【知られざるヒーロー列伝】「体の張りは、心の張り」~トレーニング界の伝説、遠藤光男 最終回

すごい男がいたもんだ! 話を聞きながら、昔流行した、ビールのコマーシャルのワンフレーズが、脳裏をかすめた。 遠藤光男氏、75歳。戦後、黎明期の日本ボディビル界を語る上で欠かすことのできない人物であり、まだ方法論が確立されていなかったウェイトトレーニングに、独自の合理的なメソッドを導入した、パイオニア的存在でもある。ここに示すのは、そんな知られざるヒーローの物語。  


半世紀以上にわたるトレーニング人生を振り返って

小学生の頃、力道山のプロレスを見ていて、アメリカから来るシャープ兄弟をはじめとするレスラーたちの体つきに憧れて、大きくなったら鍛えて、ああいう体になりたいと思ったのが、私のトレーニング人生の始まりでした。

高校2年生で後楽園ジムに行き出した時は、友達も十何人入会したんですが、誰も続きませんでした。自分だけ、ずっとそのまま継続してきたんです。

前にもお話ししましたが、ボディビルというものは、ある意味今でも特殊なんですけれども、かつては変わり者がやる運動だという偏見がありました。始めたときには、なかなか家族にも言えなくて、内緒にしていたほどです。

若い頃、ジムに行けないときに、家でトレーニングしようと思って、近所にいくつか鉄工所があったものですから、そこに行って5キロとか10キロとかの鉄板をくりぬいてもらっていました。鉄工所だと、1キロ55円で買えたんです。10キロなら550円。それを集めて、シャフトもそういう所で買って、自分でバーベルを組み立ててやったりしましたね。

昔は公園にジャングルジムや鉄棒があったでしょう。そこに夜中の12時とか1時ぐらいに行って、トレーニングしたり。そういうことを何年もやっていたんです。だから、自分のジムを作ってからは、1日中練習できるのが、うれしくてしょうがなかったですね。

ジムを開いて、51年になります。トレーニング始めてからだと60年ですか。アームレスリング協会というのも立ち上げて、これは41年になります。自分では、反省することばかりが多いですよ。はっきり言って、ビジネスっていうことをまったく考えないで生きてきちゃったんです。それで家族に迷惑かけてしまった部分があったことは、心残りではあります。

ただ、自分の性格で、果たしてビジネスだけで生きてこられたかなあ、と考えると、ちょっと疑問はあるんです。損得勘定は分からないんですが、自分が好きなことを追求したいという一心で、傍からは好き勝手にやってきたように見えるところもあると思いますが、それもしょうがなかったかな、と思っています。

今までしてきたことが生きてきて、最終的にいい方向になっていけば、それでいいかなあと思っていますよ。なかなか計算ずくでは、人生は進んでいかないですから。あのときああしておけばよかった、このときこうしてくれたらよかったっていうのは「たられば」の話でしかなくて、なかなかそうはないかない。

ただね、いろんな意味で、感謝してくれている人たちもいると思いますし、自分でもこれでよかったのかなと思っているところもあります。

30代の頃の家族写真。妻・繰子が抱っこしているのが、長女・まや。下は、長男・克弘(現エンドウジム・チーフトレーナー))

ボディビルが市民権を得始めた頃

私が初めてテレビに出たのは、桂小金治のアフタヌーンショーっていう番組でした。それから11PMとか、ほかにもいくつか出るようになりました。やっと、ボディ・ビルがマスコミから認められ始めたのが、その頃からだったんじゃないでしょうか。昭和40年代ぐらいですね。

バーベルメーカーが、私の写真を使ったりなんかして、バーベルセットやダンベルセットを売り出し始めたのもその頃です。それで全国的に行き渡って、ボディビルが普及し始めるんです。

その当時、日本には器具らしい器具がなかったんですよ。ほとんどがアメリカから入ってきたもので、日本製のバーベルとかダンベルはなかった。あっても、前にお話ししたような、山中バーベルっていう会社が作っていた、コンクリートにブリキのカバーを被せたようなものぐらい。輸入ものの器具は、トレーニング場もあった神田美土代町のYMCAが扱っていましたが、でもその程度だったと思います。

世の中のボディビルやトレーニングに対する見方が本当に変わってきたのは、ここ10年ぐらいですね。フィットネスっていう言葉が広まってきた頃からです。ボディビルっていうと特殊社会だったんですが、フィットネスとか競技の補強トレーニングとかっていうことが、広く言われるようになってきたわけです。

今、ボディビルの大会では、フィジークという部門があるんです。これは、足腰は鍛えなくて、バミューダパンツはいて、上半身だけのカッコよさを競う。しゃなりしゃなり歩いて、腹筋が出てて、シルエットがいいとかっていうので順位を付ける。こういう大会が始まってから、一般の人もやり始めるようになったんです。

健康に対する意識が高まってきたこととの関連性もあると思います。サプリメントもそうですよね。今は、サプリメントは運動してない人や、お年寄りも摂っている時代でしょう。健康志向が高まったのは、この10年ぐらい。特に高齢者の人たちは、そのあたりからだと思うんです。

高齢者の健康づくりを通じて日本を元気に!

これまで力士やレスラー、いろいろ運動選手を指導してきましたが、これからは自分の年齢も考えて、高齢者の健康づくりに力を入れていきたいと思っています。既に高齢者を対象とするトレーニングを、墨田区の方でもう13年やっているんですけど、すごく評判がよくて、参加者希望者があふれちゃうほどなんです。それを、都内の他の地域や他府県にも広げていきたいですね。

お年寄りのためになるトレーニングを通じて、日本を元気にしていくことに力を注いでいきたいですね。これからの人生を、それに賭けらればいいかなあと、今までの経験を生かせるんじゃないかなあと、思っています。

自分自身は、トレーニングはまだまだ続けていますよ。最低、あと10年はこの体を維持していきたい。そして「体の張りは、心の張り」という自分のモットーを、一般の人に知って欲しいです。体力、筋力があれば、気力も上がりますから。体力が衰え、筋力も衰えると、気力もなくなっちゃうんです。そうならないようにするには体を鍛えて、健康で丈夫な体を維持していくのが大事だと思っています。

自分の経験を生かし、自分で実践して、いろいろな新しい運動を編み出しながら、まだまだやっていこうと思っていますよ(笑)。

現在の私と、長男・克弘。「あと10年、この身体を保つのが目標。体の張りは、心の張り!」

終わり

Text=まつあみ靖


第12回 ベンチプレスで270キロ


第11回 プロレスラーとの深い絆


第10回 念願のジム開設




遠藤光男
遠藤光男
1942年東京都生まれ。日本ボディビルディング界の第一人者で、24歳だった'66年のボディビル・ミスター日本となる。翌年に東京・錦糸町で遠藤ジムを開き、その年にはモントリオールで開催された世界選手権で3位に。三島由紀夫や勝新太郎とも親交があり、大相撲界、プロレス界など幅広い人脈を誇る。
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