【インタビュー】ヒマラヤに森を再生させる! アルピニスト野口健が困難に挑む理由

アルピニストとしてさまざまな活動を行う野口健さん。富士山の清掃活動でも知られる彼が、情熱を注ぐ新たなプロジェクトとは――。

ネパールの村人たちとの交流

ヨーロッパ大陸最高峰モンブラン、アフリカ大陸最高峰キリマンジャロの登頂を果たし、16歳にして「世界7大陸最高峰登頂」という目標を掲げたアルピニスト野口健さん。1999年、25歳のときに3度目の挑戦でエベレストの登頂に成功。約10年の歳月をかけて、壮大な目標は見事に成し遂げられた。そんな野口さんは、2006年、マナスルに挑んだ。

「マナスルはヒマラヤ山脈に属する山で、標高8163mは世界8位の高さです。1956年に日本の登山隊が挑み、世界で初となる登頂を果たしました。そのニュースに日本は熱狂し、空前絶後の登山ブームが巻き起こったそうです。2006年は、マナスル初登頂50周年のメモリアルイヤー。日本と縁の深い山ですし、この機会に挑戦しようと決意しました」

このマナスル挑戦をきっかけに、麓にあるネパール・サマ村と野口さんの交流がスタート。2008年、子どもたちのために学校を作るプロジェクト「マナスル基金」を立ち上げ、校舎、寮、グラウンドなどの建設を行った。

「サマ村の子供たちは家畜を世話する大切な労働力で、ほとんど教育を受けていませんでした。“夢は何か”と尋ねても、きょとんとするだけ。夢という概念がないんです。夢は寝ている間に見るもので、将来のヴィジョンを表す言葉として使われることはありません。こうした子供たちに教育の機会を与えてあげたいと思いました。それと同時に、村に産業を作りたかった。昔はサマ村に森林があり、村の収入源になっていましたが、過度な伐採により大部分が失われてしまった。貧しくなると、争いが起きやすくなり、治安も悪化します。さらに、木々がないと土砂崩れなど、災害も発生しやすくなります」

2015年、森林再生プロジェクトが始動

村人の生活水準を向上させるために、現存する天然林の保全と持続利用可能な森林活用の仕組みを作る。こうして、2015年、「マナスル森林プロジェクト」事業が正式にスタートした。

「規模の大きなプロジェクトですから、個人の力だけではどうにもなりません。たくさんの人を巻き込むことが必要です。資金面では一般寄付とコスモ石油エコカード基金の助成金がベース。技術面では住友林業に協力をお願いしました。住友林業は僕以上に乗り気でしたね。標高3000m台の高地に森林を作ることは、日本の技術力を見せる最適な機会だと考え、強い意気込みをもって参加してくれました。そして、現地の人にもプロジェクトに加わってもらわなければなりません。これが、いちばん肝心なこと。ゆくゆくはサマ村の人々の力だけで森林を育てていくことができるようになる。村人が自立できてこそ、プロジェクトは成功といえるのです」

左より、住友林業の松根健二氏、中村健太郎氏、野口さん、ミンマ・ヌル・アディカリ・シェルパ氏、アン・タルケ・シェルパ氏

だが、村人との共同作業はなかなかうまく進まない。彼らには彼らの仕事があり、プロジェクトに没頭できない。しかも森林の再生は、すぐに成果が得られるものではない。短期間で結果が目に見えるわけではないため、森を作る意義が伝わりにくいのだ。

「繰り返し説明を重ねて、村人と少しずつ信頼関係を築いていきました。5歩進んで3歩下がるといった感じです。そんな状況の中で、力を発揮してくれたのがサマ村育苗所責任者のアンタルケ・シェルパさん。彼は野菜作りが得意。サマ村は標高が3400mあるため、野菜がうまく育てられません。でも、アンタルケさんはキャベツ、大根、カリフラワーを上手に作り、村人の尊敬を集めていた。彼が説得に尽力してくれたおかげで、村人も“やってみよう”と考えるようになったんです」

育苗所で苗木を育て、ある程度生育した段階でサマ村の植林地へ移す。プロジェクトでは、2020年までに3万本の木を植林する予定。その1年目となる今年は、植樹適地の見極めも兼ね、カラマツ、カバ、マツ、モミの4品種、合計3000本を植樹する。

「うまくいくか? どうでしょうね。6割程度の木が育ってくれればいいほうかな。技術協力をいただいている住友林業の担当者も“標高3400mでの植林は前例がない”と言っていましたしね。でも最初から、成功しなくて当たり前。失敗しても、なぜうまくいかなかったのかというデータを集め、次につなげていく。第一歩を踏み出せたことが何よりも重要なのです」

失敗から得られるもの、失うもの

何かを成し遂げるためには、失敗が必要。ただし、許されない失敗もある。

「登山の世界で最大の失敗は死です。死んでしまえば、もう取り返しがつきません。そう考えれば、日常的な失敗はたいしたことではないんですよ。死ぬことなく、成功に向かっていければ、それでOKだと考えています」

野口さんも失敗を繰り返してきた。エベレストは3回目のチャレンジで成功した。

「重要なのは、失敗するということに追い詰められないこと。失敗が続くと、人は“今度こそ成功させなければ”とプレッシャーに追い込まれていきます。今年5月に、登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなられました。4月下旬にエベレストのベースキャンプで彼にお会いしたとき、かなり追い詰められた表情をしていました。彼にとってエベレストは8度目の挑戦でしたから、周囲からのプレッシャーは相当なものだったのでしょう。“僕には登山しかない”と話していましたから。そして、考え過ぎて煮詰まってしまい、エベレスト登頂の最難関である南西壁ルートを選択。さらに単独無酸素という困難な条件を自分に課してしまったのです」

エベレスト登山にて。

そうした悲劇を生まないために、野口さんは巧みに意識を切り替えるという。

「僕は失敗が続くと、距離を置くことを意識しています。エベレスト登頂の失敗が続いたら、視点をアフリカに切り替える。2度登頂に失敗したとき、しばらくエベレストを離れ、アフリカの山を登ることに興味を向けました。目の前の現実からいったん遠ざかることでプレッシャーから解放されるし、次にエベレストにチャレンジするときには新鮮な気持ちで臨めます」

過酷な状況でいかにメンタルをコントロールするか

8000m級の山は空気が薄く、言うまでもなく寒い。血液が全身に行き渡らなくなり、指先の感覚がなくなってくる。思考力が鈍り、適切な判断ができなくなる。そんな過酷な状況で最も重要なのは技術ではなく、メンタルのコントロールだという。

「戦いに挑むにはメンタルを鍛えなければいけないと言いますよね。それは、半分は正解ですが、もう半分は不正解です。メンタルを鍛えると同時に、人間のメンタルは“そもそも強くない”と自覚することが大切なのです。だって、ちょっとした人間関係のトラブルで、精神的に追い込まれてしまうこともあるでしょう。メンタルなんて、それくらい弱いものなんですよ。だから何事もメンタルで乗り切れるとは思わずに、気を楽にもつ。“今回は無理だな”と感じれば、逃げればいいんですよ」

野口さんはこれまでにも、さまざまなチャレンジに取り組んできた。富士山のゴミの多さに心痛め、2000年から「富士山が変われば日本が変わる」をスローガンに富士山清掃活動を実施。その活動も今年で18年目を迎えている。

「18年続けて、富士山の5合目より上にはゴミがほぼなくなったといえますが、それでもいまだにゴミを捨てる人もいる。成果は上がっているが、完全に成功したとはいえない状況です。だから、今後もいろいろな活動を長い目で見ながら取り組んでいきたいと思っています。ネパール・サマ村のヒマラヤ森林再生プロジェクトもその一つ。村人の意識が少しずつ変わり、子どもたちがしっかりとした教育を受けて大人になる。その大人の何人かが学校の先生になり、村の子どもたちに森の大切さを教える。そんなストーリーが生まれていくと嬉しいですね」

野口さんのヴィジョンは、極めて長期的で戦略的だ。一見、無関係とも思える活動も、すべては目標を叶えるための道標といえる。

「手当たり次第、何でもやればいいというものではありません。どこに向かおうとしているのかを常に頭に置いて行動することが重要です。例えば、バラエティ番組への出演。“登山家にバラエティ番組は合わない”という批判の声もありましたが、実際に出演してみると、年間100人だった富士山清掃のボランティアスタッフが約7000人に増えました。すごい反響でしょう。これを利用しない手はないですよ。一時期は政治家になることも考えました。ただ、政治家になるとしがらみも増え、色も付く。政治家になることは手段であって、それによって活動に制限がかかるようでは本末転倒です。また、その仕事は多岐にわたるため、環境問題など現場での活動に専念できなくなる。“政治家はなるものではなくて、使うもの”と考え、政治家への道はやめました。なったとしても、問題発言ですぐにクビになったでしょうけどね。僕は人からいろいろ言われますが、どんな批判も気にしません。山のためならなんだってやりますよ」

Ken Noguchi
1973年、米国ボストン生まれ。高校時代に植村直己氏の著書『青春を山に賭けて』に感銘を受け、登山を始める。1999年、エベレストの登頂に成功し、7大陸最高峰世界最年少登頂記録を25歳で樹立。 2000年からはエベレストや富士山で清掃登山を開始するなど、環境問題へ積極的に取り組む。2015年、ヒマラヤ遠征中にネパール大震災に遭遇。「ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げ、ネパールへ支援活動を行っている。

Text=川岸徹