【酒井高徳】仲間から信頼を得るためには? 日本人初の独リーグ主将のリーダー論②

日本人とドイツ人、所属クラブと日本代表、栄光と葛藤、さまざまな苦悩を乗り越え、「ハーフ」ではなく、「W(ダブル)」として、強くなったサッカー選手・酒井高徳。幼少期からの衝撃的なトラウマを経て、日本人初のブンデスリーガ・キャプテンになった男が生みだしたリーダー論を短期連載で公開。

前回はこちら

高いコニュニケーション能力を評価され、日本人で初めて、ドイツ・ブンデスリーガでキャプテンを務めた酒井高徳。チームメイトの可能性を最大限に生かすため、自身の気持ちを伝えるだけでなく、相手の考えを導く会話を心がけている。そんな酒井キャプテンが大切にしているのが、監督との距離感だ。

「キャプテンになってからは、監督に呼ばれない限りは、自分から監督に声をかけたり、ふたりだけで話す機会も極力行わないようにしています」

選手を代表し、キャプテンとして、指揮官に意見をいったり、提案をするなどの仕事を自覚はしているが、同時に指揮官と距離の近いキャプテンの姿を仲間が見てどう感じるかという配慮があるからだ。それは10代の終わりの苦い経験が影響している。
 
高校に進学すると同時に、地元新潟のJリーグクラブ、アルビレックス新潟のユースチームに所属した酒井は、3年になるとユースに所属しながらも、トップチームの一員として、練習、試合とプロの選手たちとともに活動することになる。午前午後とトレーニングを実施するユースとは違い、トップチームは午前中の練習だけ。通っていた通信制の高校の課題を終えた夕方、時間を持て余し、夕食を外で食べる機会が続いた、そんなある日のこと、注文を終えたとき、酒井の携帯電話が鳴った。

「仲間が汗を流し、厳しいトレーニングをしている時間にお前は何をやっているんだ。そんなお前の姿を見て、みんながどう思うか考えたことはないのか?」

当時ユースチームの監督だった片渕浩一郎(前・アルビレックス新潟監督)の怒鳴り声が響いた。

「僕が数日間、寮で夕食を食べていないことを知った監督が激高しているのがわかったので、食事もせずに寮へ戻ったんです。でも、監督には会えず、しばらく話もできませんでした。やっと話す機会があったときに『お前はもうプロ気取りか』と言われ、『そんなことはないです』と答えながらも、周りから見れば、自分がそういうふうに見られるんだということを思い知りました。この出来事は自分の考えや気持ちがどうであっても、その行動を見た第三者がどう感じるのかを考えることの重要性を知る機会でした。それはサッカー選手としてだけでなく、人間として大切だと思っています」

たとえ、選手の代表として信頼していたとしても、そのキャプテンがあまりに監督と近い場所にいれば、その行動を不穏なものとして受け止める人間がいてもおかしくはない。監督はどの選手に対しても平等であるべきなのに、その関係が崩れたと感じる選手の存在はチーム内の競争原理を崩しかねない。

「僕があまり監督と近い距離にいると、『何を話しているんだろうか』『自分の告げ口を言っているんじゃないか』と選手が疑心暗鬼になるかもしれません。そうなると、本心を僕に伝えることができなくなる。チーム内の生の声、選手の本当の気持ちを知ることはキャプテンとして重要なこと。それをまとめて、監督に進言することもありますから。監督と僕との距離が近くなり、その声が聞けなくなるのは絶対にあってはならないことです」

中学時代にU-15日本代表にも選ばれた。そして、高校進学後にもプロチームで活動し、将来を嘱望されていた。だからこそ、片渕監督は酒井の「緩み」を許さなかった。「自分の行動がどう見られるのか意識しろ」という教えは、10年が過ぎた今でも酒井の中に生きている。

次回に続く


Gotoku Sakai
1991年生まれ。日本人の父とドイツ人の母の間にアメリカで誕生し、新潟県三条市で育つ。2009年アルビレックス新潟ユースからトップチームに加入。‘12年1月、ドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトに移籍。’15年7月、ハンブルガーSVへと移籍。古豪の名門クラブでキャプテンに指名される。ブンデスリーガ初の日本人キャプテン。’14年ブラジル大会、’18年ロシア大会と2大会連続でW杯メンバー入り。日本代表Aマッチ通算42試合出場。


『W~ダブル~ 人とは違う、それでもいい』
酒井 高徳
ワニブックス 1,296円


Text=寺野典子 Photograph=杉田裕一