イラン革命から40年① ~元NHKスクープ記者 立岩陽一郎のLIFE SHIFT 第16回

これまで華々しい実績を残してきたNHKを49歳にして去り、その翌日単身渡米、巨大エリートメディアを去った一人のジャーナリストによるエッセイ。第16回からは、何回かにわたってイランとはどういう国なのか。20代で赴任したテヘラン支局時代の様々な思い出を振り返りつつ考える。


1979年2月11日 イラン革命

中東の大国としてアメリカと激しい対立を続けるイラン。トランプ政権は特にイランを敵視する政策を進めている。しかし、もともとイランはアメリカの支援を受けたパーレビー王によって統治されていた中東最大の親米国家だった。

そのイランが変貌するのは今から40年前。1979年2月1日、一人の老人が追放先のヨーロッパから帰国。ホメイニ師だ。それまでアメリカの支援によって強権政治を行ってきたパーレビー王朝が崩壊。パーレビーは亡命を余儀なくされる。そして2月11日、イランはイスラム教を政治の根幹に据えたイラン・イスラム共和国となる。

アメリカにとってのトラウマはその直後から始まる。アメリカ大使館の占拠。アメリカ人大使館職員が444日間にわたって身柄を拘束され、いつ誰が殺害されてもおかしくない状況に置かれる。

アメリカは軍事作戦によっての救出も試みるが、作戦は失敗。特殊部隊に死傷者が出ている。最終的には大使館員は解放されるが、アメリカ人一般のイランに対する極めて強い恐怖心を植え付けるものとなった。

「Down with USA(アメリカに死を!)」

イランで集会があれば、男たちはこう叫ぶ。

アメリカは叫びこそしないが、一般的なアメリカ人はイランへの嫌悪感を隠さない。ハリウッドの活劇で悪役といえば、一昔前まではイラン人と相場が決まっていた。アーノルド・シュワルツネガー主演の「True Lies」などはその代表例かもしれない。

20代でNHKイラン支局長に

そうしたイランへの駐在を命じられたのは、私がNHKに入って6年目だった。1997年のことだ。地方局での修業が終わって東京の本社に上がってすぐのことだった。まだ30手前の若造を海外支局の支局長にするというのはNHKとしては、かなりの英断だった様だ。若い特派員もいるが、多くはアメリカや中国、ヨーロッパといった大きな支局での見習い的な派遣が普通だ。支局長にはさせない。

私はイラン行きの直前まで1996年にペルーで起きた日本大使館占拠事件の取材でペルーのリマにいた。そして事件が解決し、帰国して間もなくイラン行きを命じられる。

「20代の支局長には、周囲のデスク陣の反対も多かったが、押し切った。お前に期待しているのはスクープだ。お前にはスクープをとる力がある。他の先輩からはいろいろと言われるだろうが、何も考えるな。スクープをとってこい」

国際部長のその言葉を、成田発の飛行機の中で反芻していた。

「スクープとってこいかぁ……」

何かと評判の悪いNHKだが、今思えば、NHKにもこういう気骨のある幹部はいたということだろう。

イランの首都テヘランのイマーム・ホメイニ国際空港には前任のテヘラン支局長が待ってくれていた。

「おお、来たね。待ってたよ」

私より10年は先輩のベテラン記者だ。NHKという組織は1年年次が違うだけで妙な先輩風を吹かす人の多いところだが、この人は違った。取材は勿論、生活の様々な点まで親切に教えてくれた。

「立岩君には僕らと違う取材ができると思うから自由にやったらいいよ」

後輩に対する温かい励ましの言葉を覚えている。気骨ある国際部長もそうだが、こういう親切な人も、当然、NHKにはいた……稀ではあったが。

前支局長も帰国便に乗る時は嬉しそうだった。それはそうかもしれない。娯楽という娯楽がないからだ。飲み屋がないのは当然として、酒類の販売も禁止されているので、料理に使うみりんも手に入らない。必然的に料理も日本人からすると味気ないものになってしまう。

前支局長が空港の出国手続きを終えて見えなくなった。実はそこから先、つまり出国カウンターから飛行機に乗るまでの時間が危険だということを後に知ることになるのだが、その時の私には知る由もなかった。

さて、私にとっての本当の特派員生活が始まったわけだ。29歳。怖いものは何もないといった感じだった。

当時の支局は洋風の屋敷を借り上げていていた。プール付きのちょっとした邸宅だ。玄関を入って左側が私の居住スペース。右側が支局の大部屋となっていた。裕福なイラン人の住む家ということなのだろう。プールには水は張っておらず、NHKの番組を受信する衛星アンテナを入れて外から見えなくしていた。今もそうかもしれないが、衛星アンテナは違法だった。

支局員は記者のアリ、ドライバー兼カメラマンのハッサン、総務のミトラ。ミトラ以外は以前のサッカーの話の時に書いた。

ミトラは美しい女性で、ヨーロッパ系の顔をしていて金髪だった。イラン人は人種的には、アラブ系ではなく、アーリア人種、つまりヨーロッパ系だ。ただ、長い年月の中で混血を繰り返しているからだろうか、アラブ系のような人もいる。ミトラはヨーロッパ系という感じだった。ただ、金髪は染めているという説もある。本人に確認したわけではないが、よくよく見ると彼女も生え際は栗色ではないかと……あまりまじまじと見たわけではないが。

ハタミ大統領の就任式で

アリは記者ということで、3人の中でボスの様に振る舞っていた。父親はテヘラン大学の著名な教授ということで、流暢な英語を操った。

ハッサンは日本で不法? 就労をした金でアパートを何件か持っているらしく、気のいいおっさんだ。ドライバーに飽き足らず、「カメラマンになりたい」と言ってにわかカメラマンもやっていたが、数日カメラを回してもらって、使えないことがわかった。

3人の中で、正式な支局員はアリだけだ。正式な支局員とは、エルシャドと呼ばれるイラン政府の情報省から許可証を得ているということだ。これがどういう意味を持つかは私は当初はわからなかった。

この1997年というのは、イランにとって大きな変革が期待された年だった。私が来る直前に行われた大統領選挙でハタミ師が保守派の候補者を破って当選。このハタミ師は宗教指導者ではあるものの長くドイツで暮らしており、西側社会への歩み寄りを進めることが期待された。

そのハタミ大統領の就任式が行われる。イランには限られた外国のメディアしか駐在していない。日本のメディアでは、NHKの他、共同通信、朝日新聞、読売新聞が支局を置いていた。他は、フランスのAFP通信。西側諸国と断絶するイランだが、フランスやドイツとは特別な関係を結んでいた。

世界が注目する開明派大統領の就任式とあって、支局を置いていない各国のメディアが取材に来るという。CNNはイラン人を父に持つ大物記者クリスチャン・アマンプールが来ることが既に伝わっていた。

この式典の取材のカメラマンは、とてもハッサンじゃ無理だ。と思っていた時期に、あるカメラマンが雇ってくれと言って支局にきた。マームーと名乗った。イラン・イラク戦争では前線でカメラを構えたという。カメラマンとしてのキャリアは申し分ないようだった。英語も話せる。実は過去にNHKで働いていたが、トラブルに巻き込まれてクビになったという。アリが私を呼んで耳打ちした。

「ボス、彼を雇うと厄介ですよ」

「しかし、ハッサンじゃ無理だぞ」

私の判断で短期的に雇うことにした。そして、ある取材現場に連れて行った。それは押収された大量の「西側社会の文化」を焼却するというイラン政府の宣伝だった。密輸されたアメリカのDVDなどが積み上げられ、そこに火がかけられた。マームーに言った。

「任せる。自由に撮ってくれ」

マームーはいろいろな角度から撮っている。そして最後は燃え上がる押収物の山の前に仁王立ち。その時、一部がさく裂。爆風が飛び散った。マームーの少し後ろにいた私はとっさに伏せた。しかしマームーは何事もなかったかのように撮り続けている。

「こいつは使える」

大統領就任式のカメラマンを任せることにした。

就任式の会場は巨大なモスクだったかと思う。革命防衛隊という最も強面の司令官から事前に注意事項が告げられる。

「大統領はお前ら(と言ったかどうかはわからないが、少なくとも「みなさん」というニュアンスではなかった)の前を通るが、絶対に音を立ててはいけない。カメラも音を立てないように」

ここで食ってかかれば追い出され下手すれば逮捕されるので誰一人何も言わない。

私はマームーに耳打ちした。

「大統領が来る。何かが起こる。絶対にカメラを回し続けてくれ。何が起きても」

爆風をもろともしなかったマームーは、目を輝かせて言った。

「オーケー、ボス」

そしてその時は来た。

静寂が周囲を包み込む巨大なモスクの中をハタミ大統領がゆっくりとこちらに歩いてくる。各国の来賓が座って見守る。誰一人声を立てない。神聖且つ荘厳だ。

その時初めてハタミ大統領の顔を見た。優しい顔だ。最高指導者とされるハメネイ師の厳しい顔とは明らかに違う。

よし。そう自分に言い聞かせた。少し離れたカメラマンのスペースを見た。マームーはカメラを回し続けている。

やがてハタミ大統領が私の座る場所の数メートル先に来た。

今だ。

私は立ち上がった。周囲はどよめき、革命防衛隊は銃を構えた……だろうが、勿論、私にはそんな姿は目に入らない。そして英語で声を張り上げた。

「ハタミ大統領。おめでとうございます」

その瞬間の異様な空気は今も表現できない。音にならない音が私に向けて矢のように飛んでくるような感じだ。勿論、革命防衛隊は実弾の込められたAK47を持っている。狙撃兵だっているだろう。何が飛んできても文句は言えない。

マームー、撮り続けろよ。

私は笑顔を作りながら、心の中でそう叫んでいた。

長い時間だったと感じるが一瞬だったのかもしれない。ハタミ大統領が私の方を向いて、立ち止まった。

緊張で胸が張り裂けそうになる。

と、その時、ハタミ大統領はニコっと笑った。そして私の方に近づいてくるではないか。

そして右手を出した。私も出した。そして握手をした。

その後のことはよく覚えていない。ハタミ大統領はそのまま聖壇に進み、式典は滞りなく行われたはずだ。私はといえば、革命防衛隊に引きずり出された記憶はない。だからそのまま座って式が終わるのを見届けたはずだ。

式典が終わってからの記憶はある。マームーが「すごい映像だ」と喜んで私のところに来た。少し先に、CNNのクリスチャン・アマンプールが悔しそうに私を見ていた。それは実に痛快な気分だった。

「マームー、ぐずぐずしていると映像を取り上げられるかもしれない。急ごう」

映像を日本に送るにはイラン国営放送IRIBに行かねばならない。式典からIRIBに行って映像を送り、直ぐに支局に帰って原稿を書いた。

「イランのハタミ大統領が西側の記者の英語の問いかけに応じた」

このニュースはNHKの「おはよう日本」で流れただけでなく、アメリカのABCテレビは勿論、国際報道の大御所と言えるイギリスのBBCテレビでも報じられた。

私は支局に何か起きるかと思った。警察が来ることもあるだろうと思った。しかし実際には何も起きなかった。ただ、どうやら支局のアリはエルシャドに呼び出され、いろいろと尋問されたようだった。それはその時はわからなかった。

イラン赴任時のNHKテヘラン支局内の様子。29歳の時。

石油大臣の解任

実際、この件がアリに大きな衝撃を与えたようだった。一言で言えば、「この若造が支局長だとかなり危ない」。誠に残念なことに、彼の考えは正しかった。

ある日、アリがイランの新聞記事を持って来て言った。

「この話はどこも書いていないので、今ボスがニュースにすればスクープです」

私は新聞の内容は聞いたが、どうということのない話だったと思う。記憶にも残っていない。私は彼に言った。

「アリ、地元の新聞が書いた内容をニュースにしても、それはスクープとは言わないんだよ」

アリは驚いた表情を見せて言った。

「歴代の支局長はみんな、それをスクープと言って書いていました」

私は言った。

「地元の新聞記事が書いたことも書くが、それはスクープじゃない。後追いというんだ」

アリは言っていることがわからないという表情で自席に戻っていった。

しばらくして、アリが本当に驚愕する出来事が起きる。

イラン人を取材するには基本的にアリの通訳を頼りにする必要がある。ただ、アリはやはりエルシャドとつながっている。要は、通訳でありながら、政府に命じられた私の監視役でもある。これはアリの立場からすれば仕方ない。それが条件で外国のメディアで働く許可証を得ているからだ。しかし、取材は自由にできない。

それで、英語の話せる人と会う際には、アリには言わずに会うことにしていた。その一人に、ガニミファルドという人物がいた。アメリカのコロンビア大学を出た研究者で、石油大臣の顧問を務めていた。

イランで当時、最も活発に経済活動をしていた日本の商社はトーメンだった。現在は豊田通商に合併されたが、そのトーメンの支店長に頼み込み、ガニミファルドに会えるようにしてもらった。

その時、ガニミファルドが興味深いことを言った。私が、アメリカとの関係を問うた時だ。

「我々はカスピ海の開発をめぐって、アメリカの石油メジャーとは既に議論を始めている」

ハタミ政権を見る我々の最大の関心事は、アメリカとの関係改善だ。アメリカは勿論、日本をはじめ、西側諸国がハタミ大統領の政策を固唾をのんで見守っている状況だった。そこに出てきたガニミファルドの言葉だ。

イランがアメリカと……?

ここでイランにおける石油大臣という地位について書いておきたい。日本で言えば財務大臣と経済産業大臣を足したような立場だ。石油産業が国有化されているイランでは、国の収入のほとんどが石油の収入だからだ。大統領の次の地位で、今の日本で言えば、麻生財務大臣が近いだろう。

ガニミファルドはカスピ海油田の開発の話を少しした後、こう言った。

「ビジネスは政治と密接に絡んでいるが、常に政治の先を行く」

私はメモをとっていなかった。なぜなら、私に取材という意識はなかったからだ。彼のその言葉を聞くまでは。

「これ、ニュースにしないよね?」

そう言って笑って見せたガニミファルド。その時、「え!」と思った。彼と別れてすぐに彼の発言をメモにして支局に帰った。そして直ぐに東京のNHKに連絡を入れて、原稿を書く旨を伝えた。

「イランはカスピ海油田の開発をめぐってアメリカの石油メジャーと接触。石油大臣の顧問がNHKに明かした」

これもNHKは勿論、アメリカのABCテレビで流れるニュースとなった。

翌日、イランの新聞紙を持ってアリが支局に駆け込んできた。

「ボス、これはなんですか?」

見ると、「日本のNHKに対して、アガザデ石油大臣がアメリカの石油メジャーと接触していることを認めた」と書いてある。一面トップだ。

「ああ、すまない。君が帰宅した後に書いたんだ……しかし変だな。アガザデ石油大臣が言ったわけじゃない。それは誤報だ。私が会ったのは顧問のガニミファルドだ」

「ガニミファルドに会ったんですか?」

「ああ、君が帰った後だ」

困惑した顔で自席に座ったアリの卓上電話がしばらくして鳴った。

「立岩さん、石油省から抗議の電話です。石油大臣はそんなことを言っていないと」

「そりゃそうだろう。僕はアガザデに会ってない。なんかの間違いじゃないか?」

調べると、こうだった。NHKの報道を東京のイラン国営通信社が間違ってキャリーしたということだった。石油省の担当官は納得したようだったが、直ぐに、別のニュースが飛び込んできた。アリが叫んだ。

「アガザデが辞任です」

「なんだって?」

しばらくして家の前で車を洗っていたハッサンが飛び込んできた。

「ボス、新聞記者が集まっています」

「なんで?」

「アガザデの辞任の件じゃないかと……」とアリ。

「おい、応対するなよ。冗談じゃない。イラン国営通信社に聞いてくれって話だ」

新聞記者はしばらくしていなくなったが、別の来客があった。なんとガニミファルド本人が来たのだ。

流石に緊張……と言うより、正直、バツが悪い。正直言えば、私自身も書くべき話として耳に入れていたわけではない。それが、彼の最後の一言を耳にした瞬間、「あ、これは書かなきゃいけない」と思ったわけだが、ガニミファルドの了解を得たものではない。随分と粗い仕事だ。今の私なら、「ジャーナリストとして失格だ」と批判するだろう。

ガニミファルドは何事もなかったかの様に、「仕事の途中で立ち寄った」と話した。

「大変な騒ぎになっていることは知っているね? あなたがどのような記事を書いたのか教えて欲しい」

私は原稿の内容を伝えた。

「あなたに了解を得ずに報じたことは誠に申し訳ないと思っている」

ガニミファルドは内容を確認すると、「わかった」と言って笑った。

「本当に申し訳ありません」

「謝る必要はない。ここに書いてあることは事実だ」

そう言うと笑顔のまま支局を出て行った。スクープとはいえ、ジャーナリストとしての流儀を破った話故、誇れる話ではない。ただ、一国の政治闘争の一端を垣間見たということなのかとは思う。

どういうことか。少し説明したい。イランに開明派のハタミ大統領が誕生したと書いてきた。そう。イランは、中東には珍しく大統領を国民が選挙で選ぶ国だ。国会議員も選挙で選ばれる。そういう中東の国は、他ではイスラエルくらいだろ。

イランは、そういう意味で間違いなく民意が反映される政治を行う国だ。ただ、限界はある。それが最高指導者であるハメネイ師らイスラム聖職者会議の存在だ。

このイスラム聖職者会議は大統領の上に存在する。だから、大統領といっても、アメリカやフランスの様に全権が与えられているわけではない。そして、イスラム聖職者会議は今から40年前に実現したイスラム革命を守ることがその最大の使命だ。ホメイニ師の教えを忠実に守ること。西側諸国との対話などもってのほか。ましてアメリカとの関係改善などあってはならない……という立場だ。簡単にいえば、守旧派ということになる。

実はハタミ内閣の閣僚も、ハタミ大統領の意向では決まらないポストがいくつかある。特に、革命防衛隊を指揮する国防省や警察権力を握る司法省といったいわゆる暴力装置はハタミ大統領の指揮下にはない。

ここで失脚したアガザデ石油大臣とは何だったのかが気になるところだ。私に情報を伝えたガニミファルドは明らかに開明派だ。コロンビア大学仕込みの英語を話すその姿はアメリカのエリートの姿と変わらない。

一方で、石油大臣は国家の財政を司る立場故、イスラム聖職者会議の意を受けた人事になったとしてもおかしくない。守旧派だ。と言うことは、私の報じたニュースは、開明派が守旧派を追い落とすために利用されたのかもしれない。ガニミファルドが仕組んだのか? あるいは、開明派グループ全体が仕組んだのか?わからないが、そういう部分で利用されてしまったのかもしれない。結果は世界を駆け抜けたスクープとなったが、実際には、イランの政治闘争に利用されたというのが実像かもしれない。

以後、私はこの政治闘争に巻き込まれ、そして最後には逮捕されて国外追放となるのだが、それは次の回に譲りたい。

イラン革命から40年②に続く