【知られざるヒーロー列伝】馬鹿にされても貫いた道 ~トレーニング界の伝説、遠藤光男 第6回

すごい男がいたもんだ! 話を聞きながら、昔流行した、ビールのコマーシャルのワンフレーズが、脳裏をかすめた。 遠藤光男氏、75歳。戦後、黎明期の日本ボディビル界を語る上で欠かすことのできない人物であり、まだ方法論が確立されていなかったウェイトトレーニングに、独自の合理的なメソッドを導入した、パイオニア的存在でもある。ここに示すのは、そんな知られざるヒーローの物語。  


相撲界ではトレーニング禁止だったのは本当か!?

かつて相撲界ではトレーニング禁止だったんです。それも実に馬鹿げた理由で。たとえば背中を鍛えるために、重りを引っ張るでしょ。力の強い人は80キロとか、100キロを引っ張る。そうすると身体が浮く。それだと、腰が軽くなるからダメだというんです。100キロもの重さを引っ張れば、身体が浮くのは当たり前でしょ。それだけのものを引っ張れるように身体を鍛えているのに、そういう理屈なんです。

でもジムに来ている力士たちは、だんだんトレーニングの意味を理解していったと思います。力士たちといろいろなトレーニングをやる中で、いわゆる体幹の強さだけじゃなくて、自分は立ち幅跳びも3メートル飛んだし、垂直跳びも85cmぐらいで、誰にも負けなかったですから。そういうのを見ていて、力士たちも分かったんでしょうね。

昔は相撲界だけじゃなくて、たとえば水泳の世界でも、ゴムのチューブは伸びるから筋肉が柔らかくなるけど、バーベルは鉄で硬いから筋肉や身体が硬くなる。そんな理由でウエイトトレーニングはやっちゃだめだと言われていたんです。日本のスポーツ界は、このレベルだった。大学の先生とか医者までそう言っていたんですから。そういう時代だったんです。

トレーニングは身体に悪い、心臓に悪い、肺病になる、結核になる、そんなことまで言われていましたからね。高校を卒業してある会社に就職試験の面接に行った時、面接官に「いい身体してるけど、なにやってるんだ?」と言われて、「ボディビルやってます」と。そしたら「あんなものやったら、身体に悪いからやめたほうがいい」と、馬鹿にされて笑われたんです。それで頭きて、椅子蹴っ飛ばして帰ってきちゃったんですよ。トレーニングをやっているのは、頭おかしいヤツだと思われていた。変人扱いでしたからね。「今に見てろ」という言葉を心の中で噛みしめていましたよ。

それが今はまったく逆でしょう。国をあげてトレーニングを奨励している。時代とともに、生き証人として今までやってきましたけど、いろんな変化があることに驚かされます。

理不尽なことが当たり前だった、かつてのジム

高校を卒業してからは、会社に勤めていたので、さすがに毎日ジム通いをするわけにはいかなったですね。下総中山の、できたばっかりのカラーフィルムの現像所だったんですが、人が足りなくて、一番ひどいときは週に3日徹夜していました。寝ないでずっと仕事をして、週に2~3日ジムに行く。寝てないからトレーニングやっていても、座っていて寝ちゃうんです。電車に乗っていても、吊り革につかまったまま、カクンってこう。周りの先輩たちが心配して、「もう帰れ、もう帰れ」って言われるぐらいでしたよ。

当時のジムは、道場だったんですよ。先輩は兄弟子、絶対服従です。先輩がトレーニングをやっているときは、こちらがやりたくても、「やっていいぞ」と言われるまで、立って待っていなきゃなんない。ベンチプレスをやるにも、先輩に誘ってもらえないと入れないんです。「入れてください」と言うと「邪魔だから向こういけ」と言われる。だからはじっこの方で、目立たないようにやったりしていたものです。

その頃はまだ、コンクリート製のバーベルというのがあったんです。バーが樫の棒で、プレートがコンクリートで、周りをブリキの板でカバーしてあって。そういうバーベルを何本か使いながらトレーニングをするような時代でした。

トレーニングは、まず一番軽い60キロのバーベルからスタートするんです。若手の弟子は全部で20人ぐらいいましたから、1セット20人分回ってから次は70キロ、また20人分回ってから80キロ。十分練習するには100キロ以上のバーベルを上げないといけないので、全部回ってくるのに、相当時間がかかったものです。バーベルを使いたくても、先輩がバーベルを足で踏んずけていて、「オレが使ってるからだめだ」っていうようなことが当たり前でした。

あの先輩のやっていることはおかしいなと思いながら、それを反面教師として、いろんなトレーニングや正しい練習の仕方を、自分でいろいろ開発してやっていくことになるんです。ちゃんとした指導者も何もいなかったですから、見よう見まねでね。

第7回に続く

Text=まつあみ靖

遠藤光男
遠藤光男
1942年東京都生まれ。日本ボディビルディング界の第一人者で、24歳だった'66年のボディビル・ミスター日本となる。翌年に東京・錦糸町で遠藤ジムを開き、その年にはモントリオールで開催された世界選手権で3位に。三島由紀夫や勝新太郎とも親交があり、大相撲界、プロレス界など幅広い人脈を誇る。
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