男の業の物語 第一回 『友よさらば』


昔大学の寮にいた頃先輩たちから歌い継がれてきた歌に『妻を娶らば才たけて見目麗しく情ある、友を選らばば書を読みて義のあるところ火をも踏む、人生意気に感じれば共に沈まん薩摩灘』というのがあった。

人と人との出会いは往々その人生を変えたり決めたりするが、素晴らしい友人との出会いも相手のお陰で往々その人生を決めてくれる。その実際の例はこの私だ。私にとって大学で同じクラスにいた西村潔は今思い出せば神様のような存在だった。

昔々同窓の先輩の伊藤整や瀬沼茂樹などが作っていたあの『一橋文芸』を復活しようというグループがあるので俺たちもそれに加わらないかと西村が誘ってくれたものだ。私も興味をそそられ参加はしたがなかなか埒が明かずに、結局私と彼が走り回りなんとか資金は集めたが肝心の原稿が集まらず、最後の百枚ほどの穴埋め原稿をお前が書けと西村に言われて私が生れて初めての小説『灰色の教室』なるものをものにしたものだった。

それが文藝春秋の雑誌『文學界』の同人雑誌批評欄で高く評価されたのが切っ掛けで、その頃創設された新人賞に応募した『太陽の季節』で芥川賞を貰ったことで私の作家への道が開けた。

私としては西村が二人してやっと出した『一橋文芸』を文藝春秋に送っていたことなど露ほども知らなかった。

それ以前に就職の宛てもなしにのんびりしていた私に東宝の助監督の試験に一緒に受けないかと彼が誘ってくれたので、映画好きの私もその気になって二人して受験し二人して合格し入社したものだった。

私はその後なんとか物書きとして出発したが、彼はその後長いこと助監督として働きやっと一本立ちしてサム・ペキンパーを少しリリックにしたみたいなアクション映画を一本だけ作った。しかし映画界の不況の中でのアルバイトで手助けした香港の日本についての記録映画で、日本の銭湯の実態を撮影するために女湯を覗いて設置したカメラの映像を取り戻しに行った時つかまってスキャンダルにされ映画界を追放されてしまった。

そして間もなく彼は葉山の長者ヶ崎の海岸で展望台の椅子に遺書を残して海に入って自殺してしまった。遺書には『俺はこの世に来るのが遅すぎた』とだけあった。

私にとって人生の恩人とも言うべき友達の訃報には愕然とした思いだった。学生時代まだ誰も知らぬユングやキューブラー=ロスなどという識者の存在について教えてくれたのは彼だった。それら二人に私は密かに大きな影響を受けたが彼がなぜ他に先んじてそうした学識を備えていたのかは全くわからない。

しかし彼こそが私の人生を決めた貴重という以上に、神様みたいな存在だったことは否めはしない。私には今でもあの人気のない葉山の小さな岬の展望台から海に向かって独り歩いていく彼の後ろ姿が目に浮かんでくる。

『友を選ばば書を讀みて』とは言うがあの素晴らしい友人を私に差し向けてくれたのは神様以外にありはしまいに。

それにしても彼は妙に一途なところがあった。助監督時代ある女優に惚れて彼女をものにするために、彼女の住まいの前に雨の日も風の日も二十日間も立ち尽くしていたそうな。などと言うことを何を思ってか私には淡々と打ち明けていたものだった。

しかしある時私と彼との間にあることで亀裂が入ってしまった。それはある映画好きの成金がどういう関わりでか彼に私の『刃鋼』という作品の映画化を持ち掛け、原作者の私に全く断りなしに作品の映画化を進めてしまった。あることで私がそれを知って咎めたら彼がやってきて何とか見逃してくれと頼むので、他ならぬ彼なので既にカメラを回してしまったというラッシュを見たら酷いもので、主人公の俳優も大阪の何とかいう芸人のハーフの息子でそれまでの出来も悪く私は率直に批判して映画化を拒否した。 

私としては愛着のある作品でいつかの映画化の時の俳優や監督までも密かに考えていたものだったのに。

彼も彼のスポンサーが私に無断で映画化を持ち掛けたと知って愕然としていたが、私の判断は芸術家として当然のことだと思っている。

彼が自殺したのはそれから間もなくのことで、その一件にからめて彼が誰に何を話したのかは知らぬが、それを拒否した私を咎めたことに関して誰かか『友よさらば』などというタイトルで非難の記事を書いたりしたものだ。

あれは私と彼との関わりにとって悲劇としか言いようもない。

それにしても彼という友人を持てたことは私の人生の奇跡としか言いようもない。まさに歌の文句のよう『友を選ばば』そのものだった。私は生涯の中で良き友達に恵まれてきたが西村は稀有なる存在だった。驕った言いかたかも知れないが彼は私のために生れてきたような存在だった。神様が私に彼を与えてくれたとしか言いようもない。彼のことを思うと人の人生の不思議をつくづく感じさせられる。

まさに昔の歌の文句の通り『友を選ばば書を讀みて』だ。

第二回に続く

【連載】男の業の物語 第二回 『死ぬ思い』

【連載】男の業の物語 第三回 『男の執念』

【連載】男の業の物語 第四回 『片思い』


石原慎太郎
石原慎太郎
Shintaro Ishihara 1932年神戸市生まれ。一橋大学卒業。55年、大学在学中に執筆した「太陽の季節」により第一回文學界新人賞を、翌年芥川賞を受賞。ミリオンセラーとなった『弟』や2016年の年間ベストセラー総合第一位に輝いた『天才』、『法華経を生きる』『老いてこそ人生』『子供あっての親-息子と私たち-』など著書多数。
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