プロゴルファー 丸山茂樹 キャリアの狭間の今 パイオニアは何を思う 「第二章」が始まる

怪我と、ドライバーのイップスで苦しんでいるプロゴルファー丸山茂樹。昨シーズンは、ほとんど試合に出られずに解説者としてデビューを果たした。現役への情熱は残しながらも、丸山の視線の先には「日本男子ゴルフ復権」への思いが強い。マルちゃんスマイルに隠された、苦悩の日々に迫る。

全米一のコーヒー店を
日本でオープンさせる

 東京・代官山にある「アースカフェ(Urth Caffe)」の奥のテーブルで大好きなカフェラテを飲みながら、笑顔で友人たちと談笑しているひとりの男がいる。プロゴルファーの丸山茂樹。このカフェのオーナーである。
「時間がある時は3~4時間はいますよ。お客さんの様子を観察したり、味がブレていないかチェックしたりしています」
 丸山がアメリカ・ロサンジェルスでアースカフェに出合ったのは、2001年のことだ。
「マンションの隣人がここの存在を教えてくれたのです。僕はコーヒーが大好き。いつも某チェーンのアイスカフェラテをテイクアウトしてうちに戻っていました。その姿を見た隣人が『そんなにコーヒー好きなら、いい店を紹介してあげる』とショップカードをくれました。マネージャーと行ってみたら、アイスラテが衝撃的に美味しかった。コクと深みがあり、しかも最後にフルーツの香りがする。それから完全にハマって朝昼晩、毎日のように通いました」

Urth Caffe/内装にも凝り、天井が高くて開放的。テラス席も心地よい。ドリンクのみならずフードも充実。Urth Caffe代官山 東京都渋谷区猿楽町8-9 TEL:03-5784-3301 http://www.urthcaffe-japan.com/

 アースカフェは1989年、アメリカ初のオーガニックコーヒーの会社として設立された。現在はアメリカ国内で5店舗を展開中で、アメリカ以外では代官山店が初めての出店となる。
 その素晴らしさを日本人にも知らせたい。すっかり惚れこんだ丸山は早速オーナーのシャローム・バーグマンにコンタクトを取ったが、見知らぬ東洋人からの手紙は完全に無視される。
「金儲けを企む人間からの手紙と思われたのでしょうね(笑)。それでもめげないで毎年1通ずつレターを書いて送りました。4年後、バーグマンの知人と知り合い、その方に頼んでようやく本人に会えたのです」
 初対面のバーグマンに自己紹介すると、彼は「君はすごくポピュラーなゴルファーなんだね。スマイルがセールスポイントで、君の笑顔を見るとみんながハッピーになる。それは素晴らしいと思う」と言ってくれた。
 丸山は2000年から2008年までアメリカのPGAツアーに参戦。日本人として初めてPGAツアーで3勝をあげた。アメリカでの丸山のニックネームは“スマイリング・アサシン(笑顔の暗殺者)”。笑顔を絶やさない明るい性格なのに、フェアウェーではショートゲームを巧みに戦い、勝利するからだ。

「始めは英語ができなかったのでどんな時も笑顔でいようと決めた。笑顔は世界の共通語ですから。ゴルフ界でも『シゲキはいつも笑っている。面白いヤツだ』と仲間が集まり、ファンも大勢ついた。その笑顔はこの時も僕を助けてくれました」
 初対面のふたりはすっかり打ち解け、「コーヒーの旨さはもちろん、居心地がいいし、温かい気分になる。だからアースカフェを日本でやりたい」と訴える丸山の熱意にオーナーが応え、1時間半後には「一緒にビジネスしよう」と握手を交わした。
 それから契約の内容を詰めるのに4年、ゴーが出てからも丸山の望みの物件を見つけるまでに2年かかった。こうしてアースカフェとの最初の出合いから12年後の'13年、代官山店がオープンしたのだ。
「代官山でもここは人通りがさほど多くない。アースカフェのブランド力でも集客は難しいのですが、本物の味を発信し続ければ道は開けると思っています」

丸山が「世界一美味しい」と自負するカフェラテ。ご馳走になったが、確かにチェーン店のラテとはコクと深みが違った。

イップスが怪我を招き、
心技体の重要性を再確認

 丸山はアメリカで2年連続してシード権をのがしたのを契機に2009年から日本を主戦場として戦っている。その端緒となったのは、ドライバーのイップス。イップスとは、精神的な理由で筋肉が思いどおりに動かなくなる運動障害である。
「きっかけは池でした。日本のゴルフ場には邪魔になる池はほとんどありませんが、アメリカのゴルフ場は大半のホールに池がある。ある試合の最終ホール、ダブルボギーでも予選通過だったのに、ドライバーで池につかまってトリプルボギーで予選落ちした。それがトラウマになり、イップスが始まったのです。2005年のことでした」
 ドライバーを打つ寸前、筋肉がピクッと緊張し、ミスショットになる。「またイップスになったらどうしよう」という不安は脳を蝕み、緊張を促して症状は徐々に悪化した。10回に1回だったミスショットが2回になり、3回になり、ついには思ったようなドライバーショットが打てなくなったのだ。そしてイップスは怪我に結びついた。
「これを乗り越えるには練習しかないと思い、練習をしすぎて左手の親指を怪我(付け根の慢性亜脱臼)したのです。“心技体”という言葉がありますが、僕はゴルフでは身体を整えるほうが先だと信じていたので“体心技”と言い換えていました。でも、この方程式が崩された。身体を整えても、心が崩れてしまうとダメだと再認識しました」

左がひとり息子の奨王君、中央はメジャー3勝のニック・プライス。世界の一流選手と小さい頃から交流させて息子のモチベーションを高めている。
子供たちの指導に、情熱を注ぐ
基金設立のきっかけは'98年のザ・プレジデンツカップ。「カップに参加した選手には大会からチャリティ用の基金が付与される。世界のトップ選手はジュニア育成などの社会貢献用の基金をそれぞれ持っていて、チャリティされた基金もそこで活用していた。僕も基金設立の必要性を感じて『丸山茂樹ジュニアファンデーション』を立ち上げたのです」。'00年から'09年まではゴルフ教室形式、'10年からはジュニアツアーの試合数不足を少しでも補おうと、小学校1年生から高校3年生まで男女・学年別の試合形式で大会を実施している。

石川遼や松山英樹の世界挑戦を応援する

 話を少し戻すと、丸山がアメリカに渡るきっかけには、敬愛する尾崎将司の存在がある。
「ジャンボさんはどうしても越えられない壁でした。絶好調で立ち向かっても、プロボクサーが素人のパンチをかわすようにいなされてしまう。このまま日本にいてもジャンボさんの113勝という記録は抜けないと思った。だからジャンボさんが成し遂げられなかったアメリカでの勝利を目指したのです」
 アメリカにスポット参戦しても全然勝てない尾崎を『お山の大将じゃないか』と揶揄する人もいたが、丸山は違った。
「僕は年齢の問題だろうと思っていました。僕の親父くらいの年齢で、ずっとご飯と味噌汁で過ごしてきた人間がいきなりサンドウィッチとステーキの国に行って実力が出せるわけがない。ならば若い僕が行って、その夢を引き継ごうと考えたのです」
 アメリカ参戦に後悔はないが、日本に帰ってきた丸山は一抹の寂しさを感じている。
 丸山は過去10回日本のツアーで勝っているが、アメリカに渡ったおかげでシードを落とした扱いになっているため、ツアーカードがない。推薦枠で2013年シーズンは5試合に出たが、ツアーカードも駐車場の枠も常にテンポラリーなものだ。
「アメリカではPGAツアーで1勝でもすると尊敬されるし、生涯ツアーカードが家族ともども与えられます。リスペクト感がここまで違うのかと悲しくなりました。テレビの解説の仕事とかをいただけるのは有り難いですが、プロゴルファー丸山茂樹としての居場所がなく肩身が狭い思いがします」
 ゴルファーの勲章はなんといっても獲得賞金だ。2013年にイチロー選手は日米通算4000本安打を達成して内外で話題になったが、丸山の生涯獲得賞金は日米通算20億円を超えている。日米通算で計算すると日本では尾崎将司に次ぐ第2位だが、ゴルフ界もメデイアもそれを一向に評価しない。
「これからは石川遼も松山英樹もどんどん世界に出て、世界で何勝もして僕の記録を抜いてくれるでしょう。でも、僕と同じ苦労を味わわせたくないから、何とかゴルフ界の環境を変えて、将来彼らが日本に戻ってきた時の居場所を作ってやりたい」

凋落の男子ゴルフ界で生き残る道とは?

 日本の男子ゴルフは凋落に歯止めがかからない。2013年シーズンの男子ゴルフツアーの入場者数は前年から6万人近く減り、約37万人。石川、松山の2大スターが海外に活動の主軸を移した影響もあり、最盛期の約60万人から激減だ。'14年の国内開催ツアーも前年より1試合少ない22試合。女子ゴルフツアーが1試合増えて年間37試合、賞金総額も9000万円以上増えるのとは対照的である。
「競技期間が3日と短く、協賛企業にすれば賞金額も安いから出資金も少なくて済む。おまけにプロアマでは女子プロが親身に教えてくれる(笑)。これでは勝てない。僕は自称、ゴルフ界の宴会部長。他の男子選手と一丸となって盛り上げようと頑張っていますが、現状を嘆くだけでは仕方ない。国内が先細りなら、ハングリー精神で外に出て世界で戦えばいいのです」
 アメリカのPGAツアー以外にも、ヨーロッパツアー、アジアンツアー、ワンアジアツアーと戦う場所はたくさんある。
「僕がPGAツアーに参加していた頃は1年で地球6周分も移動していた。それを考えたら日本を拠点にアジアで転戦するのは肉体的にも精神的にも遥かにラク。僕がもっと若ければアジアで一番になる自信はあるし、2、3億は賞金が稼げるはず。そうなればグローバル企業もスポンサーに付いてくれるから、突破口はいくらでも開ける」

自前の基金を作り、子供が伸びる環境作り

 丸山がゴルフ人生第二章の柱に据えるのは、次世代の育成だ。 ジュニア育成のために丸山は栃木県のゴルフ場を購入。そこを拠点として個人的な基金「丸山茂樹ジュニアファンデーション」を立ち上げ、2000年からゴルフ人口の底辺拡大とジュニアの育成に取り組む。当初はゴルフ教室の形を取っていたが、'10年からは試合形式に改めた。
「僕は9歳でゴルフを始めましたが、その頃でジュニアの試合は年間5試合。今でも試合が少なすぎる。僕のひとり息子で13歳の奨王(ショーン)もアメリカでプロゴルファーを目指していますが、向こうではジュニアの試合が毎週末ある。小さい頃からツアーに出て経験値を上げておかないと、大人になって大きな差になる。だから試合形式に改めたのです」
 より多くのジュニアに参加してもらうために、本選参加費はプレイ費も昼食代も飲み物代も含めてすべて無料である。
「負担は少ないほうが参加しやすいでしょ。アースカフェを始めたもうひとつの理由は、そこで上げた収益をジュニア育成のために使いたかったからなのです」

夢を見続ける力がそれを実現させる

 2016年のリオデジャネイロ五輪から112年ぶりにゴルフがオリンピック競技に復活。2020年の東京五輪でもゴルフ競技が行われる。それまでに自らのファンデーションから世界に通じる若手を育てて、東京五輪では日本代表チームの監督をするのが丸山の夢である。
「全米オープン、全米プロ優勝のローリー・マキロイはダレン・クラークのジュニアスクール、マスターズ優勝のシャール・シュワーツェルはアニー・エルスの基金からメジャー・チャンピオンになった。将来は僕のファンデーション出身のゴルファーが日本のトップレベルで活躍するようになってほしい」
 踊り場で人生を振り返り、丸山は「最高のゴルフ人生を過ごしてきた」と胸を張る。
「ゴルファーの全盛期は10~12年と言われていますが、僕はこれまで22年間ずっと第一線で戦い抜いてこられた。それは我ながらすごいと思う。お金を稼いであの車に乗りたい、アメリカで成功してあんなうちに住みたい、こんなカフェを日本でやりたい……。ゴルフ以外の夢もみんな実現しています」
 成功の秘訣を「夢を見続けること」と丸山は語る。単に夢を見るだけで終わらず、諦めずに夢を追う姿勢が大事なのだ、と。
「アースカフェのオーナーのバーグマンだって最初はマリブの掘っ立て小屋のような小さなカフェからスタートした。それでも本物のコーヒーをみんなに届けたいという夢を追い続けた結果、全米でもっともリスペクトされるオーガニックコーヒー店になった。人生第二幕でも僕は夢を追い続けてひとつひとつ実現させたいと決意しています」

Shigeki Maruyama
1969年、千葉県出身。9歳から本格的にゴルフを始め、アマ時代に37勝をあげて22歳でプロ入り。日本ツアー通算10勝を挙げる。2000年から米PGAツアーに参戦し、前人未到の3勝をあげる。2002年には、伊澤利光とのコンビで、「EMCワールド・カップ」も制している。


Text=井上健二 Photograph=吉場正和、 菊田香太郎

*本記事の内容は14年1月1日取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい