スルガ銀問題に見るパワハラ被害者の"責任" ~ビジネスパーソンのための実践的言語学⑩

最近、説明や謝罪時の、違和感のある言葉遣いが話題になりがちだ。当コラムでは、実際の発言を例にとり、公私の場で失敗しない言葉の用い方を考える。ビジネスパーソンのための実践言語学講座、いざ開講!


「机を殴る、蹴る。持っていった稟議書を破られ、投げつけられる」ーーースルガ銀行行員(「スルガ銀行問題の調査報告書」より)

シェアハウス向けの不正融資の問題を発端に明らかになったスルガ銀行のいびつな経営状態。第三者委員会による調査報告書には、驚くような行員の証言が並んでいる。

「数字(の達成)ができないなら、ビルから飛び降りろと言われた」「ものを投げつけられ、パソコンにパンチされ、オマエの家族皆殺しにしてやると言われた」「死んでも頑張りますに対し、それなら死んでみろと叱責された」「首をつかまれ壁に押し当てられ、顔の横の壁を殴った」

コンプライアンスとかガバナンスという言葉がバカバカしく思えるレベルだ。とてもかつて“地銀の優等生”と呼ばれた銀行内部の状況とは思えない。発言を行った上司も、もともとはこんなことを口にするチンピラのような人間ではなかっただろう。銀行内部に充満する狂気が、彼らにこんな言葉を口走らせたのではないだろうか。

個人の性質、性格が原因のパワハラは、まだ解決しやすい。原因である個人が反省し改心するか、その場からいなくなることで組織は守られる。だが、組織的なパワハラが行われている場合は、そうもいかない。強烈な狂気とそれに対する盲目的な服従は、ひとつのエネルギーを生み出す。スルガ銀行は、まさにその狂気のエネルギーで、不正融資を重ねた。不正融資といっても、中身は私文書偽造、詐欺などの犯罪行為。スルガ銀行は、犯罪で利益をあげる集団だったと言っても過言ではない。

だが、そんな状況が長続きするわけがない。恐らく、スルガ銀行は今後経営陣が総退陣し、新たなスタートを切ることになるだろう。だが、一度信用を失った金融機関を立て直すのは、困難だ。倒産、縮小、吸収合併……多くの行員たちが職を失うことになるかもしれない。もちろんその責任は、経営陣にある。経営陣の強いプレッシャーを受け、パワハラをしてでも数字を確保しようとした“上司”たちの責任も重い。だが、そのパワハラを第三者委員会の調査があるまでと受け止めていた行員たちも単なる被害者とはいえない。被害者は、返せるはずのない金を貸し付けられた人であり、犯罪によって作られた数字を信用した株主であり、不安を抱えることになった預金者だ。

上司の指示に従ったにせよ自らの手で不正融資を行っていたら、立派な犯罪者。「仕方ない。銀行とはそういうもの」と思った時点で同罪だ。これほどの明らかな狂気が蔓延していたのだ。彼らは、第三者委員会にきかれる前に「この銀行はおかしい」と声をあげるべきだった。

最初は小さな暴力や暴言でも、放置していくと日常化し、組織化し、受け継がれ、「当たり前」になっていく。家庭内の暴力、教育機関や体育会・部活動の体罰、会社や組織のパワハラ。全部同じだ。小さな種でも取り除いていく。それも組織に生きる人間の責任ではないだろうか。「仕方ない。そういうもの」と受け止めていたら、スルガ銀行のようになる可能性もある。

第11回に続く


Text=星野三千雄 Photograph=Kyodo News/Getty Images


体操パワハラ問題に学ぶ老害にならない方法