観客試合でキャリアの幕を下ろしたことも何かの暗示に思えてならない。


Text=木本新也